日本を代表するプロレスラー「アントニオ猪木」が1日、心不全により79歳で死亡しました。
アントニオ猪木は、移住先のブラジルでプロレスラーの「力道山」にスカウトされて帰国、17歳でプロレス界に入りました。
その後、1972年には「新日本プロレス」を立ち上げて、プロレス界をけん引、さらに、1989年に参院選に出馬し、政界でも注目を集めました。
また、2013年には、維新の会から立候補して2回目の当選を果たし、33回に渡って北朝鮮を訪問するなど、独自の外交を展開しました。
しかし、2020年に自身のTwitterを通して、難病に指定されている「心アミロイドーシス(全身性トランスサイレチンアミロイドーシス)」に侵されていることを告白、晩年は痩せ細り、弱りきった姿をYouTubeなどで配信していました。
○【李家・群馬人脈への裁き】アントニオ猪木、闘病生活で見る影もない姿に
そんなアントニオ猪木は、「福田赳夫」をはじめ、多くの政財界の大物たちと親交を深め、幅広い人脈を築いていたことでも知られていますが、実はアントニオ猪木のバックボーンは、かの「笹川良一」でした。
1971年、アントニオ猪木は、力道山によって設立された「日本プロレス」に対し、クーデターを画策したとして永久追放されました。
そのため、アントニオ猪木は新たに「新日本プロレスリング株式会社」を設立しましたが、この活動を「笹川良一」やフィクサーと呼ばれた「児玉誉士夫」のほか、自民党の議員らが支援していたそうです。
しかも、笹川良一は「新日本プロレス」の初代コミッショナーに就任、その後、自身の付き人だった空手家の「鈴木正文」を代行として就任させ、レフェリーも兼任させたとのことです。
このようにアントニオ猪木は、笹川良一から強力なバックアップを受けていたからこそ、プロレス界でも政界でも幅広く活躍できたというわけです。
実際、笹川一族の傘下組織である「笹川スポーツ財団」が、アントニオ猪木の特集ページを組んでいます。
また、アントニオ猪木は33回に渡って北朝鮮を訪問していますが、これもまた北朝鮮の金一族と親戚関係にある笹川良一の根回しによって実現できたと考えられます。
○【北朝鮮拉致問題のウラにも日本財団】 2002年の「日朝首脳会談」で小泉元首相と金正日を対面させたのも「笹川陽平」だった!!
しかし、アントニオ猪木のように、笹川一族の権力に便乗して大きく栄えたとしても、彼の晩年の姿を見ても分かる通り、悪人に加担した以上、必ずその報いをその身に受けることになります。
この日本を操り、国民を食い物にしてきた笹川一族と、彼らに与する全ての悪人たちが厳正に裁かれ、滅び去りますことを心から祈ります。
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