あるとき、私の姉が聖書について質問をしてきました。
「聖書って難しいな」
「どうして神様は、聖書をもっと分かりやすく作ってくれなかったのかな?」
聖書を普通の物語のように読んですぐに理解しようとすると、とても難しいと感じます。
正直なところ、私も読み始めた頃は、分からないことだらけで、読むには読めても、その奥にある深い意味を悟れず、挫折しそうになりました。
では、どうして聖書は、読みにくい書物なのでしょうか。
RAPTさんは、聖書には幾重にも封印がされているからだと教えてくださいました。
さらっと読むだけで、誰でも簡単には理解できないように鍵をかけてあるのです。
とても貴重なので「神様の真理は隠されている」ということです。
そう聞いて私は、余計に知りたいという強い衝動に駆られました。
神様は、「読み手が、神様を知りたいと本気で願うようになるまでは、悟れないようにしていらっしゃる」と、つくづく思います。
神様を本気で知ろうとしなければ、まずここで最初の関門を通過することができないのです。
しかし私たちが、神様の心情を理解したいという真心を持って読むなら、神様は読むたびに新しい悟りを与えてくれます。
聖書は一生読み返し続けても、飽き足りない最上の愛と知恵の宝庫です。
今では、私は時間の許す限り、もっと読みたい、神様をもっと知りたいと思うようになりました。
また、日々の罪を悔い改めて、清い心の状態を保つことも、内容を深く理解する上で重要です。
罪の中にあるときには、素直な心の状態ではないので、どこかに疑いの気持ちが出て、読み辛くなってしまいます。
その他にも、初めのうちは聞き慣れない言葉や、人名、地名、様々な比喩表現などに苦戦しました。
しかし、そのような中でも私は、聖書を読みはじめる前にRAPTブログを読んでいましたので、「それでも頑張って読めるか、それでも神様を信じられるか」と問われ、神様に試されているのだと思って、喜んで読み進めることができました。
このような「神様の最初のテスト」を突破しなければ、信仰のスタートラインにも立てないのだと考え、上手く読み進められるように、理解できますように、悟れますようにと神様にお祈りしながら読み続けました。
すると、旧約から新約聖書まで、通読の回数を重ねるごとに、たとえば最初は読みにくかった戦闘の場面なども自分たちのことのように、共感して読めるようになりました。
数年前から、私もX(旧 Twitter)やブログ上などで真実の情報拡散をするようになりましたが、私には全てが手探りで、未知の世界でした。
このような公の場で、真実を拡散するという「義を行う」ことは、戦いです。
工作員から妨害コメントを書かれたり、X 社にはフォロワーや、インプレッションを不自然に減らされたりもしています。
それでも、RAPTさんをはじめ、兄弟姉妹たちは神様に導かれ、Xや動画などで、真実を拡散しながら工作員を論破し、勝利してこられました。
実際に、どんなに激しい言論弾圧の中にあっても、RAPT理論は世論に影響を与えるほど大きくなっています。
私はRAPTさんのご活躍を拝見して、旧約聖書に登場する、神様に護られ、導かれて戦い、次々と勝利を収めた中心人物ヨシュアと重なりました。
そして今も、神様は具体的にどのようにして義を行うべきかを、毎日、RAPTさんが受けてくださる啓示の御言葉によって、手厚く私たちを導いてくださっています。
このように、聖書の通読と他の義の条件とが、相乗効果を生み出し、さらなる悟りを得られ、理解力を深め、行動力を高めます。
とにかく、聖書と並行してRAPTブログを、浴びるように読み返したり、聴き返したりすることをオススメします。
その上で読むと、驚くほどに様々なことを深く悟ることができます。
御言葉には、世の中に出回っている解説本では得られない、宝石のような貴重な答えがたくさん詰まっているからです。
決して大げさな表現ではなく、聖書や御言葉を普通に読んでいても、実際に神様のお考えを悟れた時には、心から感動し感謝で涙があふれます。
ではなぜ、RAPTさんはこのように他では得られない次元で、解り易い解釈ができるのでしょうか。
それは、RAPTさんが神様を誰よりも愛し、常に豊かに聖霊を受けられ、啓示を受けてくださるからこそ、次々と聖書の封印を解くことができるのです。
数千年もの間、多くの歴代の預言者たちが、解きたくても解けなかった封印を、次々と解いてくださっています。
つまり、これこそが本物の使命者である証でもあります。
神様は条件なしには、御言葉や祝福を与えることはありません。
RAPTさんが神様の前で、これまでも、今現在も、迫害に屈することなく、膨大な条件を立ててくださっているからこそ、私たちはその恩恵をRAPTブログを通して受けられるのです。
その愛と偉業を思うとき、感動せずにはいられません。
○この時代に神様の遣わす中心人物は、聖書の封印をすべて解く人だ。
聖書はそれぞれの時代ごとに、書かれた内容や書いた人物は様々ですが、この世界的ベストセラーを書くよう許諾し、プロデュースされたのは、他でもない神様です。
読めば読むほど、神様がどのようなお考えで、どのような心情をお持ちなのかを、もっともっと知りたくなります。
聖書と御言葉は、自分が神様への感謝の気持ちが溢れているときや、恵みを受けて感動しているときなどは、特にスルスルと頭に入ってきて理解でき、さらに深い感謝と感動を呼びます。
逆に、自分の目の前の雑多なことに翻弄されているときには、集中力も落ちてしまい、一生懸命に読み聴きしていても、全く自分の中に入ってきません。
さらに深く悟って感動を得るには、聖書と御言葉を学ぶ以外にも、義の条件の積み重ねが重要です。
明け方の時間に、神様に感謝や悔い改め、願いなどをお祈りし対話する。
心から感謝して賛美歌を歌う。
真実の情報拡散、救われた経緯を文章に書いたりして、神様の素晴らしさを伝える。
RAPTさんや兄弟姉妹のために祈り、人々の救いのために祈り、悪の滅びのためも深く祈ること。
さらには、与えられた個性や才能を磨くこと。
このような基本的な義の条件を、愛を持ってコツコツと行ってこそ、聖書を通して神様のお考えや、心情を理解し、賢くなれるように導いていただけるようになるのです。
それをRAPTさんご自身が、祝福を受けられ大きく栄えられることで、証明してくださっています。
○神様と同じ頭脳になるということは、神様と同じ知識量を持つということではなく、神様と同じように物事を分析し、判断し、対処し、行動するようになるということだ。
私が通っていたミッション系の学校では、聖書を解釈する授業の中であっても、新約と旧約を全て通読しなさいとは一切言われませんでした。
しかし、どんな物語でも、国語のテストの問題文のように、一部分だけを切り取って読んでも少しも面白くないですし、感動することはありません。
聖書は何度も通読してこそ、「そのとき神様の伝えたいこと」を何度も受け取ることができます。
ではなぜ、世の教会や学校では、通読をすすめられないのでしょうか。
RAPTさんによると、既存の教会は、聖書の真理を悟れないように工作されてしまっているそうです。
せっかく信仰を持ちたいと思い、希望を抱いて教会に集まった人々の信仰を浅くさせて、真の救いから遠ざけていくのです。
○キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。
それでも神様は、旧約聖書と新約聖書の両方を、世界中の人が誰でも読めるように様々な方法で与えてくださっています。
現在、書籍の聖書は通販でも購入できますし、kindleや無料アプリでも簡単に手に入れることができます。
さらには、私たちそれぞれが、最上のタイミングでRAPT理論や御言葉と出会っています。
これは、決して偶然ではありません。
神様は私たちを導き育てるために、すべてを緻密に計画し用意してくださっているのです。
◯RAPT有料記事612(2021年12月11日)新約時代から成約時代に至るまでの2000年の歴史がどのように成されるか、神様は最初から全て分かった上で私たち一人一人を導いてくださっている。
ならば私たちは、聖書と御言葉という最高の教科書を喜んで受け取り、一生かけて学びつづけるべきではないでしょうか。
ーーーー
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネによる福音書8章31~32節)
ーーーー
聖書通読を通して得られる真実、真理は理路整然としていて、とてもシンプルです。
神様は、私たちがこれまでに味わったことのない喜びと、感動を用意して、私たち一人ひとりを、待っていてくださいました。
今こそ、清い愛と真実、真理を手にしてください。
神様は、私たちが本当に清い者となって、求め続けるなら、限りない愛を与えつづけてくださいます。
本物の愛は、私たちのすぐそばにあります。
しかし、それは私たちが強く祈り求めて行ってこそ与えられる至高の愛なのです。
コメントを書く