【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.18 – 上皇明仁と上皇后美智子の結婚は「日本王朝」と「大和王朝」の協定だった!! 群馬人脈・正田美智子を覆う深い闇

【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.18 – 上皇明仁と上皇后美智子の結婚は「日本王朝」と「大和王朝」の協定だった!!  群馬人脈・正田美智子を覆う深い闇

前回の記事で『群馬県ゆかりの人物』について書きましたが、その中に、『上皇后美智子』の名前がありました。

○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.17 – 群馬人脈の最重要人物・笹川良一 中国共産党と結託し、日本にユダヤ人国家の建国を目論む

○群馬県出身の人物一覧-Wikipedia

今回は、この上皇后美智子について書きたいと思います。

さて、以前から私が引っかかっていたのは、『なぜ浩宮は一般人と結婚したのか?』ということです。

江戸時代までは『皇后は皇族・将軍家・摂家のみ』というルールがありました。

○摂家-Wikipedia

明治に入っても、このルールは存続していたようです。

大正天皇の配偶者、貞明(ていめい)皇后は五摂家の一つ、九条家の出身でした。

○貞明皇后-Wikipedia

貞明皇后

また、昭和天皇の配偶者・香淳皇后は皇族でした。

○香淳皇后-Wikipedia

香淳皇后

ではなぜ、昭和天皇の息子、明仁親王(現在の上皇)の配偶者は一般人だったのでしょうか。

ネットを検索すると、色々な説が出てきます。いくつか紹介すると、

①  皇太子が自ら希望した説

○美智子さまにみずから熱心な求婚をした、若き日の明仁上皇

②  皇太子妃選定の法則がある説

【チーム小和田】皇太子妃の選定の謎と闇の家系図

当時の状況は知る由もありませんが、外部から血を入れないといけない何らかの事情があったようです。

私が注目したのは、正田美智子が『群馬人脈』の一員だったということです。

穿った見方ですが、現在の群馬県を中心としていた『日本王国』と、奈良県を中心に存在していた『大和朝廷』とは1500年前から争っていたと考えられます。

○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.15 – かつての日本には二つの国が存在していた!! 群馬人脈のルーツは古代東日本の「日本王国」

正田美智子と明仁親王の結婚は、大和朝廷と日本王国が血縁関係を結び、日本の支配を強めようという計画があったのかも知れません。

しかし、この計画は破綻を来したようです。

正田美智子は1959年に明仁親王と結婚し、翌年浩宮を出産します。

その3年後、第2子が胞状奇胎のため流産し、3ヶ月の療養生活に入ります。

実は、正田美智子の療養前の姿と、療養後の姿があまりにも違いすぎるのです。

○鬼塚史観と皇室問題|托卵と貰い子でつなぐ近代皇統(4)

身長が10cmほど高くなり、猫背となで肩がなくなりました。

足も長く、すらりとしています。

これは替え玉のレベルを超え、明らかに別人です。

一説によると、正田美智子は第2子の流産で精神的に不安定だったそうです。

○美智子様の影武者⑥-1

替え玉と入れ替わった原因はここにあったのかも知れません。

さて、最初の正田美智子は群馬人脈でしたが、入れ替わった後の正田美智子は、西武グループの堤康次郎と関係があるのでは?と言われています。

○堤康次郎-Wikipedia

堤康次郎

子どもが100人というのは私たちの感覚では理解できないのですが、RAPT理論+αの記事にあったとおり、堤康次郎も中国人なのでしょう。

○【新企画・KAWATA とNANAのトークルーム】ガーシーは中共のハニトラ工作員!! NHK党は中国共産党の工作機関

実際、歳をとった美智子は、堤康次郎にソックリです。

堤康次郎は、旧皇族・朝香宮家の沓掛別邸として利用されていた別荘を買い取り、『プリンス・ホテル』と名付けました。

○ファンドに売却される西武のホテル名はなぜ「プリンス」なのか?

名前の由来は…そうです、『皇太子』明仁の避暑宿泊所なので、『プリンス』ホテルなのです。

さらに、正田美智子の母親、富美と堤康次郎は愛人関係にあったという記事もありました。

○続・美智子様の真実⑨@(後)正田富美とミッチーズ

前述のとおり、堤康次郎には100人を超える子供がいたそうですので、正田美智子の替え玉候補はたくさんいたのかも知れません。

天皇の妃を群馬人脈から出し、大和朝廷と日本王国が血縁関係を結び、日本の支配を強めようという計画は中途半端な結果になり、成就できなかったようです。

しかし、この計画は終了していませんでした。

続きは次回に回したいと思います。

話は変わりますが、以前のコラムで音楽を生業にしている知り合いのことを書きました。

○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.16 – 日韓トンネルを構想したのは群馬人脈だった 歴史から紐解く群馬人脈と中国共産党のつながり

その方が指導なさっている楽団の発表会が間近に迫っているのですが、『演奏のレベルがなかなか上がらない』と悩んでいる様子でした。

団員とミーティングを開いたそうですが、そこで明らかになったのは各団員の取組の差でした。

団員の中には自分の時間の大半を使い、熱心に練習に励んでいる人がいます。

しかし一方では、苦手なフレーズの練習を面倒臭がって後回しにしたり、『自分はできる』という根拠のない自信を持ち、ほとんど練習せずにアンサンブルに臨んだりする人もいるそうです。

『個々のレベルを上げることが、集団のレベルアップに繋がるが、意識の低い人がいると、どうしてもそこで躓いてしまう…』前述の楽団の指導者は、そう嘆いていました。

私はその話を聞いたとき、新約聖書の『ローマの信徒への手紙』を思い出しました。

『わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。』

(ローマの信徒への手紙 第12章 第5節〜第8節)

私たちにはそれぞれ、神様が与えてくださった賜物があります。

人の一生とは、自分の賜物を見付け出し、それを精魂込めて磨き上げ、神様の御心を成すためにそれを使うことにあるのかも知れません。

しかし、こう書いている私も、『24時間神様のために働くことができているか』と問われると、全くできていないのが現状です。

収入を得るための仕事をしているときは、やはりどうしても神様に意識を向けることができませんし、仕事が終わって帰宅した後も、ふと気がつくと無駄な時間を過ごしています。

常に神様のために働ける人となれるよう、私たちが個々の信仰のレベルを上げていかないといけません。

そうしなければ、神様の御心は成就できません。

楽団の指導者の言葉は、私に対する神様の叱責だと思いました。

深く悔い改め、さらに精進したいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆様に神様のお守りと救いがありますように。

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