私が中学生の頃、姉に憧れて合唱部に入りました。
合唱して皆の声が一つに綺麗に重なるとき、楽器では出せない波長を持った音の美しい調和があります。
これが楽しくて、毎日喜んでキツめの練習にもついていきました。
また合唱なら、一人で視線を受けなくて済むという居心地の良さに惹かれたのもありました。
自分の声で音を作ること、その作った音を皆と合わせていくということを、毎日みっちり学びました。
また、後輩たちにそれを教えて、新しい声と音を一緒に作っていくことも、とても楽しい時間でした。
しかし、合唱曲の歌詞は退廃的なものが多く、とても暗い気分にさせられ、中学卒業と同時に合唱からは離れてしまいました。
時は流れ、会社の軽音部などを経て、キリスト教系の幼稚園児たちの歌う賛美歌に感動を受けて、親の私自身がゴスペルに夢中になりました。
賛美歌は、合唱曲などと同じように思えますが、信仰のある賛美は全く違う神霊なものです。
今から思うと、無垢な子供たちが心から賛美することによって、その場に聖霊が満ちていたから、感動したのだと分かります。
この当時、幼稚園児たちは、絵本などで天地創造から始まる聖書に触れ、毎日お祈りと賛美を欠かすことはありませんでした。
園児たちは大きな罪を犯すこともなく、幼いながらも神様の存在を信じることで、聖霊に満たされ、神様から祝福されていたのだと思います。
小さな信仰者たちの神様への強い信仰が真の賛美を生み、天使がたくさん集まってきていたのではないでしょうか。
音楽は、私たち人間が神様を賛美するために、神様が与えてくださった芸術の一つだとRAPTさんは教えてくださいましたが、信仰を持つまでの私は、そんなことを全く知らずに、こうして賛美歌に感動を受け、空いた時間を全てゴスペルの自主練に費やすほど熱中していました。
◯RAPT有料記事743(2023年5月13日)天の文化・芸術とは神様を褒め讃えるために行うものであり、それによって互いに霊的な力と恵みを与え、霊的な有益を与えるものだ。
しかし今思えば、私の周りにいたほとんどのゴスペル好きは、信仰とは無縁のカッコいいブラックミュージックが入り口の人ばかりで、何となく趣味を持ってキラキラしたい人なども多かったように思います。
キリスト教の信仰者は、探してもなかなか見当たらないほどまれで、私も含めて神様をよく知らない人たちで歌うので、なんとも中途半端な賛美でした。
たとえば、歌詞に出てくるダビデ(旧約聖書に記述されているイスラエル王)が誰かもわからずに、ノリノリで歌うのです。(笑)
当時はゴスペル教室などに通う人たちも多く、社会人や学生、主婦などの間でとても流行っていました。
やはり当然ですが、たとえどんなにレベルが高くても、信仰のない賛美に聖霊が激しく下ることはありません。
もしもこれが、本物の信仰を持つ人たちの歌う賛美だったなら、どんな力を発揮するのだろうかと思います。
何曲も歌っていると、私も聖書を学び子供たちのような感動的な賛美がしたいと思い、幼稚園の保護者向けの聖書講座に出席してみましたが、さっぱり理解することができず、仕方なく何も分からないまま神様を賛美していました。
それでも、歌うと心洗われるような喜びがあり、嬉しくて熱心に練習していました。
英語の歌詞をまずは和訳して理解し、発音とメロディーを耳コピして練習していました。
学んだり、ときには人に教えたり、10年あまりの月日が経ち、それからRAPTブログに出会いました。
ちょうどその頃、私は活動していた社会人バンドの人間関係に苦しくなっていました。
というのも、どのバンドも音作りではなく仲間作りが第一にあるようで、いつもそこに苦しみました。
不倫の関係を持つ人たちも珍しいことではなく、心底うんざりしていました。
しかし当時、信仰がなかった私は、漠然とですが、賛美や音楽で社会に貢献するのが自分に用意された道だと考えて、別のバンドを探しつづけていました。
そのようなとき、RAPTさんが伝えてくださる御言葉で、善悪の基準が明確になり、世の人から来る波長によって心が苦しくなるのは、正しい感覚だったのだとわかりました。
また、「信仰を持つ前に得た自分の持っているもの、それらを一度捨てなさい」という御言葉にも従いたいと思い、そのためにバンド探しはやめて、本当の使命がわかるまで、ひたすら信仰生活に集中しようと決心しました。
◯神様を愛する資格があるのは誰か。本当の愛とは何か。なぜ主の前では多くのものを捨てなければならないのか。
無理に人とつながるのをやめて、RAPT理論と御言葉を学び、聖書を読み、神様への祈りの時間を持つことを喜んで選びました。
RAPTさんの伝えてくださる御言葉を通して神様に学び、間違えては悔い改めてやり直し、転んでは神様に縋り付いて這い上がる日々。
そのような日常があるからこそ、生き生きとした本物の賛美ができることを実感し、毎日たっぷり歌っています。
神様を心から愛する気持ちを、賛美で素直に堂々と表現できるのは大きな喜びです。
本物の賛美で得られる聖霊の力と感動は、ハリボテ賛美の比ではありません。(笑)
そしてその絶大な神様の愛は、義の条件を立てて信仰を深めるにつれどんどん増し加わり、大きな感動の中で私たちを導き育ててくださいます。
熱心に信仰生活をするようになると、賛美することで豊かに聖霊を受けて、感動と共に様々なことを深く悟ることができるようになります。
◯神様に賛美歌を捧げることでサタンを撃退した奇跡の体験‼︎(十二弟子・NANAさんの証)
また、どんなに辛く苦しいことがあっても、神様を褒め称えることで、神様の大きな愛に包まれ、聖霊を豊かに受け、喜びと平安に満たされるようになります。
◯RAPT有料記事165(2017年4月22日)あなたの主を褒め讃えなさい。それこそがあなたの幸福の原点だ。
そして、聖霊を毎日のように豊かに受けると、神様から様々な霊感を受けられるようになります。
これにより、神様から啓示を受けたり、文化・芸術の構想を受けたりすることができるようになることをRAPTさんが証明してくださっています。
この聖霊を受けて成されている文化・芸術は、私たちの霊魂に実際に力を与えることができます。
RAPTさんが伝えてくださる御言葉はもちろんのことですが、NANAさんの賛美にもまた、聖霊の力が宿っています。
その賛美を聴くだけでも力を受けますし、一緒に歌うことで私たち自身、神様に愛されていることを実感し、喜びと平安に満たされます。
まずは、神様を愛し信じる人の賛美の力を、ぜひ体感してみてください。
その清く澄んだ声は、私たちの霊魂を癒し、本当に神様が私たちを愛してくださっていることが分かります。
これからもさらに多くの人たちが神様に出会い、神様の愛を実感して、恵みと力に満たされて生きられますことを心からお祈りしています。
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