代わり映えのない景色が、レグルスの外を流れている。プレトはルリスの携帯電話で、クライノートをチェックしていた。
「交流してくれそうな人がぼちぼちいるみたいだよ。それに、円錐型の機械の名前が判明して、みんなが使い始めているよ」
「とうとう分かったんだ。なんていうの?」
「『ケーゲル』だってさ。外国語で円錐っていう意味らしいよ」
「あ、ひねりのない名前なんだね」
ルリスが操縦しながら嬉しそうに言った。
それから数時間進むと、次の街に辿り着いた。これといった特徴のない街だったが、住宅の植木鉢が倒れていたり、店の看板が外れかけたりしていた。ムイムイハリケーンがこの土地をかすめていったのだろう。二人は個人経営とおぼしき、一番安くて小さな宿に泊まることにした。その玄関先には、ムイムイの吹き溜まりができていた。ハリケーンの名残りだろうか。
「この部屋かー」
ルリスがそう言いながら、あてがわれた部屋の扉に鍵をさし込む。ドアを開けて中に入ると、いたって普通の狭い部屋だった。二人は荷物を適当に置くと、ベッドに並んで腰かけ、再びクライノートをチェックしはじめた。新たなコメントが続々と届いていたが、誹謗中傷の割合が増えてきている。
「あれぇ? 悪口ばっかりになってきた……」
ルリスはげんなりしたように言った。
「どうしてこんなに悪口が多いんだろうね。普通、私が自分と違う意見を見かけたら、何もしないで黙って離れると思うんだけどなあ……わざわざ書き込むものなのかな?」
「わたしも悪口は書き込まないかな。意味ないもん。それに、わたしたちは証拠写真も付けているのに、ここまで言われるっておかしくない?」
「だよね。こういうアカウントって、どこから湧いてくるんだろう、暇なのかな?」
「呼吸以外に、することがないんだよ。ケーゲルについての情報とか、集まったら嬉しいね」
「そうだね。頑張って調べてくれている人もいるはずだから、協力できるといいよね」
窓から見える夕日が、頭を突き合わせる二人を、部屋ごと茜色に染めていった。
ドンドンドンドンッ!
プレトは騒音で目が覚めた。なんだ? なんの音だ? 体を起こして暗い部屋の中で目を凝らしてみるが、何も分からない。
「なんか、音がした?」ルリスも目が覚めたらしい。
ダンダンダンダン!
また音がする。プレトは恐る恐るベッドから降り、携帯電話のライトで足元を確認しながら照明を点けた。が、部屋の中に異変は見当たらなかった。時計は午前4時を指している。
ダンダンダンダン!
再び音がした。
「扉が外から叩かれているのか?」
「火事でも起きたのかな……」
ルリスが不安そうに呟く。プレトは扉まで歩み寄り、ドアスコープを覗いてみた。
「え? 誰もいない……」
「いない? まさか幽霊? 怖いよ!」
友人は本気で怯えているようだ。プレトはドアスコープを覗いたまま、しばらくじっとしていた。右手の中の携帯電話を、無意識に強く握ってしまう。
ドンドンドンドン!
また音がした。誰の姿も見えないが、扉が音と共に振動している。何者かがしゃがんだ姿勢で、扉を叩いているのかもしれない。そう思い至ったとき、背中につららを当てられたような悪寒を感じた。板一枚隔てた向こうに、狂った人物がいるのだ。
一瞬、居留守を使おうかとも思ったが、先ほどつけた部屋の明かりが、扉の僅かな隙間から漏れているはずだ。今さらいないふりも、寝たふりもできない。プレトは一度深呼吸をすると、勇気を出して扉の下の部分を蹴飛ばした。ドアスコープの向こう側で、誰かが立ち上がり、再び姿が見えなくなった。走り去る足音が聞こえる。宿の玄関に向かったようだ。
プレトは放っておこうと思ったが、ふと、自分のレグルスを細工されたときのことを思い出した。噴水広場のある街の宿、その駐車場……怪しい男たちがプレトのレグルスのそばに立っていた光景が頭に浮かんでくる。今度は、ルリスのレグルスに何かされるかも。プレトは反射的に、ルリスに声をかけた。
「私、レグルス見てくる! ここで荷物見てて!」
「え! ちょっとま……」
ルリスが言い終える前に、プレトは部屋を飛び出した。宿の玄関から、裸足のまま外に出た。周りを見回したが、暗くてよく分からない。夏特有の、しっとりとした夜だ。昼間の喧騒を吸い尽くした空気が、プレトの肺に充満していく。
そのとき、何者かに後ろから突き飛ばされた。つんのめって、足がもつれ、両膝と両手を地面についた。手のひらから飛び出た携帯電話が、ムイムイの吹き溜まりの中に落ちていく。ガシャンと不吉な音がした。その音と被さるように、背後から男の声が聞こえてきた。
「これ以上SNSを続けるなら、こんなもんじゃ済まなくなるぞ」
敵意と軽蔑が入り混じった声色だ。何者かが踵を返し、去っていく気配が伝わってくる。プレトは四つん這いの体勢のまま動かなかった……というより、恐怖で動けなかった。それでもなんとか耳に神経を集中させると、足音が複数人分あることが分かった。正確な人数は不明だが、2、3人のような気がする。足音が聞こえなくなったところで、のろのろと立ち上がり、携帯電話を拾い上げ、そのままポケットに入れた。騒ぐ心臓を必死でなだめながら、トボトボと部屋に戻っていった。背中を押された感触が、くっきりと貼り付いたように残っている。部屋はすぐ近くなのに、異常に長い道のりに感じられた。扉を開けると、ルリスがベッドに腰掛けたまま、掛け布団を身体に巻きつけていた。
「プレト大丈夫だった? こっちは何もなかったよ」
「えーっと……」
プレトは、この数分間で体験したことを説明した。ルリスの明るい茶色の瞳が、恐怖の色に染まっていく。
「そんな……SNSを理由に、わたしたちをピンポイントで狙ってるってこと?」
ルリスが声を震わせながら言った。
「そうだろうね……この街に来るまでに会話したのって、警官と宿の主人くらいだよね? 食事もこの部屋で適当に済ませたし……」
「うん。ずっとここに籠もって、二人でクライノートをチェックしていたから」
「ということは、警官と宿の主人が、私たちの進行方向と居場所をバラした可能性があるね……せっかく警官に、アカウントが消えた状態のクライノートを見せたのにな……まあ、免許も見せちゃったからな……」
「……」ルリスが絶句している。
「単なる嫌がらせなら、扉を叩くだけでもいいはずだけど、わざわざ突き飛ばして脅したということは……向こうはこれまで以上に本気ってことだ」
沈黙が部屋に降りてくると同時に、カーテンの隙間から朝日が射し込んできた。夏の太陽はせっかちだ。空気中を舞っている塵が、キラキラと反射している。
プレトが沈黙を破った。
「この部屋よりもレグルスの中の方が安全だから、もう引き払っちゃおうよ。主人と顔を合わせるのも気持ちが悪いしさ……料金は先払いだったし、受け付けに部屋の鍵を置いておけば文句ないでしょ」
「……そうだね! よし、さっさと出よう!」
ルリスがベッドから降り、身体に巻きつけていた掛け布団を剥ぎ取った。張りが戻ったルリスの声を聞き、プレトは安心した。二人で荷物をまとめ、レグルスに移動する。ルリスが愛車の様子を確認し、操縦席に座って言った。
「特に傷はないし、エンジンもかかるね……点検に出さないと、細工されたかどうかは分からないかな」自分の携帯電話を取り出し、何かを調べ始めた。そのまま話しつづける。「うーん、この街のレグルス屋は、今日が定休日みたい……」
「そっか……でも、明日まで滞在するのは危険だし、動き回っていた方が安全な気がするから……とりあえず、この街から出ちゃおうか?」
「それがいいと思う。センサーが作動するかどうかは、どこででも試せるし」
「じゃあ、そういうことで。次はどこに向かえばいいかな……」
プレトはそう言いながら、ポケットから携帯電話を取り出した。そして、画面を見て絶句した。
「バキバキになってる!」ルリスが画面を見て、驚いたような声を出した。
プレトの携帯電話の画面には、稲妻が走ったようなヒビが入っていた。
「さっき落としたからだ……」
プレトは、うなだれて言った。口の中が素焼きの器のように乾いていく。あの音は、画面にヒビが入った音だったのか……
「ちゃんと動くかな?」
ルリスが心配そうに画面を覗き込んでくる。操作してみると、画面が割れているだけで、きちんと動くことが分かった。
「……あ!」プレトが短く声を上げた。
「どうしたの」
「クライノートのアカウントが復活してる! 寝る前まで消えていたのに!」
「え! どうして直ったのかな」
「多分だけど、ムイムイの吹き溜まりに落としたから……落ちた衝撃と、ムイムイの電波で治ったのかも」
「ショック療法ってこと? ……ぷっふふふ」
ルリスがこらえるように笑い、続けて言った。
「せっかくアカウントを共有しているのに、片方しか使えないのは不便だったもんね……でもまさか、敵襲で直るとはね」
プレトも自然と笑みがこぼれた。
「あいつら、SNSをやめさせようとしてたけど……かえってやりやすくなったって分かったら、悔しがるかな?」
「禿げるくらいに頭皮を掻きむしって悔しがるだろうね! このこともさ、投稿しちゃおうよ! 墓穴を掘ったって教えてあげようよ!」
ルリスはそう言うと、張りきった様子でレグルスを発進させた。二人の顔を照らす鋭い朝日が、やられっぱなしではいけないと、励ましてくれている気がした。
(第46話につづく)
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