先日記事でお伝えした「通州事件」以外にも、中国人などによる日本人虐殺事件が、過去にいくつも起きています。
1946年2月3日、かつての満州国通化市で、中国共産党軍が日本人に対して一週間にわたり、虐待・虐殺を行い、民間人約4000人が殺害されるという事件がありました。
これを「通化事件」といいます。
通化市は、今の北朝鮮と中国の国境付近にあった街で、終戦時の通化は中華民国(蒋介石・国民党)政府の統治下に置かれ、満洲の奥地から日本に帰国しようとする多くの在留邦人や、引き上げのために集まった日本人、17000名が滞在していました。
日本人は、息をひそめて引き揚げの日を待っていましたが、この避難民に対し、共産党軍は財産や家屋を略奪したり、女性を強姦するなどしていました。
これに対し、我慢の限界を超えた日本人が武器も持たずに一斉蜂起すると、共産党軍はこれを鎮圧し、日本人約4000人を零下30度の極寒の中で、殺害、監禁、虐待しました。
共産党軍は、日本人を一人一人首を針金でつなぎ合わせて連行し、極寒の中、素足に下駄履きで、病人も構わず行進させたそうです。
そして、8畳ほどの部屋に120人が強引に押し込められ、酸欠で苦しむ人や、発狂する人が続出し、窓から逃亡する人は容赦なく銃撃されました。
殺害された人は、立ったままの姿勢で放置されるか、他の抑留者の足元で踏み板とされたそうです。
他にも、家族が見ている前で強姦されて自殺した女性や、劣悪な環境下で放置され、凍傷や病気で死ぬ人も続出しました。
また、この事件の背後には国民党軍と共産党軍の勢力争いも関係していたとのことです。
当時、通化では、国民党軍と共産党軍の勢力が激しくぶつかり合った結果、国民党にかわって共産党軍が通化をほぼ支配するようになっていたため、国民党軍は共産党軍に不満を持つ日本人と手を結び、通化を奪い返そうと密かに動いていました。
そのような状況下で、通化事件が起きたわけです。
この通化事件についても、中国と日本の政府はどちらも隠蔽しており、学校の教科書には全く出てこず、多くの歴史書や年表にも載っていません。
残虐極まりない行為を繰り返す中国共産党が一刻も早く滅び去り、世界に真の平和と安息が訪れますことを心から祈ります。
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