RAPTさんから本当の謙虚さを学び、毎日が学びの機会となった(十二弟子・KAWATAさんの証)

RAPTさんから本当の謙虚さを学び、毎日が学びの機会となった(十二弟子・KAWATAさんの証)

私は、RAPTさんの下で様々なことを学ばせていただく中で、世の中で言うところの「謙虚さ」と、神様の仰る「謙虚さ」は、全く違うということを知りました。

これまで私は、RAPTさんとNANAさんに同行させていただき、日本各地を旅する機会をいただきました。

その中でRAPTさんは、「本当の意味で謙虚にならなければ、絶対に成長できない」と、いつも私に仰ってくださいました。

しかし当時の私は、RAPTさんの仰る「謙虚になる」ということがどういうことなのか、なかなか理解できませんでした。

私が認識していた「謙虚」とは、「遠慮がち」「消極的」「自分を卑下する」というようなイメージだったのですが、RAPTさんが仰る「謙虚」は全く意味が違ったのです。

RAPTさんは旅の途中で私に、「もし何か自分に少し秀でたことがあったとしても、この巨大なビルを建てることはできないし、全く触れたことのない分野で、あなたは常に素人であり、どこまでも無知な人間なのだ」と仰いました。

「私(RAPTさん)は、いつもそのように思って、どんなに一つのことに突出したとしても、常に自分は何も知らないと思って学ぼうとするし、何かするにしても中途半端にするのではなく、世界一を目指して本気で努力する」とも仰いました。

このようにお話してくださったことで、本当の謙虚さが何なのかを知り、自分の現状を受け止めて真摯に努力する人こそ、さまざまな分野で頭角を表し、世界一になることができるのだと分かりました。

そしてRAPTさんの仰る「謙虚」がどういうことなのか、なかなか理解できなかったのは、本気で一つのことに打ち込み、世界一になるための努力をしていなかったからだと気付いたのです。

もし、何か一つのことを極めようとするなら、そのことだけでなく、その他の様々なことを学ばなければなりませんし、様々な能力も身につけなければなりません。

その現状を理解するだけでも、自分に入ってくる情報すべてが学びであり、経験であると気付き、どんなことからでも学びを得ようとするようになりました。

しかし、少し何かを得たり、少しできるようになって満足していると、自分の中から、あるとあらゆるものを通して学ぼうとする謙虚さや、自分がどれほど低いレベルにいるのかという現状を把握する謙虚さなどを失い、高慢な人間になってしまうのだと気付きました。

○すぐに「できない、できない」と言う人は謙虚なのではなく、自信がないわけでもない。むしろ高慢なのである。

一つのことに打ち込んで極めようとするのは、一見苦しく大変なことのように思うのですが、そのように努力することで、必ず目に見える結果となって表れ、神様が祝福してくださいます。

そして、ありとあらゆることから学ぼうとする姿勢で毎日を生きることによって、より一層毎日が新鮮に感じられ、実際に多くの情報を得ることによって視野が広がり、経験値も増えていきます。

過去の私は本当の謙虚さを知らず、謙虚に生きることで最も成長することができるということを知りませんでした。

そのため、何も能力がなく、突出してもいないのに、努力することもなく、偉そうにしていたと思います。

しかし、RAPTさんから直接御言葉をいただき、RAPTさんの生き方を目の当たりにして、真の謙虚さを知って生きることがどれほど人間にとって大きいことなのかを深く悟りました。

そして、実際に自分も一生懸命、より上を目指して努力することで、何もかもが学びで経験だと感じるようになり、生活が大きく変化しました。

信仰を持つ前までは、一日のうち多くの時間を「暇つぶし」に使っていました。

しかし今は、記事を書くことはもちろん、その他すべてのことが四六時中、学びの機会だと感じ、全てが興味深いと思うようになりました。

このように生きてこそ、人間は成長できるのだと実感し、こうして根気強く教えてくださるRAPTさんには感謝しかありません。

○RAPT有料記事234(2017年12月18日)自分の存在価値を発揮したければ、全人生を懸けて主につながる努力をしなさい。

RAPTさんは御言葉を通して、どのように生きれば成長し、本当に幸せに生きることができるのかを具体的に教えてくださっています。

世の中の間違った認識感を捨て、本当に正しい認識の元で生きる喜びを、より多くの人が実感し、幸せな生を生きられますことを心から願っています。

コメントを書く

*
*
* (公開されません)

Comment