日本国内では、毎年およ100万人が「癌」だと診断され、約37万人が手術やがん治療の末に死亡しています。
しかし、癌という病気は存在せず、治療に用いられる「抗癌剤」も、患者を死に至らしめる猛毒に過ぎないことがRAPT理論によって暴かれています。
○RAPT×読者対談〈第114弾〉癌という病気は存在しない。(前編)
○RAPT×読者対談〈第115弾〉癌という病気は存在しない。(後編)
現在も、癌利権によって大手製薬会社や多くのヤブ医者たちが、人々の命を犠牲にして暴利を貪りつづけていますが、実は「抗癌剤」を開発した人物も、もれなく中国共産党と密接に繋がっていることが分かりました。
日本で初めて「抗癌剤」を開発したのは、東京大学薬学部・初代学部長を務めた「石館守三(いしだてもりぞう)」です。
石館守三は1938年、東北帝国大学との共同研究によって、戦争中に兵器として用いられていた「マスタードガス」から、悪性腫瘍の治療に用いる「ナイトロジェンマスタードN-オキシド(ナイトロミン)」を開発しました。
○がん化学療法と抗がん剤の歴史 戦争中に起こった悲劇から抗がん剤は生まれた
厚労省は、この「ナイトロミン」を危険物だと見なしており、取り扱い時の注意点として以下のように記しています。
取り扱い:保護手袋・保護衣・保護眼鏡・保護面を着用すること
吸入した場合:空気の新鮮な場所に移し、呼吸しやすい姿勢で休息させること。
症状が続く場合には、医師に連絡すること。
皮膚に付着した場合:大量の水で洗うこと。症状が続く場合には、医師に連絡すること。
水で数分間注意深く洗うこと。次に、コンタクトレンズを着用していて容易に外せる場合は外すこと。その後も洗浄を続けること。症状が続く場合には、医師に連絡すること。
ここまで取り扱いに注意しなければならないような危険な物質を、人体に直接投与するならば、どれほど恐ろしい結果になるかは容易に想像がつきます。
石館守三は、この毒物を「抗がん剤」として世に発表し、癌利権の礎を築いたわけですが、その後、1946年に「ハンセン病」の治療薬「プロミン」を開発、「日本のハンセン病化学療法の父」と呼ばれ、さらなる賞賛を浴びることになります。
ところが、この「プロミン」を投与された人の病状が、回復するどころか、かえって悪化し、瀕死の状態に陥ったという事例が幾つも残されています。
今思えば、先生にしてもプロミンは初めて使う薬剤なのでよくわからないわけです。
それで「あんたは169センチ、68キロだから、午前中に3CC、午後2CCと2回注射を打つ」ということになりました。ところが打ち出して1週間したら寒気がして、10日を過ぎると、斑紋が潰瘍になって、頭の毛が抜けて、39度前後の高熱が出ました。
衰弱は烈しく、入所者としてよく見ていたハンセン病の末期と同じ症状となり、いよいよ私も死期が近づいたと思いました。一番苦しんだときは、夜、呼吸が困難になりました。寝ていると鼻がつまって窒息しかかるわけです。呼吸ができない苦しさから逃れるために喉に穴を開けてカニューレを差します。
園内には「失明10年、喉切り3年」という言葉がありました。カニューレを差すようになると余命が3年という意味です。私はちょうどその状態になったわけです。呼吸困難になると、家内は冷ましたお湯をヤカンから洗面器に移し、私はそのぬるま湯の中に顔を突っこんで、苦しいけれど鼻から吸うわけです。そうするとつまっている痰がぬるま湯でだんだんゆるんできて、フッと空気をやるとスポンと抜ける。そんなにスースーとはいかないけれど、ようやく呼吸ができて、これでやっと死と隣り合わせの状態から抜け出せました。
この苦しさというのは末期症状そのものです。
失明後の明石海人に「切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし」の歌がありますが、瀕死のなかで自分の状態を冷静に見つめて優れた歌にしていることに感嘆します。
その頃には足も手もものすごく臭くなっています。斑紋が潰瘍になって、そこから膿がたくさん出てガーゼや包帯をするのですが、すぐに滲み出てきます。重病棟ではハエが追っても追ってもたかります。
放置しておくと、ウジがわきます。包帯を取るとウジがいるので、つまんで簡易便器に捨てるのを習慣にしている人もいました。ポトン、ポトンと断続するその音は、趣味を楽しんでいるかのごとく聞こえます。私は衰弱していますから、ほとんど家内がやってくれました。
また、ハンセン病を患った詩人「桜井哲夫 」は、プロミンの過剰投与の副作用によって高熱に侵され、失明しました。
その後、化膿した眼球は摘出され、声帯も侵され、両手の指も失いました。
さらに、滅菌のためとの理由で顔面を「焼きごて」で焼かれて、ケロイド状となり、口角は裂け、鼻も崩れて鼻孔を残すのみとなり、最終的に知人すらも直視できないほどの姿となってしまいました。
以上のことから、石館守三は、患者を救うどころか、人々に毒物を投与して地獄のような苦しみを加えたサイコパスだと言わざるを得ません。
その後、石館守三は1974年に、かの「笹川良一」とともに「財団法人笹川記念保健協力財団」を設立し、理事長に就任します。
○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.17 – 群馬人脈の最重要人物・笹川良一 中国共産党と結託し、日本にユダヤ人国家の建国を目論む
過去の記事でも述べましたが、笹川良一は、中国共産党に莫大な資金援助を行い、中国による日本乗っ取り計画に大きく加担した人物です。
笹川良一による社会奉仕活動について、Wikipediaには、以下のように書かれています。
中でも特筆されるのは、WHOの天然痘根絶事業に対する巨額の資金協力(民間団体としては世界一)と、ハンセン病患者の救済である。
ハンセン病のワクチン改良にはワクチン接種の第一号被験者となり、(財)笹川記念保健協力財団を作って会長として各国のハンセン病院を慰問して回った。
笹川良一は、天然痘やハンセン病ワクチンの普及に莫大な資金を投入したほか、世界各国のハンセン病患者の施設を慰問して回ったそうですが、こうして見てみると、かの「ビル・ゲイツ」と同じような役割を担っていたことが分かります。
さらに笹川良一は、「日中医学協会」に資金提供し、中国での医療人材の育成を促進していたそうですが、石館守三も、同協会の理事長に就任し、中国と蜜月関係を築いていました。
また、過去の対談でも述べましたように、笹川良一は、癌患者を量産するため、日野原重明に莫大な資金援助をして「人間ドック」を開設、普及させてきたことも分かっています。
○RAPT×読者対談〈第131弾〉小林麻央の死は悪魔への生贄である。(悪の巨塔・日野原重明と市川海老蔵の深いつながり)
○【第22回】ミナのラジオ – 「癌利権」「医療利権」にも中国共産党が関わっていた!! – ゲスト・KAWATAさん
つまり、この日本で癌利権を生み出し、毎年多くの国民を抗癌剤や不必要な手術によって死に至らしめてきた黒幕も、実は中国共産党だったということです。
中国共産党は、日本の人口を削減するために、現在もあるとあらゆる方法で国民に毒物を摂取させ、大量殺戮しようと悪あがきしています。
この卑劣極まりない虐殺行為に終止符を打つためにも、中国共産党が一刻も早く滅び去るよう強力に祈らなければなりません。
○【第29回】ミナのラジオ – 地下鉄サリン事件を計画・実行したのも実は中国共産党だった‼︎ – ゲスト・KAWATAさん
○【小児性愛者】エプスタイン家はやはり中国共産党の傀儡!! 「ジェフリー・エプスタイン」は幼女を使ったハニートラップを仕掛ける工作員だった!!
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