私の中学生時代のことなのですが、教師たちがやたらと「自己責任」という言葉を多用していたのを覚えています。
ほとんどの教師が、何かある度に「自己責任」と言っていたので、本当に耳にタコができるのではと思ったくらいです。
生徒たちに自分の行動に責任を持ってほしいという思いでそのように言っていたのだと思いますし、自分の行動に責任を持ち、考えながら何かを行うというのは、実際に大切なことだと思います。
しかし、当時は「自己責任」という言葉が一人歩きして、息苦しさの象徴になっているようにも見えました。
自分の行動に責任を持つという意味合いから徐々にずれていき、「何もかも自分でやらなくてはいけないんだ。誰か(大人)に頼っちゃいけないんだ」といった空気感が漂うようになり、そのせいか、教師と生徒の間になんとなく隔たりがあるようにも感じられました。
私を含め、一人一人が静かな孤独感に包まれているかのようでした。
私もやはり、誰かに頼らず、全て自分で行わなければならないという考えがいつの間にか頭にこびりつき、自分で自分に制限をかけるような思考回路を持つようになっていました。
日常生活の中で起こる問題すべてを、自分の知識や力で的確に解決していくことは不可能なので、「自分でやらなくてはいけないんだろうけど、一体どうしたらいいの?」と悩むのが当たり前になっていました。
そんなあるとき、RAPTブログに出会い、神様の御言葉を学ぶようになると、「神様は人類から依り頼まれることを心から願っていらっしゃる」と知りました。
○RAPT朝の祈り会2024年4月
2024年4月25日(木)神様の偉大な力を信じ、神様が私たちを幸福にしてくださるという強い信仰を持ちなさい。強い信仰がなければ、サタンにやられて不安・心配だらけの生を生きるしかない。しかし、強い信仰を持つなら、常にサタンを撃退し、喜びと希望に満たされて生きられる。
2024年4月29日(月)神様の愛と力を信じてこそ、心が安定し、人生も安定する。そして、神の力と権威が宿り、祈ったことは全て叶えられ、サタンもその人を見て恐れをなして逃げていく。
2024年4月30日(火)神様の愛と力がどれほどのものなのか、人間の頭で考えて理解できるものではない。だから、最後はただその偉大さを信じるしかない。このことを悟って、実際に神様の愛と力を信じる人が真に賢い人であり、神様はその人を見て喜ばれ、義とされる。
神様を心から信じて、どんなことでも祈り求める人のことを神様は喜んでくださると、RAPTさんが御言葉を通して伝えてくださっていたので、「こうなったらいいな」と日頃から思っていることを、神様に素直に打ち明けてお祈りするようになりました。
すると、10年以上何にをしても改善しなかった体の不調が治ったり、今まで書いたことがなかった小説を連載させていただけたるようになったり、といった様々な奇跡を体験できるようになりました。
◯10年以上苦しんでいた慢性的なPMS(月経前症候群)と蕁麻疹が、信仰生活を送ることで一年足らずのうちに回復した奇跡(RAPTブログ読者・トパーズさんの証)
◯神様に私を使ってくださいと熱く祈り求めた結果、連載小説を書かせていただけるようになった(RAPTブログ読者・トパーズさんの証)
○【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第1話・運命の命令書」by RAPT×TOPAZ
信仰を持って間もないうちは、「全てを自分でやらなくては」という考えを完全に払拭することができず、神様に頼ることに抵抗感や罪悪感を覚えてしまうこともありましたが、そのような感情がなくなるように神様に祈り求めると、胸の中でもやもやとしていたものが消えていくような感覚があり、心がすっきりしていくのを感じました。
たまに、これまで体験したことのないような問題が起こると、「解決できなかったらどうしよう」と必要以上に心配してしまうこともありましたが、RAPTさんは御言葉の中で「どんなことも心配する必要は全くない」と教えてくださいました。
このとき、天地万物すべてを創造した神様に頼れるということが、人類にとってどれだけ心強く、どれほど幸福なことなのか、はっきりと分かりましたし、どんな問題が起きたとしても、心配せずに祈り求めれば、神様が必ず解決してくださるのだと確信しました。
それによって、自分でも気が付かなかったような、寄る辺ない寂しさもなくなり、代わりに胸に温かいものが充満していったのです。
○RAPT朝の祈り会2024年5月
2024年5月13日(月)心配と信仰は相容れないものだ。心配するから、サタンが働き、あなたは神の体になることができない。祈りで全ての心配をなくし、聖霊に満たされた神霊な者となり、強い信仰を持って神様が強力に働く神の体となりなさい。
○RAPT有料記事133(2016年12月31日)自分の足りなさを認めて神様にすがりつく者こそ、この世の誰よりも高められる。
○RAPT有料記事216(2017年10月16日)神様に頼らない者は一しか与えられず、神様に頼る者は無限に与えられる。
各世代によって、それぞれ受けた教育は違うと思いますが、「人を頼らない、甘えない」といったことを誰でも一度は言われたことがあると思います。
ですが、人ではなく神様をどこまでも頼って、願っていることをすべて打ち明ける人生を送れば、神様が真の幸福を約束してくださり、心身ともにどこまでも健康に生きることができるようになります。
○RAPT有料記事805(2024年1月13日)永遠に朽ち果てない神様の愛に心の拠り所を置きなさい。そうしてこそ、あなたの心も人生も安定し、幸福を実感して生きられる。
話は変わりますが、私には今年の春から年少組に入園した子供がいます。
慣れない園生活が始まったからか、甘えん坊に拍車がかかり、四六時中、私に絡みついてきて、膝に乗りっぱなし、家の中でも手を繋ぎっぱなしになりました。
この文章も、子供が膝の上で大声で歌っている中、「もうちょっと小さい声で歌ってほしいな」と言いながら書いています(笑)
私がお手洗いに行っても「おかあさんどこいった~?」と言って探し回るのですが、絶対に私から離れようとしない子供を見て、あるとき「こんなふうに神様を呼び求めればいいんだ」と悟りました。
親である私を完全に信頼しきって、自分の願望を遠慮なく伝えてくる子供の姿を見て、RAPTさんが伝えてくださった「神様をいつでも呼び求め、信頼し、すがりつくこと」というのは、こういうことなのだと分かりました。
そして、どこにいても何をしていても、楽しくても悲しくても、とにかく常に神様を呼び求めて、愛の関係を深めていけばいいのだと分かりました。
幼いうちは、大声で親を呼ぶことができますが、大人になると、大声で泣き叫びながら親を呼ぶということはしなくなります。
歳を重ねるにつれ、呼び求め方を忘れつつありましたが、幼いころに親を呼び求めていた以上に、神様を呼び求め、すがりつけばいいのだと、自分の子供の行動を見てはっきりと理解できました。
○RAPT朝の祈り会2024年1月
2024年1月8日(月)主は今年から聖霊の歴史が始まると仰ったが、聖霊の歴史とはつまり義人の祈りが叶えられる歴史だ。だから、どんなことも遠慮せず祈りなさい。信じて祈る者は、ことごとくその祈りが叶えられ、祝福に次ぐ祝福の年になるだろう。
誰にも頼れない状態というのはとても寂しく、時には気が狂いそうになるほどの孤独感に苛まれることもあると思います。
どうか世界中の人々がRAPTブログの御言葉に出会い、心の拠り所を得て、孤独感とは無縁の、どこまでも幸福な人生を送ることができますように。
そして幼い子供のように素直な心で神様を呼び求め、全ての問題を解決して生きていけますように、心からお祈りしています。
コメントを書く