前回の投稿で、豊璋(中臣鎌足)や蘇我入鹿がユダヤ人ではないかという記事を書きました。
○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.37 – 『大化の改新』は朝鮮人(ユダヤ人)同士の戦いであり、当時から日本は中国の属国だった!!
『ユダヤ人』という呼び名は、バビロン捕囚の後に『ユダ王国の遺民』という意味で使われるようになったそうです。
それ以前は『ヘブライ人』や『イスラエル人』と呼ばれていました。
紀元前10世紀ごろ、イスラエル王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しました。
もともとイスラエルには12の支族がありましたが、そのうち10支族が北イスラエル王国を、残り2支族が南ユダ王国をそれぞれ建国しました。
そして紀元前722年、北イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされました。
北イスラエル王国の指導者層は、アッシリアに捕囚民として連れて行かれたそうですが、その後の彼らの行方は文書に残されていないそうです。
そのため、南ユダ王国からは『失われた10支族』と呼ばれていました。
上記リンク先には、10支族の行方として立てられた仮説及び伝承も記載されていました。
一部はアフガニスタンに。
一部はエチオピアに。
一部は中国に。
一部はインドに。
一部は朝鮮に。
そして一部は日本に。
記載を見ると、イスラエルより東側に移り住んだ、とする仮説や伝承が多いようです。
なぜ、彼らは東を目指したのでしょうか。
その秘密は旧約聖書の『イザヤ書』にあったようです。
島々よ、わたしのもとに来て静まれ。国々の民よ、力を新たにせよ。進み出て語れ。互いに近づいて裁きを行おう。
東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。
この人の剣は彼らを塵のように弓は彼らをわらのように散らす。彼は敵を追い、安全に道を進み彼の足をとどめるものはない。この事を起こし、成し遂げたのは誰か。それは、主なるわたし。
初めから代々の人を呼び出すもの初めであり、後の代と共にいるもの。島々は畏れをもって仰ぎ地の果てはおののき、共に近づいて来る。
(イザヤ書 第41章 第1節〜第5節)
上記の部分を読むと、『東』から『ふさわしい人』が立ち上がり、『王を従わせ』、『裁き』を行うと読むことができます。
しかも、東からふさわしい人が立ち上がるのは、主(神様)によって定められた計画であり、必ず成し遂げられるとも読めます。
失われた10支族は、神様の御言葉で定められた『ふさわしい人』の出現を喜び、迎え入れるために東へ向かったのでしょうか。
しかし、どうやらそうではないようです。
中国やインド、朝鮮や日本といった国では、仏教や儒教が定着しています。
下記リンク先は、2010年の中国における各宗教の信者数です。
○File:Religion in China, year 2010.png
最も多いのは茶色く塗られた民俗信仰ですが、儒教はここに含まれます。
次に多いのは道教の要素が強い民俗信仰。
道教信仰そのものは黒く塗られた部分です。
黄色く塗られているのは仏教です。
青く塗られているのがキリスト教です。
その横の緑色はイスラム教です。
灰色は無宗教です。
儒教も仏教も、そして道教も無神論ですので、中国人の実に96%は神様を信じていないことになり、神様を信じる人はわずか2.4%しかいないということになります。
そしてキリスト教徒は、中国共産党から激しい弾圧を受けてきました。
○中国共産党によるキリスト教徒への激しい弾圧に、世界中から激しい怒りの声(国旗掲揚の強制、聖書を燃やす、身柄の拘束・拷問など)
中国共産党はどこまでも無神論を貫く、救われない人々の集まりです。
話を仏教と儒教に戻します。
仏教の成立は紀元前5世紀とされています。
また、儒教の始祖とされる孔子は、紀元前6世紀から5世紀ごろの人物とされています。
つまり、仏教も儒教もほぼ同時期に成立しているのです。
前述の『失われた10支族』が東へ向かったとされる時期からおよそ200年後です。
単なる偶然とは言えないかも知れません。
仏教の始祖、釈迦は悪魔崇拝者であったことがRAPTブログで暴かれています。
○偶像崇拝を強要し、輪廻転生はあると嘘をついた「釈迦」は、悪魔崇拝者だったのか。
○やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。
また、孔子が始祖とされる儒教の『儒』は『ユダヤ』を表すことは、以前の記事に書きました。
○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.2 – 中国建国の父「毛沢東」はサイコパス 睡眠を邪魔するとの理由から雀11億羽を殺し、生態系を破壊
当時の中国にユダヤ教が存在していたかどうかは定かではありませんが,孔子によりまとめられた儒教には神様を信仰するような記述はありません。
このように見ていくと、失われた10支族が東へ向かったのは、イザヤ書第41章に書かれていた『ふさわしい人』の出現を喜び、出迎えるためではなく、むしろ出現させないように、中国やインド、日本などを無神論の国にしようと画策していたことが分かります。
しかし、『ふさわしい人』が出現し、神様の御心がこの地に成されるのなら、これ以上の喜びはないはずです。
なぜ、彼らは『ふさわしい人』の出現を妨げるような行いをしたのでしょうか。
その答えも聖書にありました。
紀元前16世紀(または紀元前13世紀)、エジプトで奴隷生活を送っていたヘブライ人たちは、モーセに率いられてエジプトを脱出し、始祖アブラハムが住んでいたカナンの地を目指しました。
カナンの地は、聖書によると『乳と蜜の流れる所』とあり、とても裕福で恵み豊かな場所だったことが分かります。
まさに、神様がヘブライ人のために準備してくださった土地でした。
四十日の後、彼らは土地の偵察から帰って来た。
バランの荒れ野のカデシュにいるモーセ、アロンおよひイスラエルの人々の共同体のもとに来ると、彼らと共同体全体に報告をし、その土地の果物を見せた。
彼らはモーセに説明して言った。「わたしたちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です」
(民数記 第13章 第25節〜第26節)
しかし、モーセに率いられた人たちは、事あるごとにモーセに反逆し、神様の御言葉に逆らいつづけました。
モーセが山からなかなか降りてこないのを見て、民がアロン(モーセの兄)のもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです。」と言うと、アロンは彼らに言った。
「あなたたちの妻や息子、娘らが着けている金の耳輪を外し、わたしのところに持って来なさい。」民は全員、着けていた金の耳輪を外し、アロンのところに持って来た。
彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。
すると彼らは「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。
(出エジプト記 第32章 第1節〜第4節)
彼らは、神様が禁じている偶像崇拝の罪を犯したのです。
しかも、その偶像は雄牛、つまりバアルでした。
バアル信仰については、RAPTブログで日本にも伝わっていることが明らかになっています。
ユダヤ人たちが日本まで来ていた証拠の一つになると思います。
○京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
おそらく、エジプトを脱出したユダヤ人の中に、サタンを信仰していた人々が相当数混ざっていたのでしょう。
彼らの工作により、モーセに率いられたユダヤ人たちは、カナンの地に入ることができず、その一世代後の人たちがヨシュアに率いられてカナンに入りました。
そして、最終的には北イスラエルも南ユダも滅んでしまいましたので、神様の御心がこの地に成されることを徹底的に妨害しつづけた彼らの目論見は成功したわけです。
しかし、神様は未来に現れる『ふさわしい人=救い主』の登場を聖書で予言していました。
救い主が現れたら、サタンは滅ぼされてしまいます。
当然、サタンを崇拝する人々も滅ぼされます。
そうならないよう、彼らサタンを崇拝する者たちは東へ移動し、インドや中国、そして日本にまで訪れて、無神論の国を作り上げていったのでしょう。
アダムとエバの堕落から現代に至るまで、実に6千年に渡って、サタンを崇拝する者たちは神様に反逆しつづけてきたわけです。
しかし今、救い主やその他の使命者=中心者はこの地に立てられました。
その人はどこまでも神様と一体になっており、神様と共に裁きを行い、この世界をサタンの支配から取り戻し、神様が統治するようにしてくださいました。
2023年からは、いよいよ神様の統治が本格的に始まります。
サタンを信じて悪を行う者はどこまでも裁かれ、神様を信じて義を行う者は祝福された人生を送ることができるのです。
今、サタンは自分たちの滅びが間近に迫っていることに畏れおののき、最後の悪あがきをしています。
そのため、世の中は混沌としており、物価の高騰や増税といった暗いニュースで溢れています。
この状況に絶望することなく、逆にこういう時代だからこそ、神様を信じ、神様に縋りつくべきではないでしょうか。
『神様なんかいない』と考えている人もいるかも知れません。
しかし、神様は目に見えませんが、確実に存在なさっています。
神様のことについて、また中心者について詳しく知りたい方は、まずは以下のリンク先をご参照ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆様に神様のお守りと救いがありますように。
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