【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第7話・ウチワモルフォ」by RAPT×TOPAZ

【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第7話・ウチワモルフォ」by RAPT×TOPAZ

公園内の親子連れが、不思議そうにこちらを見ている。プレトとルリスは慌てて手を離した。
「今日はこの街で宿をとろう」
プレトがそう言うと、ルリスが意外そうな顔をする。
「装備の量からして、車中泊か野宿だと思ってた」
「そうなることもあると思うけど、宿があるときは泊まる予定だよ。資金はかなりもらっているから、安いところを選べば、2人でも余裕だし」
多額の資金を手配してくれたのもチユリさんだ。一人増えても、なんとかなりそうな額だった。
「それに」と、プレトが続ける。「私たちはレディだし」
「そのとおりだね」ルリスは頷いた。

プレトとルリスは、公園内に設置された案内板を見にいく。街の地図が載っていた。宿泊施設を表す記号が、いくつか見受けられる。
「今日は初日だし、ここから近いところにしよう」
プレトはそう言ったが、ルリスも異議はなさそうだ。昨日、急いで装備を揃えてプレトの後を追ってきたものだから、やはり相当疲れているのだろう。
「ここに行ってみようか」プレトが、公園から一番近い記号を指さす。細い道を通って、レグルスで3分といったところだろうか。記号には「5」という番号が振られていて、案内板の隅を確認すると、《5.民宿》と書かれていた。
「民宿なんだ。近いし、いいと思う」ルリスがすんなり了承した。

「ちょっと待って」
ルリスがレグルスに乗り込もうとしたとき、プレトは思わずそれを引き止めた。そして、装備を漁り、通信機を2つ取り出す。角が丸く加工された三角形で、色は黒。手のひらサイズで、重さをあまり感じない。厚みは2センチメートルほどだ。小さな液晶画面がついていて、日付けと時間を確認できる。それを片方、ルリスに渡した。
「これ、通信機。レグルスに貼り付けておいて。ムイムイも接着してるよ。これがあれば、レグルスに乗ったまま会話ができる」
「こんなの、アウトドアショップにはなかったよ。かっこいいね」
ルリスは喜んで受け取ると、背面に付いた吸盤をレグルスのフロントガラスの内側に押しつけた。プレトも同じように通信機を貼りつける。お互いの通信機の番号を設定し、各々レグルスに乗り込んだ。電源を入れて、きちんと通話できるかチェックする。
「テストテスト、聞こえるかな」プレトは通信機に向かって話しかける。
「聞こえまーす」ルリスからの返事も問題なく聞こえてきた。
「問題なさそうだね」プレトが通信機に言うと、
「バッチリで…」と、ルリスの返事が途切れた。
通信機の調子が悪いのだろうか。すぐ隣のレグルスに視線を向ける。中にいるルリスは空中を見詰めていた。どうしたのだろう。ルリスが見詰める先に視線をずらすと、幾つかのひらひら動いているものに気が付いた。目を凝らすと、ギラつく赤色がはっきりと視認できた。
「ウチワモルフォだ!」
プレトの叫びと、通信機からのルリスの叫びが重なった。思わず強化ガラス越しに目を合わせる。
ウチワモルフォとは、うちわ形の羽をもった蝶だ。赤い金属質な光沢がとても美しい。夏の夜に活動する習性があり、宵闇を飛び交う姿に心を奪われた大昔の人たちは、唄にして歌ったりもした。
だが…
ウチワモルフォが飛んでいるときに撒き散らす鱗粉には、肺炎を引き起こす作用がある。おまけに、強い痒みと肌の爛れを伴うので、とても厄介な害虫だ。夜行性とはいえ、まれに昼間に現れることもある。そのため、学校では年に1回は避難訓練があるほど危険視されている。
いつのまにか、親子連れの姿が見えなくなっていた。きっとウチワモルフォを見て、大慌てで帰宅していったのだろう。
「ウチワモルフォだね……久しぶりに見たよ」ルリスの声がノイズもなく聞こえた。通信機には何の問題もないようだ。
「レグルスから出られないよ」プレトが答える。
「宿の方に行ってみる? そっちにはウチワモルフォがいないかもしれないし」ルリスが提案した。
「うん、行くだけ行ってみよう」
プレトを先頭に、宿まで移動することにした。

民宿は、ひときわ目を引くデザインになっていた。3階建てで、外壁全面が大きめの市松模様になっている。その配色は淡いイエローとピンクだった。窓枠と入り口のドアは、レモンイエローになっている。
「えー、かわいい」ルリスが残念そうに言った。ここに泊まりたかったのだろうが、 宿の近くではウチワモルフォがたくさん飛んでいて、とてもレグルスから降りて宿に入ることなどできそうもない。一瞬にして細かい鱗粉が全身に降りかかり、数日間、肺炎と肌の爛れで苦しむのが目に見えている。
プレトが提案する。
「街の中を一周してみようか。ウチワモルフォがいない場所に、他の宿があるかもしれない」
ルリスは、残念そうな声で「そうしよう」と答えた。

結局、2人は最初に合流した場所に戻っていた。公園の駐車スペースだ。
あの後、街中を一周回ってみたものの、ウチワモルフォはどんどん増えつづけ、完全にレグルスから出られなくなってしまった。公園の中でも飛び交っていて、空を覆うような勢いだ。きっと渡りの最中なのだろう。街の外にもたくさん飛んでいるので、2人は仕方なくここに戻ってきた。
ウチワモルフォは定期的に駆除活動が行われていて、近年ではだいぶ個体数が減ったと聞いていたが、今年はその反動で増えたのだろうか。バランスを取ろうとする自然の力を垣間見たような気がする。
「通信機、使えてよかったよね」ルリスの声が聞こえてきた。
「不幸中の幸いだ」
通信機の設置がギリギリ間に合ったことで、今こうして会話ができている。あと少し遅かったら、一切の会話もなく、お互いのレグルスに引きこもる羽目になっていただろう。
「食べ物とか携帯トイレは持ってる?」プレトが通信機に向かって尋ねると、
「あるよ、大丈夫」と、返事が返ってくる。
「結局、初日から車中泊になったね」ルリスが笑いをこらえるように言った。
「害虫騒ぎなんて、予想外だ」
プレトは言いながら、身体の力が抜けるのを感じた。
今日は本当にいろいろあった。1年分の情緒の揺れを体験したかのようだった。寂しかったり、泣きたくなったり、驚いたり、嬉しかったり、旅に出たり、引きこもったり……本当に忙しい日だ。
プレトは神妙な心持ちで、友人に問いかけた。
「初日からこれだし、今回の旅はきっと前途多難だよ。帰るなら今だぞ」
本当は帰ってほしくはなかったが、もしルリスの気持ちが揺れているのなら、無理はさせたくなかった。 だがルリスはさらりと答えた。
「帰らないよ。確かにウチワモルフォは危険だけど、職業差別してこないから平気」
「……そっか」
ルリスにとっては、肺炎を引き起こす蝶に囲まれるより、迫害してくる人間の方がずっと脅威のようだ。
「夜明け頃には、ウチワモルフォの群れも通りすぎるだろうから、朝になったら出発しよう」
プレトは静かに言った。
「そうしよう」
ルリスも静かに答えた。

プレトとルリスは、それぞれのレグルスの中から外を観察しつづけた。
ウチワモルフォは、離れて見る分には非常に目に楽しい虫だ。そのメタリックな赤い羽で、月明かりも街頭の灯りも思うままに反射している。自由にひらひらと舞うウチワモルフォと、可愛らしい街並みが相まって、とても幻想的に見えた。世の中には、その美しさと危険性に魅了されて、標本をコレクションしている人もいるらしい。
「昔も、一緒に隠れたことがあったよね」
ルリスの声で思い出が甦ってきた。
「あのときは一匹だけだったね」
プレトは記憶を辿りながら答える。あのときは確か、年齢がようやく二桁になるという頃だったろうか。大きな公園で、知っている子も知らない子も入り乱れて遊んでいたときに、突如、ウチワモルフォが現れた。昼間で一匹だけだったから、プレトはとりあえず近くにあったドーム型の遊具の中に潜り込んだ。そこには先客がいて、それがルリスだった。
「懐かしいね。わたしが遊具の中に座り込んでたら、プレトも入ってきたんだよね」
ルリスの声はどこか楽しそうだった。別の小学校に通っていたから、2人はそれが初対面だった。
ルリスは話を続けた。
「名前さ、プレパラートのプレトって教えてくれたよね」
「そういえばそうだった。まあ、本当のことだから」
名乗ったときに「賢そう」とルリスが言ってくれたことを、今でもはっきりと覚えている。プレトの両親は研究者だったから、娘にその名前をつけたのだ。
「ルリスは、ルリスズメダイって言ってたよね」プレトが言った。
「よく覚えてるね」
ルリスの声は驚きを含んでいる。ルリスズメダイとは、真っ青できれいな魚だ。
思い出話をしているうちに、強化ガラスに肺炎の原因が薄く積もりはじめた。ウチワモルフォが去ったら、レグルスの熱消毒機能で対応しなければならない。
瞼が重くなってきたので、プレトは装備から寝袋を引っ張り出した。荷物が多くて座席も倒せないが、ここで眠るしかない。ルリスも寝袋を広げているのが見えた。

プレトは寝袋に身体をねじ込んで考えた。
ルリスがいてくれて嬉しいが、初日からこれでは、この先どうなるのだろう。ルリスを守りきれるだろうか。
予測できない未来に不安を持ったところで、仕方がないのは分かっている。しかし、考え出したら止まらない。未来を見通せたらどれだけいいだろうかと、叶わぬ願いを抱いてしまう。小学生の自分がこの状況を見たら、どう思うだろうか。
異様に喉が渇いてきた。プレトは自分の両膝を両手でさすってみたが、なんだか落ち着かない。 ふと窓の外に目をやると、ウチワモルフォがすぐそばを飛んでいた。
残酷な美しさだった。

(第8話につづく)

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