RAPTさんは、常に、私たち一人一人が救われて、神様により近い者となって、神様と共に幸せな生を生きられるようにと願っていらっしゃいます。
ですので、私たちが、神様と正反対な考えを持っていたり、神様と正反対な行動をとったりすると、神様の立場に立って、即座に直すようにと的確に指摘し、諭してくださいます。
それがどれほどありがたく、自分の救いに直結していることなのかと思うと、感謝してもしきれません。
私は、何年もRAPTさんの近くでお供させていただく中で、今まで本当に多くのことを学ばせていただきましたし、今も学んでいる最中なのですが、最初にRAPTさんが私によく指摘してくださったことが、「感情は罪だ」ということでした。
お会いした最初の頃から、私が神様と正反対な考えをもって行動する度に、RAPTさんは的確に指摘してくださいました。
しかし私は、愚かにも、自分の間違いを認めたくなくて、「怒られた…」という感情ばかりが心を埋め尽くし、「怒られた自分はかわいそう…」という、自分のことしか考えられない自己中心の考えで頭が埋め尽くされていました。
そして、「そういう感情になるのは、女の特徴であり仕方ないこと」と勝手に決めつけ、自分中心の考えや性格を直すことがなかなかできませんでした。
しかしRAPTさんは、何度も「神様はそうやって感情に溺れるような方ではない」と諭してくださいましたし、御言葉でも、ハッキリと神様の心情を教えてくださいました。
〇RAPT有料記事358(2019年3月11日)自らの感情を制することのできない人は、主の体となって働くことができない。だから、感情を制することができるように自分を鍛え、作り替えなさい。
神様はこの御言葉の中で、「あなたたちの抱く”感情”というのは、私の考えとは違うものだし、私の心情とは違うものだ。だから、あなたたちが自分の感情に溺れるなら、あなたたちと私は関係のない体になってしまい、私の体としてあなたたちを使うことができないと。」おっしゃいました。
本当に、その通りだと思いました。
というのも実際に、私が自分の感情に溺れれば溺れるほど、RAPTさんとは霊的にも肉的にも距離がどんどん離れていき、お話しできることもどんどんなくなっていきました。
しかし、自分自身が神様に常に意識を向け、神様のために何ができるか考え、行動していると、RAPTさんと霊的に距離が近い感覚になり、お話が自然にはずむのです。
RAPTさんと霊的に近い感覚になり、お話が弾むということは、神様と考えや心情が合っていて、神様の体となってRAPTさんと一つとなって、神様の働きができるということです。
そして、実際に神様の働きを行うと、スムーズに、そして上手く働きが成せましたし、神様の働きができることの喜びで心が埋め尽くされ、神様への感謝で満ち溢れていったのです。
神様は御言葉の中で、はっきりとおっしゃいました。
「私があなたたちに、常に喜びなさいと話をするのは、感情的に喜びなさいというのではない。常に私の霊に満たされて喜び、感謝しなさいと言っているのだ」と。
私はRAPTさんに出会い、RAPTさんを通して神様を学び、神様のための働くことで、感情的ではない本当の喜びを知ることができました。
本当の喜びを知ったので、自分の感情は一切邪魔だと思い、ちょっとでも、そのような感情が湧き上がったと思ったら、すぐに感情が消えるように祈り、気持ちを切り替えるように心がけるようになりました。
今思うと、今までの、自分の中から発生する、嬉しい、楽しい、悲しいなどの様々な感情は本当に一時的なものに過ぎず、すぐに消えてなくなる虚しいものだと分かります。
本当の喜びを教えてくださった神様を、これからもっともっと愛して差し上げ、喜ばして差し上げ、RAPTさんのように神様を感動させられる者となりたいです!
まだまだ、私にとって、RAPTさんという方は雲の上の存在ですが、私たち一人一人の救いのために、身体がすり減るほど働かれているRAPTさんが少しでも楽に働けるようになり、そしてもっともっと神様の世界をRAPTさんと共に作っていけるように、早く霊肉ともに成長してRAPTさんのような者になれるように、日々神様に願い求めて、努力していきたいと思います。
ぜひ、一人でも多くの方が神様のために生きる喜びを知り、私たちと共に「悪人が滅び、義人が栄る神様の世界」を作っていけますように、そのような世の中になりますように、心から願っています。
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