
所長を国際的に裁くなんて、いつの間にそんな話が進んでいたんだ。大使館職員は説明した。
「こちらでも、クライノートなどで、〈プレパラート〉さんの投稿をチェックさせてもらったんですよ。ケーゲルに閉じ込められている映像もありましたが、アレはやばすぎません?」
「やばいですよ。映像だけでは上手く伝わらなかったかもしれませんが、電気が走っている膜に密封されて、危うく酸欠になるところでした」
「ですよね。モンド機関によると、ケーゲルは犯罪者とか不審者用ってことになっているらしいですが、なにも悪いことをしていないお二人が被害に遭った時点で、その前提は崩れていますよね⋯⋯モンド機関はご存じですか?」
「いろんな国が加盟していて、一般人が知らないことをごちゃごちゃ話し合ったりする機関ですよね」
「その通りです。正規ルートで輸入するならまだしも、あんなものをコソコソ裏ルートで入れられては困るわけです。そういうことをするのは、決まって悪人ですし」
「所長が悪人であるのは間違いないです。ね、ルリス」
「はい。悪人である証拠を積み上げたら、土砂崩れが起きるレベルですよ」
「お二人が言うと説得力が違いますね。今回、所長を見逃して前例を作ってしまうと、他国に対しても体裁が保てなくなるんですよ。そこで、シュヴァリエ国で所長を裁くという動きが活発になりました。国を跨ぎますし、具体的な罪状などはこれから固めていくことになりますが、迷惑極まりない上に他国も警戒しているようなので、時間はかかったとしても必ず罪を償ってもらおうと考えています」
「すごい⋯⋯でも、私が無事だからって情状酌量されたんですよ。上手くいきますかね⋯⋯」
「前例を作りたくないというのは、プレトさんたちの国も同じだと思いますが⋯⋯まあ、なんとかします。上手くいくように祈っていてくださいよ」
案内役に見送られ、デザート号で帰宅した。庭に着くと、チユリさんとビケさんが迎えてくれた。ストライプ柄のレグルスを洗車していたらしい。
「お帰りなさい! 待ってたわよ!」
「海の藻屑にならなかったんですね! 骨を拾いに行かなければならないのかと心配していましたよ」
「なんで! ちょくちょく連絡してたじゃないですか。というか、洗車してくれたんですね」
「実はね、不審者が来て落書きをしたのよ」
「え! 最近来ていないと思ってたのに、またですか⋯⋯おケガはありませんでしたか」
ルリスは口元に手を当てた。
「うん、なんともないわよ。レグルスも元通りきれいになったし、ビケさんが不審者を追い返してくれたし」
「『寿司でも握りましょうか! 肩車でもして差し上げましょうか!』って叫びながら駆け寄ったら、すっ転びながら逃げていきましたよ」
「怖っ。そら逃げ出すわ。頼もしいですね」
チユリさんが一人のときじゃなくて本当によかった。実刑は逃れたものの、有罪判決になったのが気に入らなくて、所長が送り込んできたのだろうか。真相は分からないが、これからも警戒しつづける必要がありそうだ。ほんとヤダ。
「プレパラート研究所の四天王として当然ですよ。シュヴァリエ国はどうでしたか? お茶を淹れますからお喋りしましょう」
ビケさんが用意してくれた紅茶を啜りながら、シュヴァリエ国で見聞きしたことを詳細に話した。所長の件についても伝えると、二人とも興味深そうに聞いていた。チユリさんは話し出した。
「工場のことは問題なさそうね。私個人は、ムーンマシュマロとステラグミの生産をシュヴァリエ国にお願いできたらいいと思うわ」
三人ともチユリさんの意見に賛同したため、正式にビジネスパートナーになりたいと大使館職員に伝えた。大使館職員からの返事には、できるだけ早く工場を稼働させ、こちらの国へ速やかに輸出すると書かれていた。ムーンマシュマロの材料には虹が必要なので、後日、もう一往復だけして届けることにした。ハロのほうが大量に抽出できるから、そちらを持って行けば不足することにはならないだろう。
「安定供給できそうで安心ですね。あとは、所長がきちんと罰を受けることになれば万々歳ですが⋯⋯とりあえず、わたしたちは目の前のことをコツコツ頑張りましょう」
ビケさんがみんなを鼓舞してくれた。シュヴァリエ国が、ムーンマシュマロとステラグミの生産を開始してくれた。冬の香りが風に混ざる頃、こちらの国の大型スーパーにも、安定して陳列されるようになった。買い物に行くと、お菓子売り場に並んでいるのだ。最初はこそばゆい気持ちになったが、今では完全に日常の風景だ。プレトは生き物たちの世話をして、冬毛に変わりつつある身体を撫でてやった。ふわふわだ。ずっと撫で回していたい。
ソファに腰掛け、モニターをぼんやり眺めていると、ニュース速報が目に飛び込んできた。所長がシュヴァリエ国から正式に訴えられたらしい。驚きのあまり、勢いよく立ち上がった。
「ルリス来てー! ニュースえぐいんだけど!」
駆け寄ってきたルリスと共にニュースを観た。所長は『内乱等幇助罪』で訴えられているようだ。
「ないらんとうほうじょざい? 字面が怖いけど、どういうこと?」
ルリスの質問に答えた。
「簡単に言うと、内乱を助けるために、兵器とか資金を援助する罪だよ。争いごとの手助けっていう意味」
「なるほど」
「所長の場合は、ケーゲルの密売が兵器の援助として認定されたみたいだね。『ケーゲルのせいで国内がぐちゃぐちゃになったらどうしてくれるんだよ。密売なんかしやがって』っていうのが、シュヴァリエ国の主張っぽいね」
「なんとなく分かったよ。ケーゲルの密売は大迷惑だって、大使館職員が言っていたもんね。このことだったんだね」
ニュースの中では、専門家が小難しいことを滔々と喋っていた。専門的な話にはついていけなかったが、シュヴァリエ国は『所長の身柄を引き渡す』もしくは『こちらの国がシュヴァリエ国に対してお金を払う』という二択を要求しているらしい。万が一、所長が姿をくらました場合は、国際指名手配も辞さないとのことだ。シュヴァリエ国からの声明も紹介されていた。
『我が国に危機をもたらす者は断じて許さない。地の果てに逃げたとしても必ず見つけ出し、罪を償ってもらう』
「わあ、強気だね! さすが元軍人。クライノートで話題になっているかもしれないね。見てみようっと」
ルリスはちょっと嬉しそうだ。ルリスの携帯電話を横から覗くと、既に多くの投稿がされていた。目に入ったものは全て、所長をシュヴァリエ国に引き渡してほしいというものだった。
『殺人未遂で執行猶予がついたツケだね。ウケる』
『所長の引き渡しを拒否して税金からお金出すとか絶対にやめてほしい』
『余生は牢屋で過ごしてほしい』
『ケーゲルみたいな危険物じゃなかったとしても、密売の時点でダメじゃね?』
⋯⋯といったコメントが注目を集めていた。所長は世間から見て、よほど信頼がないらしい。今後、所長を擁護する火消し要員が投入されるかもしれないが、ハッシュタグが既にトレンド入りしているし、鎮火はほぼ無理だろう。ニュース番組のコメンテーターも、以前の裁判を話題に取り上げつつ、所長をフォローする気になれないといった内容を述べていた。
「私とルリスをケーゲルに閉じ込めたのも、この前の裁判で甘い判決を受けたのも、巡り巡って裏目に出たみたいだね。私たちをいじめたり、密売で儲けたりしてウハウハだったはずなのに、ここまで急激に転落するもんなんだね」
「得する道だけ選んで山登りしてたら、急に足場がなくなって、崖から落ちた感じかな。下にマットはないだろうから、おしまいだね」
少し調べてみたところ、内乱等幇助罪で執行猶予がつく可能性は低いらしいし、そもそも殺人未遂の執行猶予中だから、所長にとっては希望が持てない状況だろう。
数時間後、プレパラート研究所のメンバーと共に作業をしていると、臨時ニュースがモニター上部に流れた。国が、シュヴァリエ国に所長を渡すと決定したようだ。所長は向こうに着き次第、禁固刑に処されるらしい。
モニターから目を離せないでいると、ルリスが飛びついてきた。その勢いで前のめりに転び、ビターンと派手な音が鳴った。身体を起こしながら振り向くと、チユリさんはハンカチで目元を押さえ、ビケさんは側転して壁にぶつかっていた。臨時ニュースを見て、それぞれの喜びが爆発しているのだ。
プレト自身は実感が湧かなくて、どこか他人事のように思えた。けれど確かに、自分たちを苦しめ続けてきた人物が正式に裁かれることになったのだ。国が下した決定なのだ。よかった。これで所長との戦いが終わる。気持ちに決着がつく。よかった。本当によかった。
「みんな、一緒に戦ってくれてありがとう⋯⋯」
声に出したら、鼻の奥がツンとした。
その夜、いい夢を期待してベッドに潜ると、明晰夢だった。薄暗くてジメジメした場所に一人ぼっち。ぬめりのある空気が身体にまとわりついてきて気持ち悪い。早く目を覚ましたくて歩き回っていると、弾力のある何かにぶつかった。ズルズルと動き出したそれは、丸太のような大蛇だった。息を飲んで頭を動かすと、鎌首をもたげたヘビと目が合った。こちらを真っ直ぐに見据えている。
⋯⋯明晰夢の中で食べられたら、一体どうなるの?
(第107話につづく)
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