聖書の神様を愛することで、時間にも心にもお金にも余裕のある暮らしが与えられた!!(RAPTブログ読者・ユキさんの証)

聖書の神様を愛することで、時間にも心にもお金にも余裕のある暮らしが与えられた!!(RAPTブログ読者・ユキさんの証)

誰しも、自分に幸福をもたらしてくれそうなものや、喜びをもたらしてくれるものを手に入れようと労苦したことが何度もあるのではないでしょうか?

私も当然、そのようなことを何度もしたことがあります。

世の中に存在しているいろんな物事について見聞きして、自分が良さそうだと思ったものを手に入れようと労苦するというのは、どの人も当然のように行う自然な活動だとすら言えるかもしれません。

しかし、自分で考えて、自分にとって良さそうだと思った物事が皆、自分にとって本当に幸福や喜びをもたらしてくれることは稀です。

例えば、ネットショッピングで色々みて周り、これが良さそう、あれが良さそうと思って、何時間もじっくり品定めして、いろんな類似商品を比較して本当に良さそうなものを買ってみても、いざそれが手元に届いてみると、自分が思っていたよりも良いもの、幸福をもたらしてくれるものではなかったという経験は、誰にでもあるのではないでしょうか?

これと同じことが、私たちの人生のあらゆる局面で起きていると思うのです。

すなわち、自分が良いもの、自分に幸福をもたらしてくれると自分が判断したものが、実はそんなに自分に益をもたらしてはくれず、逆に、自分の思いもよらないところに、自分を幸福にしてくれるような物事が転がっている、ということばかりなのです。

もし、私たちが全世界、あるいはもうちょっと狭く日本全国津々浦々を見渡して、今の自分に本当に益となり、幸福をもたらしてくれるものを見出して自分の元に手繰り寄せることができるとしたら、私たち常に最高の幸福が手に入るはずです。

でも、私たち人間はそんなに大きな存在ではないし、自分の住むこの世界のことを知り尽くしているわけでもありません。

それでも、そんな大きな存在がいて、私たちのために、私たちの今置かれた環境や状況や能力に応じて、最も幸福になるようにこの世のものを色々手配してくれたらよかったのに!

という一見すると荒唐無稽なこの考えは、実はあながち間違いでもなく、実現不可能でもありません。

なぜなら、この私が、そのような人生を実際に生きているからです。

その生き方とは、どのような生き方か?

それは、聖書で証された実在する神なる主を愛する方法を学び、その方を愛し、その方に愛されて生きる、という生き方です。

私はかつて、自分で自分を幸福にすることすらできない絶望の中、RAPTさんからその生き方、聖書の神なる主を愛するという方法をどこまでも具体的に学びました。

◯RAPT有料記事128(2016年12月12日)豊かに聖霊を受けるための基本的な信仰の4つの柱。

それを実践し、主を愛するということを極めようともがいて生きた分だけ、私の周りには私に幸福をもたらしてくれるものが増え、それらが私を取り囲むようになったのです。

私の周りには、私が主に祈り、主に願い求めて得た、あらゆる良いものがあります。

本当の愛を知りたいと願えば、神である方から来る本当の愛が存分に与えられ、聖書を悟りたいと願えば、聖書をスラスラ読み解くことのできる悟りが与えられ、心を清めたいと願えば、願った分だけ私の心が確実に清められます。

なんであれ、できなかったことができるようになりたいと願えば、願って努力した分だけ、かつての自分には考えられなかったほどの成長と発展が与えられ、仕事が欲しいと願えば、思いもよらなかったところから自分にどこまでも合った、どこまでも働きやすい仕事が与えられ、問題を解決したいと願えば、そう祈り願った問題がまるで嘘みたいにサッと解決に向かいます。

例えば、私が御心の為にとある処理をするアルゴリズムを考案しなければならなくなったとき、丸一日もがいてなに一つ進展がなく、もうだめだ、こんなの私にできっこないと思いながらも、一縷の望みを抱いて明け方祈り求め、「どうか、私にどうするべきかを教えてください」と必死に祈り求めると、その次の日、同じ問題に取り組んでいたはずなのに、昨日までは全く思いつきもしなかったような霊感がふと思い浮かび、その通りに実装してみると、実際に実装できてしまった!なんてことがありました。

他にも、私が御心の為に学問がしたいと霊感を受け、それを願い、そのためにどのような教材を使うべきかと祈り求めたら、私の思いもよらなかった、世間的には全くの無名の教材によって、それまでには考えられなかったほどに種々の理解が進むといったこともありました。

さらに、私が生まれて初めて働かなくてはならなくなったとき、働きに出るという未知の経験に対する恐怖から、主に「どうか私にあった仕事をください!」と必死に祈り求めていると、私の個性才能にあった仕事がたまたま両親経由で紹介されるということもありました。

それだけでなく、明け方に、悟りをください、と懸命に祈ってから、朝起きて聖書を読んでみると、聖書の御言葉一つ一つがまるで私に語りかけてくるように、その聖句を霊感を受けて書いた人々の、ダビデならダビデの、エズラならエズラの、イザヤならイザヤの、心情がひしひしと伝わってくるということも何度も体験しました。

また、私の信仰が弱くなって、打ちひしがれていたときには、それでもと思って奮起して明け方祈り求めていたら、主が豊かに聖霊を送って私を励ましてくださることも、数えきれないほどありました。

◯RAPT有料記事713(2023年1月14日)祈ることが、神様から祝福を受けるための必要最低条件だ。今、あなたが不足しているのであれば、それはあなたが祈らなかったからだし、あなたが満たされているのであれば、それはあなたが祈ったからだ。

◯RAPT有料記事716(2023年1月28日)天国とは、神様が常に祝福を用意して待って下さり、必要に応じて最上級のものを与えて下さる世界だ。そのような世界をこの地上で作るために、神様は大バビロンを滅ぼし、私たちを導き育てて下さっている。

まさに、RAPTさんが教えてくださっている通りに主を愛するならば、主が私の願いを聞いてくださるのです。

神などいない、などと考えるのは非常に愚かです。

私は、RAPTさんを通じて神である方を知り、神である方に知られ、神である方を愛し、神である方に愛されることで、世の中の人のように、良いものを自力で探して自分の元に手繰り寄せようとする努力を一ミリもしなくて良くなりました。

この混沌極まる時代に、私は時間にも心にもお金にも余裕がある暮らしをしていて、しかも私はそれらのものを一ミリたりとも自力で得たわけではなく、聖書の神である方、主を通じて、RAPTさんが教えてくださった通りに、私の元にもたらされているのです。

そうです。

私はたくさんの良いものに囲まれ、世の中の人には決して得られないような余裕のある暮らしを、自力で手繰りよせることすらせず、全て神である方からいただいてきました。

◯RAPT有料記事872(2024年10月5日)人は心の余裕、時間の余裕、経済の余裕があるときに幸福を感じ、これら一つでも失うと不幸を感じる。そして、これらのものは神様を愛することで、神様が全て豊かに与えてくださるものだ。

私を囲む良いものは全て、聖書の神、主である方からのいただきものなのです。

ですから、私はたとえ自分を囲む良いものが、私の元を離れていったとしても、動揺することも狼狽することもありません。

一切労苦せずに手に入れた、主からのいただきものであることを知っているから、これらのものに執着すら生じないのです。

主を愛するなら、いずれ良いものが自分の元にやってきます。

主を愛さないなら、良いものは自力で探さなければなりません。

これは、私がRAPTさんに教えられ、RAPTさんの御言葉を実践した私が本当に体験したことなのです。

RAPTさんが教えてくださっている通り、本当に良いものは、祝福の根源者である方、聖書の神である方、主がご存じです。

愛であれ、真理であれ、世の良いものであれ、本当に良いものが欲しいなら、RAPTさんの御言葉に従って、主を愛する方法を具体的に学び、実践するのがいちばんの近道なのです。

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