【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第2話・不可解な応答」by RAPT×TOPAZ

【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第2話・不可解な応答」by RAPT×TOPAZ

プレトは困惑した。命令書を見るのは初めてだった。 よく見ると、差出人は職場だけでなく、法務省も連名になっていた。
法務省にも関係があるのか?
短い命令書の内容を何度か読み返してみたものの、プレトには全く状況が掴めない。

プレトは思う。
そもそもパラライトアルミニウムが枯渇するはずがないし、百歩譲って、誰かが虹の採取に行かなければならないとしても、採取チームに命令すべきだろう。
私は研究チームから動いたことすらない。
しかも、宛名が「プレト殿」となっている。この書き方だと、まるで私1人で行くようにと言われているようだ。

プレトは研究所の人間関係にも待遇にも余り不満はなかったが、頭をよぎったのは「退職」の2文字だった。 だが、そう簡単に辞めるわけにもいかない。
この国では、基本的に職業は1度決めたら変えるのが難しい。再就職のハードルはとても高く、退職理由が何であれ、次の仕事は危険度がより高く、給料の低い仕事になる場合がほとんどだ。
何よりも、世間体が悪くなり、肩身の狭い思いをすることになる。
状況が何も分からない今、焦って退職するより、先ずは苦情の申し立てをすべきだと判断した。若手のプレトにとっては、苦情の申し立てすらも、自分の立場を危うくするリスクを孕んでいたが、ここは自分を奮い立たせるしかない。

プレトの職場は、パラライトアルミニウムの研究をしている国立の研究所だ。そこにはいつも人がいて、各々の作業や研究をしている。だから、定時が過ぎた今でも、誰かが電話に出てくれる可能性は高かった。さすがに所長はこの時間にはいないだろうと思ったが、上司の誰かとなら話せるかも知れない。
プレトは携帯電話を手に取り、ムイムイを探したが、見当たらなかった。
ムイムイとは、いたるところに浮いている電波の粒で、BB弾くらいの大きさをしている。これを携帯電話の本体に付着させないと、電話をかけることができないのだ。しかし、家の中にムイムイは見当たらなかった。
プレトはもどかしい思いで窓を開ける。 空を見上げると、さっき見た宵の明星がまたも視界に入ってきた。しかし、今はそれを見ても美しいとは思えなかった。
夜風に揺られながら、沢山のムイムイが部屋の中に入ってくる。プレトは携帯電話の吸着機能を最大出力にし、ムイムイを集めた。

プレトが職場に電話をかけると、2コール目で上司が出てきた。 採取チームの管理職の女性だった。プレトが所属する研究チームの隣の部署だが、男性だらけの職場で数少ない女性ということもあり、わりと親しくしてもらっている。プレトは挨拶をしてから、端的に話す。
「今日、命令書が届いたのですが、あまりに突然のことですので、応じることはできかねます。虹の採取は辞退させていただけませんか」
「え?」
上司が不思議そうな声を出してきた。プレトは繰り返した。
「辞退いたします」
「辞退? プレトさん、どうしたのかな。採取ってなんのことかな」
考えてもいなかった返事が返ってきた。プレトは戸惑う。
「え?」
「何かあったのかな。今暇してたし、よかったら話してよ」
プレトは困惑しつつ尋ねた。
「チユリさん。採取チームの皆さんも、レインキャニオンに虹の採取に行くのですか?」
チユリさんは答えた。
「レインキャニオンに虹の採取? なんのことだろう。聞いたことないな」

チユリさんと話してみたところ、彼女は本当に何も知らないようだった。プレトが命令書の説明をしたら、とても驚いていた。
採取チームの管理職である彼女が何も知らないのなら、同僚たちも何も知らないはずだ。プレトの直属の上司ですら、何も知らないのかも知れない。
あまりに状況が不可解なので、一度、所長と直接話をしたほうがよいのではとアドバイスされた。所長は基本、毎日、研究所に出入りしているから、早ければ明日にでも話すチャンスはあるだろうと。
プレトもそうした方がいいと思い、「この電話はなかったことにしていただけませんか」と伝えた。チユリさんは快諾してくれた。

プレトはひどく疲れた。居ても立っていられなくなり、ソファーに腰をおろす。
電話に出たのがチユリさんでよかった。他の人だったら、職場の命令書に従えないのかと、延々と説教されたに違いない。
頭の中で、ルリスと一緒に観た映画の内容を反芻した。 癒し系ホラーと銘打ったその映画では、スライムとクマたちの争いと和解が描かれていたが、プレトにはその映画のどこにホラー要素があるのか、よく分からなかった。 今、プレトの身に起こっている現実の方が、よほど癒し系ホラーだと思った。ルリスに癒され、職場が怪しくてホラーだからだ。
時計に目をやると、20時前を差している。
ほんの数時間前まで、ルリスと一緒に映画を観て、お喋りして、レグルスの空中散歩を見せてもらって、同居の話をしていたのに。あの楽しかった時間がまるで幻のように思えてくる。

プレトは喉の乾きに気付き、ローテーブルの上にあったコップに手を伸ばした。グレープジュースが、溶けた氷ですっかり薄まっている。
コップを口に運ぼうとするが、手に力が入らず、結露のせいで滑って床に落としてしまった。コップの中身が盛大にぶちまけられ、プレトの靴下がずぶ濡れになる。
「明日の準備をしないと」
プレトはそう呟き、よろよろと立ち上がる。床にできた水溜まりを飛び越し、浴室へ向かっていく。 靴下が水分を含んでいたせいで、グジュグジュとイヤな音を立てて足跡を作っていった。

   
翌朝、プレトは洗面台の前に立って鏡を見た。よく眠れなかったせいで、やつれ果てて見える。
墨色のショートウルフに寝癖がついていた。手に水をつけて撫でつけてみたが、すぐに髪がはねてしまう。プレトより寝癖の方が元気そうだ。プレトは思わずため息をついた。
キッチンへ向かう途中、プレトはフローリングの一部がベタついていることに気付いた。昨日こぼしたドリンクがきちんと拭き取れていなかったようだ。しかしプレトは、敢えてそれを無視して、 冷蔵庫からグレープジュースのパックを取り出し、口を直接つけて残りを飲み干す。
今日は所長と話せるだろうか。プレトの頭の中はそのことでいっぱいだった。所長に苦情の申し立てをするのも気が重く、仮に意見が通ったとしても、職場での立場が危うくなりそうで、ますます気が重くなる。
食欲も出てこなかった。着替えを始めようとしたが、忘れないうちに窓を閉めることにした。一晩中開けていたので、室内にはいつもよりムイムイが多く浮かんでいる。
職場は私服の上に白衣を着ればいいだけなので、自由な装いで出勤できる。だが、プレトはいつも似たような服装をしていた。着飾ることにさほど興味がなかったからだ。
プレトは黒のスキニーに脚をねじ込み、白の半袖ブラウスに腕を通す。その上に黒のサマーニットのベストを重ね、黒いリュックを背負い、黒革のスニーカーを履く。
玄関にある姿見で、自分の姿を確認すると、肌が白いのも相まって、頭のてっぺんから足の先までモノクロームに染まっている。その上、これから白のレグルスに乗るのだ。鏡に映ったプレトの顔に、自嘲気味な笑みが浮かんだ。

(第3話につづく)

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