【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.44 – イルミナティに魂を売ったジュール・ヴェルヌの悲惨な末路 プロパガンダに成功しても私生活は地獄だった!!

【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.44 – イルミナティに魂を売ったジュール・ヴェルヌの悲惨な末路 プロパガンダに成功しても私生活は地獄だった!!

ジュール・ヴェルヌは1888年のアミアン市議会議員選挙で、左翼候補者のリストに名前が挙がり、当選しました。

しかし、ヴェルヌ本人の政治的信条は全くもってはっきりしません。

無政府主義的意見の持ち主とも、王族とも交友関係がありました。

アイルランド人やフランス系カナダ人などの少数派を熱烈に支持していましたが、黒人やユダヤ人に対する人種的な偏見も強かったようです。

カトリックを信仰していましたが、小説の中で『神』とか『創造主』という言葉はよく使いながら、『キリスト』は決して使いませんでした。

教会の場面を描くことはあっても、キリスト教について語ることは決してありませんでした。

ジルベール・ブリトーという人は、ヴェルヌのことを『保守的無政府主義者』と書き表しました。

この心情の背景には、薔薇十字団の影響があったようです。

薔薇十字団はイエズス会の修道士だったアダム・ヴァイスハウプトによって設立された『バヴァリア啓明結社』の影響を受けていました。

アダム・ヴァイスハウプト-Wikipedia

アダム・ヴァイスハウプト

アダム・ヴァイスハウプトは、27歳で法学部長に就任という輝かしい経歴を持っていましたが、自分の才能が十分に評価されていないと感じており、その責任はイエズス会にあると考えていました。

そこで、イエズス会の勢力に対抗しうる結社の創設を思い立ち、前述の『バヴァリア啓明結社』を設立したのです。

『啓明』つまり『イルミナティ』ですね。

○イルミナティ-Wikipedia

この組織は、メンバー間の密告と相互監視を奨励し、僧侶、女性、ユダヤ人の参入を許しませんでした。

『全ての王は民衆の権利の強奪者であり、自由と平等こそが最も基本的な人権である。人間に自然権を取り戻させるためには、宗教を破壊し、所有権を廃絶しなければならない』『あらゆる宗教は詐欺と妄想の上 に築かれており、いかなる宗教も人間を卑劣で迷信深くする』と主張しました。

ジュール・ヴェルヌがキリスト教について語らなかったのも、『バヴァリア啓明結社』に属していたためかも知れません。

また、ヴェルヌは神智学とも通じていました。

神智学の思想は『アーリア人が最も優れた民族で、ユダヤ人はその対極にある』というヒトラーの思想に結びつきました。

○RAPT×読者対談〈第110弾〉インドとガンジーと神智学協会。インド独立運動もやはり源平合戦だった。

ヴェルヌがキリスト教について語らなかった理由の一つは、神智学の影響もあったのかも知れません。

さて、バヴァリア啓明結社の主張である『宗教の破壊』や『所有権の廃絶』は、カール・マルクスの思想の源泉になりました。

また、1789年のフランス革命にも多大な影響を与えました。

フランス革命にイルミナティの思想が関係していたわけです。

ここで、フランス人権宣言が書かれた絵を見てみましょう。

フランス人権宣言

お気づきでしょうか、上部にプロビデンスの目が、中央やや上方にウロボロスが描かれていることに。 

プロビデンスの目
ウロボロス

しかもプロビデンスの目は光っていますので、イルミナティを表しています。

 私はなぜ人権宣言の絵にこんなものが描かれているのか、これまではよく分かりませんでしたが、ここまで調べてきて納得しました。

また、イルミナティの思想にはもっともらしいことが書かれていますが、一番の目的は『宗教の否定と破壊』にあることもわかりました。

神様の否定です。

まさにサタンの発想です。

このイルミナティの思想はレーニンにもつながります。

アルバート・パイクが予言した第一次世界大戦に関わる人間たちが、あらかじめ用意されていたわけです。

○アルバート・パイクが予言した第三次世界大戦について。

アルバート ・パイク

さらに、『宗教を破壊し、所有権を廃絶しなければならない』という考えは、中国共産党にまで繋がる『共産主義』そのものです。

○日本は中国の次に無神論者が多い国 イルミナティ(中国共産党)によって私たちは神様のことを知ることなく不幸な人生を生きるしかない道へとミスリードされていた(十二弟子・エリカさんの証)

○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.38 – 失われたイスラエル10支族が“東”を目指したのは、「救い主」の出現を妨害するためだった!!

さて、ジュール・ヴェルヌですが、この『バヴァリア啓明結社』の精神を受け継ぎ、作品に表していた様子が伺えます。

結社の方も、とりわけ文学に関心を寄せていました。

『自分の主張を自分では叫ばず他人に叫ばせること、時代のメディアを支配する人材を育てること』を狙いとしていました。

このやり方は、そっくりそのまま現代のイルミナティのやり方にも当てはまると思います。

中田敦彦や堀江貴文、ひろゆきらがその役目を果たしているわけでしょう。

○RAPTさんの予言通りに、どんどん落ちぶれていくイルミナティのインフルエンサーたち(十二弟子・ミナさんの証)

 また、結社の情報秘匿の方法は徹底していました。

入団したての者は、結社に関する文書と書物をほんの僅かしか見せてもらえず、しかも他人には見せないという保証を提示する必要がありました。

位階を上昇するに従って、より長い時間、閲覧できるようになりますが、漏えいや紛失を防ぐために、どのような策を講じているか、さらには突然の死に備えてどのような手を打ってあるかということまで、あらかじめ示しておかなければならなかったそうです。

ヴァイスハウプトは結社員の心得について、『彼は遺言を作成しなければならない。そしてその中で、 死が突然襲ってきた場合には、彼の家で見つかる可能性のある秘密書類をどう処分してもらいたいかについて、最終的な意志をはっきり表明しておかなければならない。遺言のこの部分に関する法的受領証を、家族もしくは司法官からもらっておかなければならず、彼の意志が履行されるという約束を文書として受け取っておかなければならない』と書いています。

そしてヴェルヌは、そのような予防策を講じていました。

 つまりジュール・ヴェルヌは、イルミナティの一員だったという可能性まで出てきました。

さて、ジュール・ヴェルヌは一般庶民の考えを誘導するインフルエンサーのような役割を果たしていたことを書きました。

しかし以前、彼がそれを意図的にやっていたかどうかについては疑問が残るとも書きました。

その証拠は、彼の晩年にあります。

晩年のジュール・ヴェルヌは『自分はまちがっていたのだろうか』という疑念に取りつかれていたようです。

友人の証言によると、家庭の中では相変わらず座を盛り上げる楽しい人物でしたが、外国人と会った時はぶっきらぼうな話し方だったそうです。

1878年頃になると、それまで進歩の前衛とか、未来の人間の原型として作品に登場していたイギリス人やアメリカ人が、断罪すべき略奪者、下品な証人、冷酷な投機家として現れます。

また、愛用のヨット『サン・ミシェル号』を破格の安値で売却し、あれほど好きだった旅をやめています。

また、Wikipediaにも書かれていますが、ジュール・ヴェルヌは晩年、甥から銃で撃たれています。

ジュール・ヴェルヌ-Wikipedia

『ジュール・ヴェルヌの暗号』という本には、そのときの様子が詳しく書かれていました。

(以下引用)

 (以下引用)

そして1886年3月9日、大きな事件が起きました。自宅に戻ってきたジュール・ヴェルヌがポケットから鍵を取り出してドアの鍵穴に差し込もうとしたとき、物陰から甥のガストンが飛び出してきました。

ガストンは狂ったように息を切らしながらヨット売却の件を持ち出し、それでできた金をイギリス行きの費用として自分にくれないかというようなことを口走りました。

ジュールがびっくりしていると続けて、『伯父さんは尾行されているんだ、命を狙われているんだ』と言い、『伯父さんを絶対に許さない連中がいる』と付け加えました。ジュールは何のことだかさっぱりわかりません。

するとガストンは公園の木々を指さして『奴らはあそこだ』と叫び、ジュールがそれでも身を守ろうとしないのに驚いて、狂ったようにポケットからピストルを取り出して、至近距離から伯父に向かって発砲しました。

一発の弾丸がジュールの脚に命中し、残りの弾丸は鉄格子の門の方に飛び散りました。

ガストンは、取り出したときと同じように荒々しくピストルをしまい、腕を組んで突っ立ったまま、血の流れ出る傷口を抑えたジュールをじっと見ていたそうです。

銃声を聞いて駆けつけた人々によってガストンはとり押さえられ、ジュールは病院に運ばれて弾丸の摘出手術を受けました。新聞はこの件を書きたてましたが、突然沈黙してしまいます。

ガストンは優秀な成績で学業を修め、外務省に勤務していましたが、責任無能力者と宣告され、精神病院に収容されてしまいます。

この事件に関して家族の証言は食い違い、結局うやむやに終わりました。ヴェルヌ本人も何も語りませんでした。

(引用ここまで)

ガストンの事件から1年もたたないうちに、ヴェルヌの母親が他界しました。

ヴェルヌは母親の葬儀に出席する力もなく、何事にも嫌気がさし、次第に刺々しくなっていきました。

ヴェルヌはかつて擁護した価値を信じられなくなっていました。

それでもヴェルヌは、秘密結社の指示に従って書き続けます。

しかし、そこには何の喜びもありません。

時とともにヴェルヌはますます悲しみに沈み続けます。

ヴェルヌの妻オノリーヌは、夫が暗く憂鬱になり、大きな孤独に取りつかれ、心の底深くしまい込んだわけのわからない秘密に苛まれていくのをはっきりと感じていました。

そしてヴェルヌが、自分の私生活に誰にも興味を持ってもらいたくないと願っていることが、傍目にもわかりました。

おそらく、自分の秘密は誰にも明かさない方がよいと考えていたのでしょう。

生きる意欲さえ失っているようでした。

船の艤装をやっている義弟のギヨンが帆船を作り、それに「ジュール・ヴェルヌ号」と名付けたときでさえ、進水式に出向こうとはしませんでした。

また、甥のマクシムの結婚式に出席しようとしませんでした。

ヴェルヌは人生に失敗したという気持ちになっていたのでしょうか。

『悪』のために働いてきたとい罪悪感を抱いていたのではないでしょうか。

彼の心は、まさに孤独と怒り、絶望と不安、苦悩と不平、 不満のかたまりとなっていたようです。

ジュール・ヴェルヌは死の直前、何百通もの手紙や私的文書を燃やしています。

その中には、未発表原稿や家計簿も含まれていたそうです。

またヴェルヌは、私生活について話題にされるのを好みませんでした。

あれだけの大作家なのに、自伝の執筆を依頼されてもきっぱりと断っています。

それだけ大きな秘密を抱えていたということでしょうか。

彼は晩年、悲観主義に陥り、白内障と糖尿病を患い、1905年に他界しました。

さて、今回ジュール・ヴェルヌについて調べてみて、私が一番驚いたのは彼のお墓でした。

ジュール・ヴェルヌの墓石

墓石を持ち上げ、脱しようとするヴェルヌの姿がありました。

下記リンク先によると、このデザインはヴェルヌ本人の希望ではなく、遺族から『ヴェルヌの意思を』というリクエストがあったそうです。

○Jules Verne ジュール・ヴェルヌのお墓

私はこれを見て、ヴェルヌは『自分が死んだら地獄に引きずり込まれ、悪魔のもとで永遠に地獄の苦しみを受ける』ことを分かっていたのだと感じました。

このように、悪魔崇拝者の晩年は身内からも裏切られ、誰も信じることができず、絶望と孤独と後悔の中で、失意のうちに生涯を閉じることが示されています。

私たちはこのような愚かな人生を歩むことなく、神様だけを愛し、安らぎと喜びに満ちた人生を歩んでいきたいものです。

神様だけを愛し、安らぎと喜びに満ちた人生を歩むことについて詳しく知りたい方は、以下の有料(と言っても月に800円ですが)記事をお読みいただければと思います。

○RAPT有料記事378(2019年6月1日)主を愛して生きる人だけが、この世で天国のような喜びに満ちた生を生きられる。

○RAPT有料記事324(2018年11月3日)主を信じ愛する者は自ずと運命が好転し、主に反逆する者は自ずと運命が悪化していく。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆様に神様のお守りと救いがありますように。

ジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社(ミシェル・ラミ 著、高尾謙史 訳)

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