プレトとルリスは、頭に覆い被さった雲を払いのけた。
「これは、完璧にイヤがらせだよね」
「どう見てもね」
プレトはフロントに置かれた紙をつまみ上げた。
「そういえば、リサイクルショップで知らない人にジロジロ見られてた気がする。そこで目をつけられちゃったのかな。さっき植え込みの向こうにいた不審者と同一人物なのかな。ここまで尾行してきたのかな」
「そうかもしれないね。今日は二回も外出したから、目をつけられやすかったのかも。知らない間にストーカーされているみたいだし、そいつらが行動に移したって感じかな」
「誰の差し金か分かる?」
「心当たりがありすぎて分からないよ。とりあえず、他に壊れている部分がないか、確認してみようか」
ルリスが庭でレグルスの動作確認をしたところ、キズ以外の異常は見当たらなかった。プレトは携帯電話でレグルスを写真に収めた。画面越しに見ると、キズがより一層目立って見える。
「もともと派手なストライプ柄なのに、こんなに傷つけられちゃって……いびつなチェック柄みたいになってるじゃん」
「ズタズタだよ。買ったばかりなのにー」
ルリスは鼻の頭にシワを寄せている。
「石で引っかいたくらいでは、こんなに深くて大きなキズはつけられないし、そもそもレグルスは頑丈だし⋯⋯何か道具を使ったんだろうね。よく見えなかったけど、不審者が手にしていたアレが道具だったのかな」
「引っかく音も聞こえなかったよね。生き物たちの様子もいつも通りだったから、無音で壊せるような道具があるってこと?」
「そうかも。そんな物騒な道具、知らないけどさ」
「警察に連絡する?」
「連絡したところで、まともに取り合ってくれるとは思えないけどなあ。これまでもずっとそうだったし⋯⋯でも、黙って泣き寝入りすると思われるのも癪に触るから、抵抗する気があるというポーズのために警察を呼んでもいいかもね」
警察に通報し、自宅までやってきた警官をルリスが相手した。プレトはその間、家の中に身を潜めてカーテンの隙間から様子を窺った。会話の内容は聞こえなかったが、表情や身振りから、ルリスが苛立っているのが分かる。警官は、想像よりもかなり早く引き上げていった。プレトが庭に出てルリスのそばに歩み寄ると、友人は特大のため息をついた。
「もーう、やっぱり適当にあしらわれちゃったよ。事故っただけじゃないかって言われた。レグルスにはセンサーがあるのに、普通に操縦しててあんなキズが付くわけないよね」
「イヤな役回りをさせてごめん。その様子だと、仮に犯人を特定できたとしても、適当な理由をつけてお咎めなしになりそうだね」
予想はしていたが、少し気落ちした。ぞんざいに扱われるのは、何度経験してもいい気分ではない。
「イライラする! 犯人にも警察にも! 被害に遭ったことを公表しよう!」
家の中に戻り、キズついたレグルスの写真をクライノートへ投稿した。警察がまともに取り合ってくれないという文章も添えて。しばらくすると、フォロワーから心配の声が寄せられはじめた。それらを読んでいるうちに、『自業自得』とか『日頃の行いが悪いせいだ』といったコメントもつくようになった。
「わたしたちの日頃の行いが悪いなら、この人たちはどうなっちゃうの?」
「悪口を書き込んだ罪で、レグルスが粉々に爆破されちゃうかもね」
「だよねー。あ、これ見て。レグルスに詳しい人が考察してくれてるよ。整備関係の仕事の人かな」
ルリスは画面を指した。そのユーザーによると、特殊な道具を用いないと付かないキズらしかった。プレトとルリスの想像は正しかったようだ。その後、他のユーザーもクライノート上で会話に参加しはじめ、彼らの書き込みを見ているうちに大体の目星がついてきた。どうやら「35日」が特許を持っている製品を使った可能性が高いとのことだった。その製品はもともと、緊急事態下での救助用という名目で開発され、レグルスを壊せるものらしいが、隣国では近年、イタズラや車上荒らしに利用されるケースが増えているようだ。
「こっちの国では、そういう被害はあまり聞かないよね? わたしが知らないだけ?」
ルリスが訊いてきた。
「私も知らないなあ。でも、ちょっと納得がいったかも。イヤがらせをするだけならスプレーとかペンキで落書きすればいいだけなのに、わざわざ35日の製品でこんな大仰なキズをつけたということは、35日の関係者がやった可能性が高いよね」
「実際のところは分からないけど、わたしもそう思う。厄介な職員をパラライトアルミニウムに沈めて脅すのが研究所の常套手段なら、所有物に損害を与えて脅すのが35日の常套手段なのかもしれないね」
「物騒だな。もっとフレンドリーにできないものなのかね」
「まあ、そうしないということは、できないんでしょ」
「それもそうか。まあ、レグルスのキズについては放っておこう。修理したらまたやられるだろうし、操縦には差し支えないし。腹立つけど、35日のヤバさが分かったのは収穫かな」
「だね。ポジティブに考えよう。そういえば、わたしが帰ってきたとき、どうして庭にいたの?」
「雲を固定する動画を撮りたくて、オルタニング現象を待ってたの。SNSに投稿したら、また違う層の人たちも情報を見てくれるかもしれないと思って」
「なるほど、いい考えだね。今ちょうど雲が落ちてきているし、さっそく撮っちゃう?」
「撮る。姿が映ると面倒だから、リバースパンダ着てくるね」
プレトは急いで着ぐるみを身につけると、雲にラピス溶液を振りかけ、その上に座ったり寝転んだりした。その間、ルリスが携帯電話で撮影してくれていたが、時々、小刻みに震えているのが気になった。
「このくらいでいいかな。あー、疲れた。着ぐるみって、やっぱり暑いや。動画はどんな感じ?」
「はいどうぞ」
見せてもらった動画の中には、のたうち回っているリバースパンダが映っていた。雲で遊んでいるつもりだったが、雲に揉みくちゃにされているように見える。
「え、なにこれ。奇妙すぎない?」
「ぶっふふふふふ」
ルリスが震えていたのは、笑いを堪えていたからだったのか。
「どうしよう、お蔵入りかな」
「雲が固まっていることはきちんと伝わるし、プレトも顔を出さずに済んでいるし、公開してもいいんじゃない。ふふふっ」
「私が想像していたのは、子供向け番組の科学実験教室みたいな雰囲気だったんだけど、これは風邪をひいたときに見る夢みたいだよ。大丈夫かな。教育委員会とかから苦情が来ないかな。これ以上敵を増やしたくないんですけど」
「まずかったら消せばいいよ。一度アップしてみたら?」
「⋯⋯ルリスがそう言うなら、アップしちゃおう」
クライノートと、他のSNSにも動画を投稿した。ラピス溶液で雲を固定できるという説明も簡単に添えておいた。短い動画だから誰でも気軽に見れるはずだ。内容を気に入ってもらえるかどうかは別の話だが。
「よし、動画のことは一旦忘れて、ルリスの歌を録音しようよ。せっかくマイクも手に入れたし、〈アネモネ〉が協力してくれることになったしさ」
「了解」
ルリスが二曲目に選んだのは、頻繁にカバーされている曲だった。流行に便乗する作戦らしい。リサイクルショップで購入したマイクは値段の割に性能がいいようで、一曲目よりもルリスの声が格段にきれいに録れた。録音した歌を〈アネモネ〉に送ると、『かっこいい! この曲好きなんですよ。イケイケに編集しますね』と返事が来た。
「さてと、あとは何をすればいいかな」
「注文された分のムーンマシュマロを梱包して発送するのが、わたしたちの任務だよ」とルリス。
「すっかり小売業者になっちゃったね」
ひたすら梱包に励み、発送する頃には夜になっていた。
凝った肩を互いに揉み合っていると、〈アネモネ〉から動画が送られてきた。『イメージがじゃんじゃん湧いて止まらなかったので、勢いに乗って作りました。使っているのはフリー素材だけなのでご安心ください。修正が必要なところがあれば教えてくださいね』とのメッセージ付きだ。
「すごい、数日かかると思っていたのに早いね」
さっそく二人で視聴すると、夢中になっている間に終わってしまった。
「もっかい」
ルリスがリピートボタンを押した。フィルターがかかったような風景写真を背景に、音に合わせて歌詞が表示されていく。ちょうど欲しいタイミングでイメージにぴったりな背景に切り替わるため、観ていて飽きなかった。
「最高だね、このまま投稿させてもらおう」
〈アネモネ〉に使わせてもらいたいと伝え、クライノートなどに投稿した。
「今日はSNSを頑張ったね。レグルス被害も、雲の固定も、歌も投稿したもんね」
ルリスは清々しいといった表情をしている。ひどい目にも遭ったが、〈アネモネ〉のおかげで一日の締めくくりが良いものになった。窓から見える金星がギラギラしていた。
(第85話につづく)
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