私は、神様に導かれ、RAPTさんに出会えるようになりました。
そして、RAPTさんから御言葉を学び、間違いの一つ一つを正していくことで、全く新しい自分に生まれ変わることができるようになりました。
RAPTさんに出会う前の私は、聖書を学び、神様を信じる信仰生活を送っていたものの、自分本位の信仰でしたし、どこまでも自分に甘い人間でした。
聖書を読み進める中で、「これは従えそうだな!」という、自分にとって都合の良い言葉だけを心に留め、その通りに行なって、「ここは、聖書通りに従うのは難しいな…」と思えば、「いつか従うことができるようになれればいいな…」と思い、神様の一つ一つの言葉を軽く考え、適当に神様の言葉に聞き従うという、本当に生ぬるい信仰生活をしていたと思います。
「わたしはあなたの行いを知っている。
あなたは、冷たくもなく熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
(ヨハネの黙示録 3:15-16 新共同訳)
心の片隅では、いつも「このような生ぬるさでは、神様に嫌われ、いつか吐き出される…」と思いつつも、信仰を持ち始めて一年が過ぎてからも、全くその体質を変えることができませんでした。
そんな私に、あるとき、神様が「いい加減にしなさい!」と、喝を入れてくださったことがありました。
それは、突然、私の身に降りかかった”災い”という名の「神様の喝」でした。
その当時、住んでいたマンションの寝室に、突然、どこからともなく小さい蟻が列をなして何匹もやってくるという気持ちが悪い現象が起こるようになったのです。
寝室に蟻が好きそうな甘いものが落ちていた形跡も、窓に隙間ができているというわけでもなかったので、私は一体どういうことか理解ができず、ここのマンションのせいだと思い、管理会社に苦情の電話を入れました。
しかし管理会社は、今までこのマンションのどの部屋からも、蟻が入ってくるというような苦情を聞いたことがなく、原因が分からないというのです。
さらにそのあと、私の足が、何箇所も赤く腫れ上がってしまいました。
その赤く腫れ上がる箇所が日に日に増えていき、蟻に噛まれたのかもしれないと思いました。
病院で受診しましたが、原因がよく分からず、とりあえず虫刺されの薬を処方され、症状が治るまでは、痛痒さと闘いながら、ズボンやスカートを履くことも苦痛で、しばらくは外を出歩くこともできませんでした。
それから一週間ほど経ち、蟻の姿も次第に見えなくなり、ようやく足の症状が治り始めてきた、ある日のことです。
いつものように、聖書を開いて読みはじめると、衝撃的な聖句に出会いました。
なまけ者よ、ありのところへ行き、 そのすることを見て、知恵を得よ。
ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、 夏のうちに食物をそなえ、 刈入れの時に、かてを集める。
なまけ者よ、いつまで寝ているのか、 いつ目をさまして起きるのか。
しばらく眠り、しばらくまどろみ、 手をこまぬいて、またしばらく休む。
(箴言 6:6-10 口語訳)
聖書に、ダイレクトに「あり(蟻)」と書いてあるではありませんか!
私は、神様から「ありを見なさい!なまけ者よ!」と、はっきり指摘されたと思い、衝撃を受けました。
と同時に、このことを神様は私に知らせたくて、寝室に蟻が入ってくるようにし、足の病気にまでさせたのだと分かり、自分の身に起こった災いを全て外部のせいにしていた自分が本当に恥ずかしく、神様に心から悔い改めました。
○RAPT有料記事383(2019年6月22日)自分ができないことを環境や状況、他人のせいにしてはいけない。どんな環境・状況に置かれても、最後まで主の御心を成す者だけが主から認められる。
そして、自分はどこまでも自分中心で、神様のために努力をしようとしない怠け者だったことにも、このとき、ようやくはっきりと気付きましたし、神様が私をこのような災いに遭わせるほど、私に怒っていらっしゃるのだと分かり、神様の恐ろしさと厳しさを痛感しました。
○RAPT朝会2022年2月分
2022年2月8日(火)
神様は裁きの霊であり、聖霊様は愛と許しの霊だ。神様が真理によって人々を刺し貫き、聖霊様は恵みと愛によって人々の心をほぐされる。それによって、人類を悔い改めに導き、人類が御言葉に聞き従って祝福を受けられるように導かれる。
2022年2月10日(木)
真理の御言葉は鋭い剣であり、この剣でどんなに刺されても痛くないというぐらいまで悔い改めなさい。そうすれば、その人は神のようになり、聖霊様のようになって、これ以上はないというほど幸福に包まれて生きられるだろう。
それからというもの、私は聖書の言葉一つ一つにもっと真摯に向き合い、自分の欠点に真剣に向き合う決心をしました。
しかし、自分に向き合えば向き合うほど、聖書の言葉を受け入れ、自分を変えていくことの難しさを痛切に感じましたし、あまりにも成長できない自分に、日々、限界を感じるばかりでした。
そんなときに、RAPTさんと奇跡的に出会うようになり、共に生活をさせていただくようになったのです。
RAPTさんは、事業をされながら、毎日どこまでも熱心に聖書の御言葉を学び、24時間、いつでもどこでも神様に祈りながら生活をされていました。
それだけではなく、神様に喜ばれることは何かを常に探し、見つけて、次々と行なっていらっしゃいました。
小説や音楽を毎日コツコツと作られ、新しいことにも次々とチャレンジし、その能力を懸命に伸ばす努力をされて、RAPTさんの姿はいつも輝いていらっしゃいました。
私はそのようなRAPTさんの姿を通して、「神様の御言葉を忠実に実践するとは、このように神様を喜ばせるために懸命に生きることをいうのだ!」と、深く学びました。
○RAPT有料記事223(2017年11月11日)愛の心をもって御言葉に従順に従う者がサタンに勝利し、偉大な使命者として選ばれる。
またRAPTさんは、私が落ち込んでいるときには、最高の笑顔で励ましてくださり、また、間違った行いをしてしまったときは、どこまでも厳しく指摘してくださり…と、私が神様に近づけるように神様の愛と真理を持って、諦めずに導いてくださいました。
私はその当時、愚かにも、RAPTさんから、自分のとって一番耳が痛く、治したくてもなかなか治せないと自分が思っていたところを鋭く指摘されるたびに、耳を塞ごうとし、その場から逃げようとまでしてしまいました。
そんな私に対して、あるときRAPTさんは、「何か指摘されたときに、自分はできないとすぐにいう人というのは、謙虚でも何もなく、ただ高慢なだけなのです」と、冷静に話してくださいました。
○すぐに「できない、できない」と言う人は謙虚なのではなく、自信がないわけでもない。むしろ高慢なのである。
RAPTさんは、「指摘されたことを心から受け入れて、自分は間違っていると認め、その間違いを治そうと思うなら、その人の口から出てくる言葉は『できない』ではなく、『やってみます』となるはずじゃないかな」と、話してくださいました。
私は、RAPTさんが仰ってくださったことで、「今まで、自分の間違いや欠点を頑なに認めようとせず、自分はどれほど高慢な人間だったのか…」と思い知らされ、それからは、まず、RAPTさんの仰ることを素直に聞き、謙虚に自分の間違えを受け入れ、直す努力をする決意をし、実践するようになりました。
○RAPT有料記事486(2020年8月1日)主は私たち人間の心の内を全てご存知だから、心の中にある罪をすべて悔い改め、心の底から新たに生まれ変わらなければならない。
自分が間違っていたということを素直に認め、神様にすぐに悔い改め、神様とRAPTさんのいう通りに行なうようになると、それまで無駄に身に付けてしまっていた鎧のようなものが、次々と剥がれていくのが分かり、身も心も軽くなっていきました。
○RAPT有料記事25(2015年11月30日 )わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い。
○RAPT有料記事403(2019年9月7日)主が私たち義人を練達なさるのは、私たちを通してこの世の多くの人々を救うためだ。
さらに、それまで生きるのが辛く、信仰生活さえも辛く感じていた私が、RAPTさんに出会ったことで体も心も健康になり、それまでできなかったことができるようになり、性格もとても前向きで明るい性格に変わっていきました。
RAPTさんから最も神様に愛され、最も神様に喜ばれる生き方を教わり、その教わった通りに生きられるようにともがくことで、今では毎日が恵みに満ち溢れ、生きることへの喜びと感謝が絶えることがありません!
毎日、お祈りをする度に、私を真に救ってくださった神様とRAPTさんへの感謝が溢れるばかりです。
○RAPT朝会2023年7月分
2023年7月13日(木)
御言葉に出会えるように導かれ、救われたことへの感謝が尽きない人が、神様への愛が尽きることなく、神様に近付き、神様と愛を成し、神様と共に御心を成すために、最後まで自分の限界を突破しつづけることができる。
○RAPT有料記事450(2020年3月9日)御言葉を聞いて人生が変わったからといって、救われるわけではない。御言葉に従う実力を身につけた人だけが救われる。
これからは、私もRAPTさんのように多くの人々を神様の下に導く偉大な働きをし、神様に愛され、喜ばれる人間へと成長していけるようにどこまでも努力していきたいです!
どうか、正しい生き方を求めている全ての人がRAPTブログに出会い、神様の愛と真理を豊かに学び、神様に愛され、祝福された人生を歩むことができますよう、心からお祈りしています。
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