前回の記事では、出口王仁三郎について書かせていただきました。
今回は、出口王仁三郎率いる大本教が引き起こした犯罪のうち、第一次大本事件について書きたいと思います。
大本教は開祖である「出口なお」が死去したあたりから、教勢の拡大を図るようになりました。
「出口なお」に国常立尊が取り憑いて書かれたとされる『お筆先』は、ほとんどがひらがなで書かれ、しかも句読点のない文章でした。
そのため、読み手によって如何ようにも解釈ができたため、前回取り上げた浅野和三郎は終末論を展開しました。
当時は第一次世界大戦、ロシア革命、米騒動と、社会的混乱が数多く起こり、不安を感じた庶民が大本教に次々と入信していきました。
そんな大本教に、当時の日本政府は危機感を抱いていました。
大本教が信じる国常立尊は、天皇が崇拝している天照大神より格が上だそうです。
国常立尊も天照大神も、ラプトブログによって、どちらも旧約聖書に出てくるサタンだったことが暴かれました。
○「天照大神」「スサノオ」「ツクヨミ」による権力争いと世界支配計画。現代まで続く「日本神話」という現実の物語。
バアルは、別名『ベルゼビュート』とも呼ばれており、下の表を見ると、西洋でもアスタロト(=天照大神)より位が上のようです。
○「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
自分たちが信仰する悪魔より、位が上の悪魔を信仰する人たちが増えると、当時『現人神』とされていた天皇の宗教的権威、及び統治権の根拠を脅かしかねませんでした。
そのため、当時の検事総長、平沼騏一郎は大本教を検挙する判決を下します。
平沼騏一郎は、内閣総理大臣をはじめ、枢密院議長や内務大臣を務めました。
初代枢密院議長は伊藤博文。
大久保利通の片腕と言われていました。
大久保利通と言えば、麻生太郎の高祖父にあたります。
大久保利通は、明治維新を起こした島津家の出身で、秦氏です。
○「麻生太郎」とロスチャイルド家との強力なつながり。またはベンジャミン・フルフォードの正体。
また、大久保利通は初代内務卿を務めましたので、前述の平沼騏一郎も伊藤博文も、大久保利通の手下であり、秦氏だったと考えられます。
対する出口王仁三郎は出雲族です。
○RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。
つまり、平沼騏一郎が大本教を検挙したのは、秦氏と出雲族の争いの一環だったと言えるわけです。
これが俗に言う『第一次大本事件』です。
そして1921年、平沼騏一郎は不敬罪と新聞紙法違反の疑いで、出口王仁三郎と教団幹部を検挙しました。
この事件は裁判にかけられ、10月に第一審の判決が下りました。
第二審は第一審を支持しましたが、その後の大審院では前判決を破棄し、控訴審に差し戻しました。
再審理中に大正天皇が崩御し、恩赦により1927年に免訴となりました。
足掛け6年の裁判となりましたが、この期間、出口王仁三郎は突拍子もない行動を起こします。
1924年、出口王仁三郎は数人の仲間を伴い、蒙古(モンゴル)に渡ったのです。
蒙古に渡る布石はいくつかありました。
大本教の信者は海軍に多くいましたが、陸軍にも賛同者は多かったようです。
1918年、陸軍の秦中佐は、出口王仁三郎に『シオンの議定書』を手渡しています。
シオンの議定書については、ラプトブログでも記事になっています。
○「シオンの議定書」の概要。ユダヤ金融資本の行動パターンが理解できる重要書です。
また、1923年、関東大震災が起きた際、中国の道院・世界紅卍字会は日本に慰問使節団を派遣しましたが、彼らは京都に立ち寄り、出口王仁三郎と面会していました。
ここで王仁三郎は道院の宣伝使の資格を得ており、当初は『道院の布教』という名目で蒙古に渡りました。
また、王仁三郎は1921年からエスペラント語の研究も始めています。
また、この時期に同じくエスペラント語を使用していたバハイ教の訪問も受けていました。
エスペラントについても、ラプトブログの記事で書かれていますが、エスペラント語創設の目的は人類愛善などではなく、悪魔崇拝者たちの意思疎通の手段だったのです。
こうして、海外の情勢などについて情報を得た出口王仁三郎は、蒙古からチベット、インド、中国を宗教的に統一し、ロシアをも支配下に収め、エルサレムまで向かい、自らを『救世主の再来』として宗教王国を建設し、教祖として君臨するつもりでいました。
しかし、この計画はあえなく頓挫しました。
王仁三郎の蒙古での協力者は、満州の独裁者張作霖の手下である「盧占魁」でしたが、「盧占魁」の勢力が拡大するのを恐れた「張作霖」が、「盧占魁」を殺害してしまったのです。
王仁三郎も銃殺される一歩手前まで行きましたが、日本領事館の介入により銃殺を免れ、日本に帰国しました。
帰国した王仁三郎は、朝鮮の新興宗教「普天教」と提携し、回教(イスラム教)とも交流しました。
そして1925年、世界宗教連合会が成立しました。
そのすぐ後、国内では人類愛善会が成立しました。
会の規約に『光明』という言葉が出てきます。
光明についても、ラプトブログの記事に書かれてあります。
○RAPT×読者対談〈第118弾〉この世はどこもかしこもフリーメーソンだらけ。または盛和塾と自己啓発と神智学協会。
谷口雅春は、もともと大本教の信者でしたので、彼が言う「光明思想」とは、出口王仁三郎から伝授された可能性が高いです。
というより、悪魔崇拝者たちの共通思想なのでしょう。
光明から連想されるものに『明け方の光』があります。
明け方の光、つまり、『明けの明星』です。
聖書ではルシファー のことを、「明けの明星」と表現しています。
○空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
世界宗教連合会も、人類愛善会も、最終的には『全ての宗教を一つにする』ことを目指しています。
出口王仁三郎の思想は、善と悪をごちゃ混ぜにして、最終的には宗教のない世界を作ることでした。
『ミロク』とは、『3つの6』、つまり『666』です。
聖書には、以下のように書かれてあります。
『ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。』
(新約聖書 ヨハネの黙示録 第13章 第18節)
つまり、ミロクの世とは、悪魔と悪魔崇拝者が統治する世界のことを言います。
確かに、そういう世界に人々を救う宗教は不要でしょう。
出口王仁三郎は、ミロクの世を実現させるために精力的に活動した悪人でした。
神様は、ときに悪人を使って悪人を裁かれます。
出口王仁三郎に対しても、厳しい裁きが下されました。
そのことについては、次回の記事に回したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆様に神様のお守りと救いがありますように。
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