200万人の命を奪ったポル・ポト率いるクメール・ルージュのカンボジア大虐殺も、中国共産党(毛沢東)の指示によるものだった

200万人の命を奪ったポル・ポト率いるクメール・ルージュのカンボジア大虐殺も、中国共産党(毛沢東)の指示によるものだった

1975年から1979年の間、カンボジアでは共産主義を推し進めたポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)によって大虐殺が行われました。

これを「カンボジア大虐殺」といい、カンボジアの人口の約4分の1に相当する200万人の命が犠牲となりました。

○Wikipedia-カンボジア大虐殺

ポル・ポト

当時は、大量処刑、強制労働、身体的虐待、が横行し、教師や専門家といった知識層を徹底的に殺害し、復讐を恐れたため、その親族たちをも老若男女から赤子に至るまで殺しました。

さらには農民にも魔の手が伸び、撲殺、斧で首を切断、木に叩きつけたり、有機塩素系の殺虫剤を食事に混入させて処刑するなど、残虐さを極めました。

また、宗教を禁じ、寺院を破壊し、学校や病院も閉鎖し、共産主義の敵であるとの名目で貨幣制度も撤廃しました。

○カンボジアの血塗れた歴史〜キリングフィールド〜

○ポル・ポトはなぜ大量虐殺をしたのか?カンボジアの悲しい歴史に触れて変わった思い

○カンボジアでの大量虐殺 ※グロ注意

拷問を受けて殺された人々

実はポル・ポトは、1949年にパリに留学した際、毛沢東の思想に感化され、極端な社会主義を信奉するようになり、毛沢東の影響を強く受けた結果、カンボジア大虐殺を引き起こしたと言われています。

しかも、このカンボジア大虐殺は、中国の指図によるものだとの見方もあります。

1950年代からポル・ポトは頻繁に中国を訪問し、中国共産党の党員から政治的、軍事的教育の理論について教育を受け、1975年6月にポル・ポトとクメール・ルージュの構成員とが毛沢東と北京で面会しました。

その際、毛沢東は持論の「无产阶级专政下继续革命理论(プロレタリア独裁の下で革命を継続するための理論)」を説き、マルクス、・レーニン、スターリンが執筆した30冊を超える本を贈ったと言われています。

このときクメール・ルージュは、中国から少なくとも10億ドルの無利息の経済的かつ軍事的な支援を受けましたが、外国からの支援のうち、90%ほどを占めていたと推定されています。

こうした事実から、カンボジアは当時すでに中国の支配下にあったと言っても過言ではありません。

現在、カンボジアは中国から繊維業や観光業、インフラなどの分野で5年間で1兆円を超える投資を受け、国中が中国の支援で建設されたインフラとシステムで溢れかえっており、25万人の中国人労働者がカンボジアに移り住んでいると言われています。

○もはや中国抜きでは語れない。大きく変貌するカンボジア、中国人観光客はこの10年で10倍に

このように中国共産党は、世界各国を社会主義思想に染めて自身の支配下に置くため、罪のない多くの人々を虐待・殺戮し、その国を乗っ取る計画を進めてきたわけですが、彼らの悪事によって、どれほどの多くの命が犠牲になったか計り知れません。

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これまでこれらの事実が表立って騒がれなかったのは、中国共産党がこれらの事実をうまく隠蔽してきたからに他なりませんが、これらの中国共産党の数々の蛮行を知った私たちが、徹底的に彼らの滅びを祈らなければなりません。

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