今月6日、クラシック音楽界の世界的指揮者「小澤征爾(おざわ せいじ)」が、心不全のため88歳で死去しました。
小澤征爾は音楽の才能を見込まれ、幼い頃からピアノを学び、23歳で渡欧、若手指揮者の登竜門である「仏ブザンソン国際指揮者コンクール」に優勝し、カラヤンやバーンスタインら巨匠の薫陶を受けました。
その後、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者、トロント交響楽団音楽監督などを歴任しています。
1973年にはアメリカの五大オーケストラの一つ、ボストン交響楽団の音楽監督に就任、29年間にわたって務めたほか、同年に東洋人として初めて、オペラの最高峰「ウィーン国立歌劇場」の音楽監督に就任しました。
このように小澤征爾は、「世界のオザワ」として名を馳せてきましたが、彼は旧満州国・奉天市(現・中国瀋陽市)の出身で、生まれながらにして上級国民の地位にあったことが分かっています。
小澤征爾の父「小澤開作」は、「満洲国協和会」の創設者の一人で、満洲国を日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人が共和して暮らす「五族共和」に基づいた国家にしようという強い理想を抱いていました。
また、警察や関東軍を動かす力を持ち、「満洲事変」の立役者であった「板垣征四郎」や「石原完爾」とは同志の関係で、この2人の名にちなんで、自身の息子に「征爾(せいじ)」という名をつけたそうです。
板垣征四郎と石原完爾は、大本教の二大教祖の一人「出口王仁三郎」の信奉者であり、王仁三郎と連携して満州に「エスペラント語」を広めるといった計画も立てていました。
◯RAPT×読者対談〈第106弾〉出口王仁三郎と日本軍による世界征服計画とその失敗。
◯RAPT×読者対談〈第89弾〉ニューエイジと満州と大本教と蝦夷共和国。背後にいるのは同じ一族。
したがって、小澤開作もまた、出口王仁三郎とともに満州国の建設に深く関与していたとみられますが、最終的に軍部と決裂し、彼らの計画は失敗に終わります。
1935年、小澤開作が夢破れて満州国から北京へと移った翌年、安倍晋三の祖父「岸信介」が満州を訪れ、産業や経済に関する権限を次々と掌握していきました。
小澤開作は岸信介と対立していたとみられ、「日本から満洲に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ。地上げをし、現地人は苦しめ、賄賂を取って私財を増やした。こんなヤツを自民党の総裁にするなんて、日本の未来はない」と話していたとの逸話があります。
こうした経緯から、小澤開作の第三子である「小澤征爾」は、中国に特別な思い入れがあり、1978年6月14日には念願だった「中国中央楽団」とのコンサートを実現し、2002年には日中国交正常化30年記念事業として歌劇「蝶々夫人」を北京で指揮するなど、数々の演奏会を行いました。
さらには、生まれ故郷でタクトを振るのが悲願だったとも言われています。
こうした経緯から、中国国営中央テレビは小澤征爾の死を受けて、彼の功績とともに「何度も訪中して公演を行った」と伝えたほか、中国のSNS「微博(ウェイボー)」でも「偉大な芸術家だった」「巨匠、ご冥福をお祈りします」といった追悼の言葉が相次いで投稿されました。
このように各分野で活躍している著名人の多くは、支配層の血を受け継いでおり、幼い頃から特別な教育を受け、将来の成功が約束されているわけです。
真の実力者が正当に評価され、活躍できる健全な社会となりますことを心から祈ります。
◯RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。
◯RAPT×読者対談〈第118弾〉この世はどこもかしこもフリーメーソンだらけ。または盛和塾と自己啓発と神智学協会。
◯RAPTさんの言う通り、自分自身が神様の御言葉に従って次元を上げることで、無理に子育てしなくても、子供の反抗もなくなり、自ら個性・才能を磨く優秀な子供になった!!(RAPTブログ読者・トモさんの証)
コメントを書く