【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第30話・泉の源へ」by RAPT×TOPAZ

【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第30話・泉の源へ」by RAPT×TOPAZ

目を開けると、アジサイ色に染まった空が見えた。磨りガラスのような月が浮かんでいる。なんて幻想的なのだろう。
そうか、とうとう死んでしまったか……短い人生だったな……最後の数日間が濃密すぎたな……でも、ここはどこだ?
落ち着いて辺りを見回すと、野営していた草原のようだ。だが、テントもレグルスも見当たらない。なんの音もしない。風もない。本当に何もない。穏やかな草原の中で、プレト一人が地べたに三角座りをしていた。
ここは、あの世と呼ばれるところなのだろうか。だが、景色は変わっていない。地縛霊か何かになってしまったのだろうか。
幽霊のことは分からないな。幽霊になったのはこれが初めてだし。
一度深呼吸をしてみると、空気がぬめっていることに気がついた。肺が重い。これは、この感じは…………また奇怪な幻か?
プレトは首を左右に振った。少女はいない。再び正面を向くと、視線の先に何かがあることに気がついた。
……まさか、ドリンクバーか? 
変な汗が出てきた。やはりまた、あの奇怪な体験をしなければならないのだろうか。少女が現れるのを少し待ったが、誰の気配もない。
あの子がいないと、幻から出られない感じなんだよな……会うためには、行くしかないか……自分の生死も不明だけど……
プレトは立ち上がり、ドリンクバーだと思われるものに近付いていった。
その途中で、違和感に気がついた。いや、違和感がないことに違和感を感じたというか……身体が楽なのだ。万全ではないが、なんの苦労もなく歩くことができている。昨日は、めまいがひどくて歩くのに苦労し、ルリスに支えてもらったのに。もしかして、治った?
……いや、これが幻だからかもしれない。死んでしまったからかもしれない。幻や死後に、体調不良が反映されるかは不明だし、反映されてほしくない。
近付いてみると、やはりそれはドリンクバーだった。35日のボタン以外はアルファベット表記の、いつものおかしなドリンクバーだ。
プレトがそれを眺めていると、後ろから少女の声が聞こえた。
「Cはココナッツだよ。また会えてよかった」
「チェリーかと思ったよ」そう言いながら振り返った。
やはりいつもの少女だった。今回も手にヘビを握っていて、裸足のままだ。草原で裸足でいるのは気持ちが良さそうだった。両耳は完全になくなってしまっているが、傷は塞がっているようだ。だが今度は、握られているヘビの方が気になった。強く握られているからか、ヘビの口から血が滴っている。鱗も半分以上はがれているように見えた。少女の耳を食べた報いとしては妥当だと思った。
「これさ、飲まないといけないかな?」
「うん」
プレトは、ドリンクバーに備え付けられているコップをセットし、Cのボタンを押した。もちろん飲みたくはないが、やるしかない。
出てきたのは白い液体だった。ココナッツということは、ココナッツミルクということだろうか。異物が混入しているかどうかは確認できなかった。透明なコップの底を覗いてみても、何も沈殿していない。三度目の正直で、今度こそ普通のジュースが飲めるかもしれない。淡い期待を抱いて一口含んだが……なんだか苦いし、しょっぱい? 
なんだこれは。それに、後味がなんか……肉っぽい? 海水ににがりを混ぜて、生臭くしたような味だ。
「何が混ざってるか分かる?」少女に訊いてみた。
「……」
少女は無言で目をそらした。知らないほうがよさそうだ。これまでのジュースよりはマシだと思ったが、飲み込む気にはなれない。プレトは足元に吐き出した。近くを流れている小川に駆け寄り、口を濯ごうとしたが、渇れてしまっている。今回も水はないのか……
プレトがうなだれていると、少女が「あれ」と言って、どこかを指さした。その指先を視線でたどっていくと、1台のレグルスが見えた。ルリスのものでも、フーイのものでもない。そのレグルスは、地面から1メートルほどのところに浮いていた。そして、プレトの愛車に似ていた。林道で廃車になってしまったレグルス……白くて、1人乗りのレグルス。
「あれは……」プレトが口を開くと、少女が食い気味に言った。「お姉さんのレグルスだよ」
「……そうかな」プレトは半信半疑だった。似たようなレグルスはごまんとある。駐車場で何度見失ったことか。
プレトは、浮いたレグルスの中に人影があることに気付いた。なぜかぼんやりとしか見えないが、直感的に、それはプレト自身だと思った。まあ、あれがプレトのレグルスならば、プレトが乗っているのは不自然ではない。それをプレト自身が見ているこの状況は不自然だが……
「見ててね」と、少女が言った。
空中のレグルスが震え始めた。ベコン。ベコン。バキン。グシャ。大きな音を立てながら、徐々に変形している。その様子を、プレトと少女は黙って見ていた。
レグルスはどんどん変形していく。やがて、廃車になったプレトのレグルスと同じ形になった。アジサイ色の空の下、穏やかな草原の上、そこにスクラップになったレグルスが浮かんでいる。なんて奇妙なのだろう。
レグルスは震えが止まると、地面に落下した。その衝撃で、細かいガラス片や、故障したパーツが飛び散る。プレトの足元にも、ライトのカバーガラスが飛んできた。それと同時にフロントガラスが、内側から勢いよく赤く染まった。プレトはカットトマトの缶詰をぶちまけたみたいだなと思った。だが、トマトよりも赤黒いし、そもそもトマトであるわけがない。中にいる人物の身体が損傷したのだろう。損壊と言ってもいいかもしれない。
プレトは黙ってうつむいた。フロントガラスが赤く染まっているので、中の様子は見えなかったが、ろくでもないことになっているだろう。事故のとき、エアフィルムがうまく作動しなかったら、きっとこうなっていたのだ。そして、ミンチになったプレトを、ルリスが目撃することになったのだ。
「ドア開けてみる? 中見てみる?」少女がレグルスに視線を向けたまま言った。
「……」胃の中のものがせり上がってくる。プレトは目を瞑り、歯をくいしばって耐えた。握りしめた両手が震える。
「イヤな気持ちになった?」
「……」事故の恐怖が甦ってくる。突然の出来事だったし、警官の対応があまりに理不尽で、感情を胸の奥に押し込めたままにしてしまっていた。あのときは、ルリスが励まして慰めてくれたが、ここにルリスはいない。一人で、一人で耐えないと。
膝が震える。まるで、生まれたての小鹿のようだ。いや、小鹿は生まれてすぐに走り出すことができる。私は、ルリスがいなかったら何もできない。
ふふ……
プレトの口の端から、自分への嘲笑が漏れた。その瞬間に、緊張の糸が切れてしまった。膝をついて、胃の中のものを吐き出した。出てきたものは、胃液にまみれた爪切りだった。なんでだよ……
草原にへたりこむプレトの鼻に、鉄のにおいが届いた。レグルスの中の血だろう。少女がプレトのそばにしゃがみこんだ。ヘビを握っていない方の手で、プレトの背中をさすっている。
「お姉さんは、こうならなかったよ」
「うん…………げぶっ」また吐いてしまった。今度はゼリービーンズがいくつか出てきた。だからなんで……
少女は話し続ける。
「生きていると、進むか戻るか迷うことがあると思うの。その場に留まるのはもっと難しいんだよ」
「ん? ……うん」なんの話しだろう。
「泉の源に行きたいなら、流れに逆らって泳がないといけないの。ただ流されるなら、枝から切り離された葉っぱと同じだよね。下流の淀んだ窪地に落ちて、積もる泥にまみれるしかなくなるの」
「難しいことを言うね……もっと、分かりやすくお願い」
「人生はゆるい登り坂だからね。生きているのが羨ましい。いいなあ…………そろそろ戻りたいよね?」
「うん……それより、私って生きてるの? 死にかけたまま寝ちゃったんだけど」
「戻れば分かるよ。わたしが言ったこと、忘れないでね」
「泉の源のこと?」
「お姉さん、頑張ってね。泉の源も、頂上からの景色も、清くて美しいんだよ。35日は飲まないでね、目を閉じて……」
「もっと詳しく教えて……」
そう言ったが、少女の手のひらがプレトの両目をふさいだ。しばらくして、少女の手の感触がなくなった。目を開けると、テントの天井が見えた。空気のぬめりがなくなっている。視線を少し動かすと、開口部の向こうに青い空があるのが分かった。小鳥のさえずりと、小川のせせらぎも聞こえてくる。
どうやら、戻ってこれたらしい。
しかも、生きている。胸に手を当てると、鼓動が伝わってきた。
右手をゆっくり頭の辺りに持っていくと、ルリスの髪に触れた。柔らかい毛先がくすぐったい。
生きている。確かに生きている。まだルリスといられる。
突き抜けるような青空が、じわりと滲んだ。

(第31話につづく)

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