プレトは、思わず両手で二の腕をさすった。ルリスが心配そうな顔をする。
「あれ、寒い? プレト、熱があるもんね。冷房消そうか?」
「大丈夫。気のせいレベルの微熱だし……でも、どうしてキリンパンが私のこと、名前以外にも何か知っているって思ったの?」
「ただの直感だけどね」
そう前置きをして、ルリスは話しはじめた。
「会って最初にご飯食べたとき、キリンパンがわたしに色々と質問してたの覚えてるかな? でも、プレトにはなんにも訊かなかったよね。だからプレトのこと、名前以外にも何か知ってることがあるのかなって思ったの」
「ほう……」
「あと、わたしたちに興味なさそうなのに、わたしたちの関係性を知りたがってたね。案内するだけだし、わたしたちが同僚でも友達でも、どっちでもいいはずなのに」
「ふぇー」
全く気がつかなかった。まぬけな声が出てしまった。
「それに、お酒に強かったら、ビールをジョッキで飲んでもふらつかないと思うの。でもリバースパンダから逃げるときにヨロヨロ走ってたから、本当は弱いんだろうなって」
「ぱー」
どうしてこんな声が出てしまうのだろう。
「名前すら教えてくれないし、毛虫も怖いのか怖くないのかよく分からないし……そもそも、キリンパンってプライド高そうなのに、あんなに叫んで助けを求めるものかなとも思ったの」
「なるほど……」
他人の行動原理を意識せずに生きてきたため、ルリスの観察眼に思わず関心してしまった。
「プレトは、ビンの蓋の穴が気になるんだっけ?」
「そう。子供たちが持ってた虫かごを見たとき、もしかしたらあのビンの蓋の穴は空気穴だったのかなって思ってさ……でも分からない。全部、気のせいかも」プレトは下唇を噛んだ。
ルリスがなだめるような口調になる。
「毛虫騒ぎがキリンパンのせいかもしれないって言いたいんだよね? ドクププもこの辺にはいないらしいし。でも、プレトにこう言うのは失礼だけど、ドクププがどこから来たのか分かったところで、刺された事実に変わりはないかなって……」
「そのとおりだよ。首も頭も、まだちょっと痛い」
プレトは顔をしかめながら言った。ふと、外に意識を向けると、今いる場所がなかなか良いロケーションであることに気がついた。辺りは柔らかな緑色の草原で、道に沿って小川も流れている。水が澄んでいるから、魚もいるかもしれない。ここでキャンプをしたら、さぞ気持ちがいいだろう……こんな状況で、こんなことを考えるのはおかしいのだろうか。
「怪しいところはあるけど……助けてくれてるし、悪人とも言いきれないね……」
ルリスが呟くように話した。眉間にシワが寄っている。プレトは思いついたことを口にしてみる。
「あいつは、うろんなキリンパンっていうこと?」
「うろんって、怪しいって意味だっけ。あまり使わないよね? うろんなキリンパン……ふふ……うろん……キリンパン……ふふふふ」
肩を震わせている。眉間のシワがとれたようだ。ルリスが笑うと、旅に出る前の日常を思い出した。
「まあ、分からないものは分からないね。読心術は使えないし」ルリスが笑い終えてから言った。
「そうだね、あいつの頭の中なんか覗きたくないし……引き続き、ストーカーを追い払ってもらうことにしようか。通信機の電源入れていい?」
「いいよ」
プレトは通信機の電源を入れ、話しかけた。
「お待たせ」
「……」
返事がない。
「ねえ」
「……」
「ムイムイないの?」
「…………なんか言ったか?」やっと返事が聞こえてきた。
「お待たせって言ったの。まさか居眠り操縦?」
「ちげえよ。電話してたから、通信機の電源切ってたんだ」
「誰と電話? ドクププ?」
「は? そんなことより、1人増えるぞ」
「増える?」
増えるとはどういうことだろう。
「次の街で、他の奴と合流する。そいつと電話してたんだ」
「え? 誰と」
「オレの……同僚的な……」
「イヤだ! イヤだ!」
プレトは通信機に叫んだ。ほとんど反射だった。
「なんだよ急に、ガキみてえだな」
「君の同僚なんて、ろくでもないに決まってる! イヤだ!」
「オレだってイヤだけどよ、仕方ねえだろ」
「なんで合流することになったの?」ルリスが質問した。
「さあな」
プレトは歯ぎしりをした。これ以上変な奴が増えたら、たまったもんじゃない。なんとか回避できないだろうか。ふと思いついたことを言ってみる。
「あ! あのさ、通信機2台しか持ってないんだ。だから、これ以上レグルスが増えても連絡とれないよ。合流はなしにしよう」
「これから合流する奴が持ってくるぞ。むしろ、借りてた通信機返すわ」
プレトはショックでケガを忘れ、勢いよく背もたれに後頭部を押しつけた。一瞬、やってしまったと思ったが、頭と首の痛みがかなり和らいでいることに気がついた。薬が効いてきたようだ。
「とりあえず会うだけ会ってみようか。どんな人なの?」ルリスが落ち着いた様子で訊いた。
「変な奴だぞ」
「あなたより?」
「は? オレはまともの代名詞だろ」
プレトもルリスも唇を引き結んだ。
再び外に意識を向けると、小川から魚がジャンプしたのが見えた。余計な人間関係に煩わされることのない魚が羨ましく思えた。
次の街にはほどなくして辿り着いた。待ち合わせの場所はファミレスだった。窓側の4人用テーブルについた。
「そいつ、まだ着かねえから、飯食ってようぜ」
昼時も過ぎていたため、キリンパンの提案どおりに注文した。なりゆきでドリンクバーも一緒に注文してしまったが、プレトは気が進まなかった。自分がドリンクバーのボタンを押したら、異物の混入したジュースが出てくるような気がしたからだ。申し訳なく思いつつ、ルリスに頼むことにした。
「ソバカス、私の分も持ってきてくれる? なんでもいいから……」
「いいよ!」
持ってきてくれたのはオレンジジュースだった。噴水広場とバスルームで飲んだあれが脳裏をよぎり、不安に襲われたが、恐る恐るひとくち飲んでみた。何の変哲もない、正真正銘のオレンジジュースだった。コップを持ち上げてみても、何も沈殿していない。プレトは胸を撫で下ろした。
あの奇怪な体験は、リアルな夢だったのだろうか。真夏の日差しの中では、全てが幻のように思えてしまう。
食事を終え、再び薬を飲んだ。全く痛みがないわけではないが、かなりマシになってきた。
ぼんやり窓の外を眺めていると、出入り口の開閉音が聞こえた。目を向けると、男が1人立っていた。店内を見回している。キリンパンがその人物に向かって片手を上げる。男はこちらに目をとめると、
「よーっす!」と言い、右手をひらひらさせながら近づいてきた。
空いている席……キリンパンの隣、ルリスの正面に座る。男はラウンドフレームのメガネをかけていた。そこには薄い紫のカラーレンズが入っている。男が口を開いた。
「レインキャニオンに行きたいのは君たち? 大変だねー」
「まあね、さっきキリンパンのせいで毛虫に刺されたし」プレトが答えた。
プレトの心の中では、ドクププに刺されたのはキリンパンのせいということになっていた。
「オレのせいじゃない……」
キリンパンの声を遮るように、男が口を挟んだ。
「キリンパン? え、キリンパンって名乗ったの? なにそれ、名前教えてあげないの?」
男はキリンパンの顔を覗き込むような仕草をした。覗き込まれた方は黙っている。
「えー、じゃあおれも君のこと、キリンパンちゃんって呼ばないといけないか」
「ちゃんは余計だろ」
メガネの男は、プレトとルリスを交互に見ながら話しかけてきた。
「こいつが案内に苦戦してるみたいだから、おれが助っ人に来たの。よろしくね。まだ1日しか経ってないのに、ヤワだよねー」
「……」
キリンパンは無言でコーヒーを啜っている。この男たちは、あまり仲良くなさそうだ。プレトは新たに登場した男に質問してみた。
「何をどこまで知ってるの? 君も依頼されて来たの?」
「おれも依頼されてきた。レインキャニオンに行きたいっていうのと、ストーカーされてるっていうのと、リバースパンダに遭遇したことは知ってるよ。こいつが電話してきたからね。あと、毛虫に刺されたの? お大事にね」
「……誰から依頼されてきたの?」
「匿名で人づてに依頼されたから、おれもよくわかんないんだー、ごめんねー」
「キリンパンとは同僚?」
「……そうだね、同僚だよ。だから連絡とってたんだよ」
なるほど、男の言っていることは、キリンパンと同じだ。きっと同じ人物から、同僚である2人に依頼が来たのだろう。
「名前、教えてくれる?」プレトはダメ元で訊いてみた。
「おれはね、本名教えてあげるよ。じゃーん!」
そう言って、男はレグルスの免許証を見せてきた。名前欄には『フーイ』と書かれている。どこか軽薄そうなこの男に、ぴったりの響きだと思った。
「きみたちの名前も教えてよー」
「……プレト」キリンパンに名前を知られているため、彼にも本名を教えることにした。
「ソバカスだよ。本名じゃないよ」ルリスも一応、名乗った。
「プレトちゃんとソバカスちゃんね。ストーカーされてるなら、人数多いほうが安心だよね」
「そうだね」
ルリスが戸惑うように返事をした。当たり前のことだが、出会ったばかりのこの人物を信用できないようだ。しかも、キリンパンの同僚ときている。プレトも簡単に信用するつもりはなかった。
ルリスの目に、この男がどう映ったのかを早く知りたかった。
(第27話につづく)
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