RAPTさんから学んだ、何事も徹底的に行うという生き方(十二弟子・エリカさんの証)

RAPTさんから学んだ、何事も徹底的に行うという生き方(十二弟子・エリカさんの証)

RAPTさんは、どんな活動をするにしても、日々の生活においても、大きなことから小さなことまで、何事も徹底的に行われます。

何か良いアイディアが思いつくと、即座に行動されて、そのために必要なものもすぐに手配されます。

そして、納得のいく答えが出るまで何度も何度も試されます。

大抵の人は、その過程が面倒だと感じてしまい、途中で諦めてしまいますが、RAPTさんはそのような雰囲気を微塵も出さずに、最後まで徹底的に行われます。

RAPTさんは昔からそのように行うことが当たり前だったため、誰もできない神業を次々と行えるのだということを、近くで見ていていつも肌身に感じます。

RAPT有料記事558(2021年5月10日)主は行う人に共にし、力を与えられる。そして、最も行う人を最も祝福されるから、主は公平で公義な方だと誰もが認めざるを得ないのだ。

私はこれまで、不得意なことは極力避けようとしたり、頑張るところは頑張るけれど、楽できることは楽して、自由に生きたいと思っていました。

特にそれが悪いとも思っていませんでした。

しかし、愛媛に来てから、RAPTさんの近くで活動させて頂くと、自分の詰めの甘さや浅はかさを痛感しました。

〇RAPT有料記事328(2018年11月17日)今の自分のできることだけをやって主を喜ばせようとするのではなく、真に主が願われていることを行える能力を身につけて行う者となりなさい。

まだまだできていないことだらけですが、全てのことに配慮して、何事も徹底的に行うことがどういうことなのかを、RAPTさんから毎日学ばせて頂いています。

ここ最近の朝の祈り会の御言葉では、特に「何事も全力で行いなさい」という御言葉が宣布されており、その御言葉通り実践するには、またゼロから気持ちを入れ直さないといけないと思っていました。

すると、本日の朝会の御言葉で、具体的にどのようにすればいいのかを教えてくださいました。

〇朝の祈り会(2021年8月分)
2021年8月8日(日)全力で行うということは、集中して行うということだ。集中力のない人は何事も長続きしないので、永遠に神様と愛を成すことも到底できない。そして集中力は、雑念(罪)をなくしてこそ身につくものだから、徹底的に罪を悔い改めて心を洗い清めなさい。

神様の世界では、全力でやればやった分、祝福がありますし、身も心も軽くなっていきます。

頑張れば頑張った分、疲れて身も心も重くなってしまいそうな気がしますが、逆にどんどん軽くなっていくので、本当に不思議です。

私自身これからもっと徹底的に行って、神様の栄光をもっと表すことのできる者になりたいと思いました。

そして、もっと多くの人たちが、この世の洗脳から解放されて、神様と愛でつながり、真の幸せで満たされる人生へと導かれることを心から願います。

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