倉庫内を進み、虹とハロを置いているはずの場所まで来たが、見当たらない。あの大きさの物を見落とすはずはない。困惑しながら忙しなく視線を動かしていると、背後から足音が聞こえてきた。慌てて振り向くと、チユリさんが立っていた。そうか、チユリさんが中にいるから、倉庫の鍵が開いていたのか。
「残業ですか?」
「誰かが荒らした形跡があったから、その片付けをしていたの。倉庫の掃除を割り当てた上に嫌がらせなんて、ほんと参っちゃうわ。プレトさんはどうしたの? 何か探しもの?」
「ここに置いたはずの虹とハロを探していて……」
「あ、あれね。実はね、今朝、廃棄しろって指示されたのよ」
「え」
「詳しい理由は言われなかったけれど、場所を取るだけだから捨てろって……」
理由はきっと、いや、絶対にプレトへの嫌がらせだろう。それしか考えられない。あんなに苦労して採取してきたのに……
「邪魔なら、最初から採取しろなんて命じなきゃいいのに」
「まあ、実際に採取してくるなんて、予想もしていなかったのよ」
「うーん……まあ、そうなんでしょうね」プレトは思わずがくりと項垂れる。「思った通り、私を見殺しにしたかっただけなんですね……」
チユリさんが深い溜息をつく。
「そうとは思いたくないけど、現実を見ると、そうだったとしか言いようがないわね」
「あの、どこに捨てましたか? 早く探しに行かないと」
声がかすかに震える。チユリさんは両眉を持ち上げると、明るく言った。
「プレトさんとルリスさんが頑張って採ってきたのに、捨てるわけないでしょ! ちゃんと隠してあるわよ」
「へあ、ふぉ、ふぉんとうですか」
驚いて舌を噛んでしまった。
「本当よ。ついてきて」
チユリさんに案内されたのは、倉庫の奥の奥、ほとんど明かりの届かない暗い一角だった。
「ここよ」
チユリさんが、床に敷かれている薄いマットの端をめくると、回転式の取っ手と四角い枠が現れた。民家の床下収納に似ている。取っ手を引っ張ると、床の一部が外れ、下へと続く鉄製の梯子が現れた。
「これ、地下室への入口なの。掃除中にマットがズレて偶然見付けたのよ。こんな場所があるなんて驚きよね」
梯子を降りるチユリさんに続いた。スイッチを押す音が聞こえると、同時に電気がついた。地下室はとても殺風景だったが、いくつかの収納ラックがあって、そこに書類の詰まったクリアケースが並べられていた。ロッカーもいくつか置かれていた。何もないスペースにはブルーシートが掛けられていて、チユリさんがそれを剥ぎ取った。
「虹だ!」
小さく叫んだプレトは虹に抱きついた。隣にはハロもある。捨てられていなかった。チユリさんが守ってくれたのだ。
「パラライトアルミニウムを抽出せずに捨てろって言われたのよ。さすがに従えないと思ったわ。見付かる可能性もあるけど、ほとぼりが冷めるまでここに置いておこうと思ってたの」
「本当にありがとうございます! 実は、家に持ち帰ろうと思って探していたんです。ワクチンの解毒剤を作る実験をしたいのですが、事務所に異動させられたから研究所の機器は使えなくて……」
「まあ、そうだったの! でも、家に運んだ方が都合がいいわね。捨て方は指定されなかったから、『プレトさんのお家に捨てた』ということにしましょう」
「ナイスアイディアです! 自転車の荷台に積むの、手伝っていただけますか?」
「そっか、レグルスがないから自転車なのね。虹とハロを自転車に乗せるのは無理があるから、私のレグルスに乗せましょ。お家まで運ぶわ。自転車は乗せられないけれど、大丈夫かしら」
「自転車は私が乗りますし、並走して案内します。でも、運んでいただいていいんですか? バレたら大変なことになりますよ」
チユリさんはにっこりして言った。
「私ね、倉庫の掃除をしながら神様にお祈りしているの。『正しい人が報われますように』ってね。そうやってお祈りしてると、プレトさんとルリスさんの顔が浮かぶの。しかも、プレトさんのためになりそうなことをすると、自然と元気が湧いてくるのよ。今も元気いっぱいなの。二人を助けるようにって、神様が力を与えてくださっているような気がするわ。だから、二人の味方でいさせてね」
鼻の奥がツンとした。敵は多いが、こうして味方になってくれる人もいるのだ。
「はい!」
プレトは思いきり返事した。
自宅の庭まで虹とハロを運んでもらい、チユリさんと別れた。物音で気がついたのか、ルリスが出迎えてくれた。
「おかえり! なにこれ!」
「私たちがレインキャニオンで採取した成果だよ」
家の中に運びこみ、今日一日、研究所で何があったのかルリスに説明した。
「うわー、研究所って前からそんな感じなの? ホワイトな職場だと思っていたのに」
「私もそう思ってた。福利厚生はしっかりしているけど、重役に目をつけられていない場合に限られるみたいだね。私やチユリさんみたいに、奴らの機嫌を損ねると、速攻で別部署に飛ばされるのさ」
「プレトがこれ以上いじめられないか心配だよ」
ルリスが神妙な面持ちになっている。するとそのとき、テーブルに置いているプレトの携帯電話が振動しはじめた。着信らしい。画面を見たプレトは「わっ」と驚きの声を上げた。
「誰から?」
「部長補佐」
「部長補佐? そういえば、そんな人いたね。随分と久しぶりだ」
「レインキャニオンに行く前に、密林へ寄り道するように指示を受けて以来だよ」
「出るの?」
「うーん、まあ一応」
最後の会話は見捨てられたような形で終わったので、気分は乗らないが、ひとまず出ておくことにした。ルリスにも聞こえるようにスピーカーモードにしておく。落ち着いた男性の声が聞こえてきた。
「お久しぶりです。研究所に戻ったようですね」
「はい、なんとか。ご要件はなんでしょうか。部長補佐は最近、研究所に出勤していないと聞いていましたが」
「今は出入りしていないですね。そもそも僕は研究所の人間ではないんです。研究所には訳あって侵入していました」
「え?」
一体、なんの話だ? ルリスを見ると、頭の上に疑問符が浮かんでいる。
「僕は、所長や関係者の不正を追っています」
「え……?」プレトはますます頭が混乱してくる。「でも部長補佐は、部長とグルになって、私たちを密林で罠にかけたじゃないですか。自分までそんな悪いことをしておいて、部長の不正を追ってるなんて……なんか矛盾してませんか」
「あのときは所長の駒になって、内部を探っていましたから」
「そうですか。敵の話を聞いている暇はないので、これで失礼してもいいですか」
通話を切ろうとすると、「待って」と遮られた。
「先ほども言いましたが、僕は研究所の人間ではありません。あなたたちの味方でもありませんが、所長の味方でもありません」
「何を言っているのか分かりません……目的はなんですか?」
「簡単に言うと、所長らはケーゲルを兵器として売買して、陰でボロ儲けしています。僕はその証拠を掴もうとしています」
「兵器? まるで戦争でも始まるみたいな……」
「詳細は秘密です。とにかく、奴らをどうにかしたいんですよ。じゃないと大変なことになる」
ルリスは顔をしかめながら話を聞いている。部長補佐は話しつづけた。
「ケーゲルや、ケーゲルの燃料であるパラライトアルミニウムの流通記録……例えば帳簿とか。そういったものがどこかに隠されているという情報が入ったのですが、どこを探しても見付からないのです」
「所長の取り巻きがデータで保管しているんじゃないですか?」
「それが、アナログらしいんですよ」
「いまどき?」
「はい。彼らの自宅にも置いていないらしいです。家族にも秘密にしておくために」
「……つまり、研究所のどこかにある可能性が高いから、それを私に探せと言いたいのですか?」
「察しがいいですね」
「私には無理です。他の有能な人に声をかけたほうがいいと思います」
「ぼくは、あなたたちがレインキャニオンへの道中で殺されると思っていました。でも無事に帰ってきた。とんでもない度胸と豪運の持ち主だ」
「偶然です」
「しかも、プレトさんは部署異動させられて孤立しているから、一人でうろついていても怪しまれない。適任ですね」
「でも、私がこのことを誰かに話したらどうするんですか?」
「陰謀論者呼ばわりされ、煙たがられているあなたの話を誰が聞くんですか?」
「……」ぐうの音も出ない。が、少し言い返しておきたかった。「帳簿の保管場所、大体の目星もついてないのですか? 目星がついてるなら、ご自身で探したらどうですか?」
「目星はついていませんし、僕は諸事情で研究所に出入りができません……おっと、着信がありましたので、一度切りますね。またかけます」
一時的に通話が終わった。プレトは溜息をつき、ルリスに訊いた。
「今の話、どう思う?」
「突飛な話だね。部長補佐って何者なんだろう。どこかの組織のエージェント?」
「そうかもしれないけど、訊いても教えてもらえないだろうね。帳簿探しか……人目につかなくて、アナログで記録した物を隠しておくのに適した場所。そんなの、研究所のどこにあるっていうの? あったとしても、私が知らない場所じゃないかな……」
ルリスは何度か首をかしげると、ふと思いついたように話した。
「チユリさんが虹を隠してくれていた倉庫の地下室は? 書類が置いてあったんでしょ?」
「え? あ、ああっ! そうだ! そうかも! あの地下室かも!」ルリスの両肩を掴んで揺さぶった。「ルリス冴えてる! 天才!」
「ぐえー、ありがとー」
「明日さっそく探してみようかな。でも、こっちからも条件を出さないとフェアじゃないよね」
プレトの携帯電話に再び着信が入った。
(第65話につづく)
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