1945年8月13日、かつての満州国吉林省、小山克(しょうさんこく)で、日本人避難民が乗った列車が、武装した中国人暴民に襲われ、日本人避難民が強姦・虐殺されるという事件がありました。
これを「小山克事件」といいます。
1945年8月9日未明、ソ連は突如、日ソ不可侵条約を破棄し、日本に宣戦布告をして、満洲国に侵攻してきました。
そのため、関東軍は翌日、避難民の移送を決定し、8月11日昼までに軍・官関係者の家族を中心とした約38,000人が18本の避難列車で通化などに移送されました。
しかし、13日、満州国の首都新京を出発した避難列車が九台駅に到着すると、鎌などで武装した中国人の暴民たちが待ち構えており、客車に乱入、避難民から金品を奪い取りました。
その後、小山克トンネルに差し掛かったところで、小銃で武装した暴民たちが線路を焼き払っていたため、列車はやむなく停止。
すると、暴民たちが客車に乱入、鉄道公安官の拳銃を奪い取って縛り上げた後、日本の民間人を次々と殺害し、日本女性たちを車外に連れ出して輪姦しました。
暴民たちは、抵抗する者を射殺し、女性が抱いていた乳児を窓から放り投げて殺害しました。
100人以上の女性たちは、この事態に耐えられず、崖から谷底に飛び降りて自決しました。
避難民たちは、事件を知らせるために次々と使者を送りましたが、暴民たちによって射殺され、唯一、谷底に転落した13歳の少女だけが、負傷しながらも5キロ先の駅に辿り着き、事件を知らせることができたそうです。
その後、関東軍600名が列車で派遣され、8月14日明け方事件現場に到着すると、日本女性を抱きながら眠り込んでいた暴民たちが逃走を試みようとしましたが、日本軍によって射殺、または捕縛されました。
日本軍は暴民を鎮圧すると、直ちに線路を復旧し、列車は通化に到着しました。
しかし、通化の避難民収容所に収容された避難民たちは、後に通化事件に巻き込まれることになりました。
○【通化事件】1946年、かつての満州国通化市で中国人が日本人約4000人を監禁・惨殺 教科書に載っていない日本人虐殺の歴史
これらの真実が世に広まるとともに、悪魔の化身に他ならない中国共産党が一刻も早く滅び去りますことを心から祈ります。
○【通州事件】85年前に起きた中国人による日本人大量虐殺事件 日本人約260名が犠牲に
○「逃げる者は射殺」ウイグル人収容施設の内部資料が大量流出!! 習近平が収容施設の拡大や人員増強を指示していたことが明らかに
コメントを書く