プレトとルリスは事故対応を終えると、ピンクのレグルスで次の街へ移動していく。
プレトは、発熱しているルリスの代わりに操縦をすると申し出たが、ハンドルを握っていた方が元気になるからと断られたので、やむなく助手席に座ることにした。
足元のバックパックの上に、靴を脱いだ両足を乗せ、2人分の寝袋を抱きかかえる。レグルスの中は2人分の荷物でパンパンだった。プレトが小柄でなかったら乗れなかったかもしれない。
プレトは一人、ぶつぶつと呟きつづける。当たり前のことだが、事故による傷心がぶり返しているのだ。
「私はさ、もともとレグルスとか、さほど興味なかったんだよ。日常生活にどうしても必要だから買っただけなんだ。みんなも持ってるし。どこに行くにしても、何をするにしても、レグルスがないと無理だから」
ルリスが操縦しながら、こちらをチラチラ見ている。プレトは気にせずに続けた。
「レグルスに乗ってれば、ムイムイも顔にぶつかってこないし。数滴のパラライトアルミニウムでたくさん走ってくれるから、コスパ良いしさ。レグルスなんて、それだけのものなんだ。それ以上でも以下でもない」
ルリスが口を開いた。
「自転車だと、ムイムイが目に入って痛いもんね」
プレトの心の傷口を刺激しないように、わざと適当に話してくれているのが分かった。プレトはルリスに語りかける。
「……私のレグルスをさ、初めて沐浴してくれたのはルリスだったよね」
「沐浴? 沐浴って、赤ちゃんを洗うことだよね? まさか、洗車のことを言ってるの?」
ルリスは困惑している様子だった。
「そうだよ。これからはさ、私がこのレグルスを洗うよ」
「それは大丈夫!」ルリスが食い気味に断る。
「そお?」
「だってさ、あなたが洗車すると、泡が見たことない色になるんだもん……」ルリスの語尾が小さくなっていく。 プレトは身振りをつけて説明をした。
「あれは、洗剤に混ぜ物をしただけだよ。窓から入ってきたスカイフィッシュをこうやって……」
「やだ! 説明しないで!」
プレトはドライバーの言うことに従った。犯人に対する怒りはあるが、ルリスが一緒にいることで、だんだんと落ち着きを取り戻すことができた。
ピンクのレグルスは林道を通り抜け、やがて開けた場所に出た。アスファルトが途切れ、ほとんど舗装されていない道に変わる。 厚い雲から、太陽が透けて見えた。
プレトはふと口を開く。
「職場に連絡してもいいかな。一応、出張という体だから、そろそろ進捗を伝えないと……」
「いいよ」
「…憂鬱」プレトは口を尖らせて呟く。 ルリスが一瞬こちらに顔を向けた。
「チユリさんと話すんじゃないの?」
「ううん、同じパラライトアルミニウムチームの上司の誰か。電話に出られる人と話す」
「そっか。まあ、仕事だもんね」
「……うん」
プレトは電話を終えると、ルリスに話しかけた。
「部長補佐と話した」
「役職がある人と話せたんだね。よかったね」
説明を付け加える。
「いや、そうでもない。全然仕事ができない人だから、部長補佐っていう役職なのに、部長に補佐されてるんだ」
「え? 部長が、部長補佐を、補佐してるの?」
「そう。部長補佐は、陰で、部長被補佐って呼ばれてるんだ」
「……なんて不名誉な」ルリスが眉をひそめた。
「だから、仕事の割り振られる量も少なくて、電話に出られたんだよ。私が伝えたことをちゃんと記録したのか、心配だわ」
ルリスは大きく頷く。
「時間あるときに、チユリさんにも電話して訊いてみたらいいんじゃないかな」と言った。
「……そうしようかな。……年功序列で出世するシステム、本当になんとかしてほしい」
ルリスが細かく何度も頷いた。
「それは本当にどうにかしてほしいよね。わたしが前に勤めていた飲食店でも、大して人望のない人が上の立場にいるから、息苦しいときもあったよ」
一瞬、沈黙した後、ルリスは続けた。
「……その人が、わたしのことをクビにしたわけだし」
プレトはルリスの横顔を見つめた。
「……そうだったね」
「うん。他の人は、減給でいいじゃんって言ってくれたんだけど……その人の性格がキツすぎて」
声が弱々しい。思い出すだけで疲れる記憶なのだろう。プレトも同意した。
「そういう人に限って、主張が激しいんだよね」
「そうそう……」
2人は黙り込んだ。
事故後にまたしても世知辛い話をしてしまったものだから、空気がますます重くなる。 プレトは友人を労いたくて、沈黙を破った。
「さっきは、警官に怒ってくれてありがとう。私が言いたいこと全部言ってくれた。普段は言い争いしないのにね」
ルリスは明るい声で答えた。
「どういたしまして! さすがに警察の態度が悪すぎて、頭にきちゃった。風邪ひいてるから、ついその勢いで言ったんだと思う」
プレトは会話の内容を思い起こしながら言った。
「特に『こんなのムイムイでも分かる! バカじゃないの?!』のくだりがよかったよ」
「ふふふ」ルリスは嬉しそうに笑った。
「ルリスが指摘しなかったら、警官は車載カメラの映像、確認しなかったかも」
「ねー! なぜか捜査したくなさそうだったよね」
「……今もストーカーされてるのかな?」
プレトは周りの風景を見回した。まばらに木が生えているだけの、何もないところだ。
「今は黙視できないな。今度はさすがに別のレグルスで来るだろうし」
ルリスは少し間をおいてから言う。
「出発前にさ、プレトのことをちゃんと家に帰すから、わたしも連れて行けって駄々こねたの、覚えてる?」
「うん」
「実現させるからね。わたしの操縦なら、絶対に大丈夫だから」
力強い響きだった。 プレトは思ったことをそのまま伝えた。
「ルリスにできないなら、誰にもできないよ」
ルリスはニコッと、歯を見せて笑った。
次の街に辿り着いたのは、夕方前のことだった。寂れた場所だった。 全体的に薄暗いのは、厚い雲のせいだけではなさそうだ。
2人はまず最初に、ルリスのレグルスを点検に出す。こちらも細工されている可能性があるからだ。
結果、何の問題もなかったが、店員がボソボソと話すので、何を言っているのかよく聞き取れず、何度か聞き返さなければならなかった。
「なんか……暗い街だね」ルリスがぼそっと呟く。
「うん、イヤな感じ……」
2人はレグルスで街の中を移動していくが、余りの雰囲気の悪さから、飲食店に入る気も起こらない。
途中で、テレビ局の建物を見かけた。変わったデザインをしていて、寂れた街の中でまるで威張るかのように建っている。新聞社の看板もちらほら見かけた。どうやらここは、メディア関係の仕事が主力になっていて、情報発信が盛んに行われている街らしい。
この街で一番安い宿を見付けて入ってみると、2人は思わず愕然とした。中がとんでもなくボロい。
壁には大きな亀裂が入っているし、ところどころ穴まで空いている。エントランスの床のタイルはあちこち剥がれ、天井に渡された梁は欠けていて、腐っている部分もある。
吊り下げ式の照明は、電球が切れかけているのか、絶えず点滅していた。照明全体が、ふかふかの埃に覆われている。 プレトの自宅兼研究室とボロさで勝負したら、この宿に軍配が上がるだろう。
フロントには、オーナーと見受けられる中年男性が座っていた。 プレトはためらいながらも声をかけた。
「……すみません、宿泊したいのですが、大人2人は可能ですか」
「はい」男性は無愛想にぼそっと返事をしてから、料金の説明を始めた。指定された金額を、プレトは支払う。とても安かった。
「ごゆっくり」
長い長方形のキーホルダーがついた鍵を渡してきた。それはルリスの顔より大きかった。
プレトとルリスは会釈をして、部屋に向かう。 ルリスが周りを見回しながら言った。
「人の気配が全然ないよね。お客さんはわたしたちだけなのかな」
「そうかもしれない」プレトが答えると、ルリスは眉をひそめて言った。
「わたしは別にキャンプでもいいよ」
「いや……病人に野営させるよりは、多分、こっちのほうがマシだよ」
プレトはそれ以上、言葉を捻り出せなかった。
部屋に入ると、そこはしごく普通の部屋だった。2人とも思わずホッと胸を撫で下ろす。 窓もベッドもきちんと備え付けられているし、壁に穴も空いていなかった。ヒビは入っていたが……
一息ついて、前の街で購入した食料を食べ、街の中で見たものについて意見交換をした。
「この街、相当寂れてるよね」
プレトの問いかけに、ルリスは頷いた。
「うん。活気というか、生気がないよ」
「ほんと、そうだね…」
プレトは寂れた街にいるせいで、自分まで寂しい気持ちになっていく気がした。ルリスが立ち上がって言う。
「わたし、先にシャワー浴びてもいいかな。警官とケンカして、汗かいちゃった」
「どうぞ」
ルリスがシャワーを浴びている間、プレトは部屋の中をぼんやりと眺めつづけた。いくつかのムイムイが、自由に飛び交っている。 あんな事故で、自分が生き残ったなんて、未だに信じられなかった。
プレトは心の中で密かに神様にお礼を言った。そして、レインキャニオンまで無事に連れて行ってほしいとお願いした。
厚い雲の隙間から、傾いた夕陽が顔を覗かせた。
(第17話につづく)
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