研究所にいたこと、命令書が届いたことを話すと、法廷内がざわついた。四方八方から視線が突き刺さるのが肌で分かる。警備員がすぐ傍までやってきた。そして、所長と目が合った。所長は無表情で無言だが、圧力がすごい。『死に損ないの小娘が』という罵倒が今にも耳に聞こえてきそうだ。
「発言は控えていただけますか」
裁判長は静かに言った。
「でも、みんなが知らないことを私は知っているんです。多分、一番被害に遭ったのは私たちなので⋯⋯」
「裁判中ですので、発言は控えてください」
裁判長が機械的に話した。警備員も物凄い形相で睨みつけてくる。仕方がないので、大人しく指示に従うことにした。もっと反論したいところだが、また勝手に喋ったら、腕をつかまれて法廷の外に追い出されてしまうだろう。しかし、このまま所長がウソだと主張し通したら、判決はどうなってしまうんだろう⋯⋯まさか無罪? 頬の内側を噛み、うつむき、喋りたいのを我慢した。落ち着かない。左脚で貧乏ゆすりをしていると、ルリスがそっと左腿に手を添えてくれた。何とかならないだろうかと歯噛みしている間も、裁判は滞りなく進み、あっさりと終わってしまった。
「あれ、もう終わり? 『有罪!』とかないの?」
プレトは周りを見回した。他の傍聴人たちが帰ろうとしている。
「裁判って何日もかけてやるものらしいからね。ドラマだってそうじゃん」
「ドラマはダイジェストだからよく分からない⋯⋯えー、ちょっと待って、ほんとに今日はこれで終わりなの?」
このままでは、所長の主張が通ってしまいそうな気がした。
「とりあえず帰ろうか。外に出ようよ」
呆けているところをルリスに引っ張られ、ルリスが捕まえたタクシーで帰宅した。
自宅に入ってすぐ、プレトはソファに倒れ込んだ。突然、家に来た警察から隠れ、直後に裁判の傍聴をしたからだろうか。ひどく疲れている。言いようのない不安が、ムイムイハリケーンのように胸の中に渦巻いている。次回の裁判も、所長が自らの罪を認めずに、あっさりと終わってしまったら? 原告側は粘るだろうが、持っている証拠だっていつかは底をつくはずだ。所長が罪を認めないままだったら、どんな判決になってしまうんだろう。プレトは、自分が全身に冷たい汗をかいているのに気がついた。
「顔色悪いよ? 体調どう?」
ルリスが顔を覗き込んできた。
「いや、元気だけど⋯⋯裁判の行く末が心配で心配で」
「そうだよね、わたしも心配だよ。所長が全部ウソとか言い出したときは引いちゃったし」
「ありえないよね。あれだけ証拠が提示されているのに、全部ウソっていう主張は無理すぎるって。しかも、この期に及んで、まだ部下に責任を押しつけてたよね。本当に終わってる」
「部下を庇うようなことすら言ってなかったよね。一瞬たりとも反省する様子がなかった。ああいう人を反面教師にすればいいのかな」
プレトは所長の様子を思い浮かべ、口を開いた。
「今回の裁判ではっきりと理解したよ。所長は、1ミリたりとも自分が悪いと思っていないんだ。自分には全く非がないと心の底から信じているんだよ」
「あの様子だと、そうだろうね⋯⋯人間には誰にでも少しは良心があるものだと思っていたけど、間違いだったよ。所長は、人間じゃない」
「うん、完全に人間の枠から逸脱してる。悪魔だ」
「その悪魔に、物申したプレトはすごいよ」
「追い出される寸前だったけどね。勢いでつい喋っちゃっただけだし。はあ⋯⋯気を紛らわせたいな。歌の録音でもする?」
「そうしたいけど、今はみんなに聴かせられるクオリティで歌う自信はないかな⋯⋯今日もパラライトアルミニウムとかの注文が入ってるから、そっちをやっちゃおう」
「了解」
二人で梱包作業をした。黙っていると不安に侵食されそうだ。悪人なんかに振り回されたくないのに。プレトの心情を感じ取ってか、ふと、ルリスが口を開いた。
「パラライトアルミニウムもラピス溶液も、ムーンマシュマロも洗剤も、結構、売れてるよね」
「そうだね。今後どうなるかは分からないけど、今のところは軌道に乗ってると言っていいかも」
「実際、売り上げってどんな感じなのかな」
「販売価格を低く設定しているから、めちゃくちゃ儲かっているわけではないけど、利益は出てるよ。それより、動画投稿サイトの収益が大きいんだよね。ルリスの歌とか再生数すごいし、そっちからの収入のほうが多いかもしれない。贅沢しなければ困ることはないね」
「よかった。大家さんが家を改造してもいいって言ってくれてるから、新しい研究所の申請が通ったら、研究がはかどるようにリフォームするのもいいかなって思ってたの」
「リフォームか。自分たちでやれば、ある程度は費用も抑えられるし、いい考えかも。小綺麗な場所で活動できるのはいいことだね」
「でしょー」
ルリスはにんまりしている。
「まあ、研究所設立の申請が通ったらの話だけどね」
「そうなんだよねー、チユリさんのお友だちさんがうまくやってくれることを祈るしかないね」
話しながら梱包を終わらせ、今日の分を発送する頃には、金星がすでに空に顔を出していた。
「今日はいろいろあったね。疲れたー」
ルリスがそう言いながら伸びをしたとき、プレトの携帯電話に着信が入った。登録していない番号からだった。
「⋯⋯誰だろう」
「出る?」
「ルリスが知らない番号に出たときは、警察からだったよね? これも警察だったらイヤだなあ⋯⋯まあいいや、出ちゃおう。イヤなことは早めに終わらせてしまえ」
スピーカーモードにしてから電話に出ると、知らない男の声が聞こえてきた。
「プレトさんのお電話ですか?」
「はい」
「突然、すみません。私、所長の裁判を担当している検察の者です。今日の裁判、傍聴していましたよね?」
「検察官? 警察官ではなくてですか?」
「検察官です。原告側ですよ」
「裁判、傍聴していました。もしかして、出禁になったという連絡ですか? 裁判中に喋っちゃったから⋯⋯」
「いいえ、そうではありません。よかったら次回の裁判で証言していただけないかなと思って、お電話したんです」
「ふぇ」
思わずマヌケな声が出た。正面にいるルリスは驚いたような顔をしている。
「プレトさんは所長の研究所にいらしたんですよね? いろいろと情報を持っていそうですし、わざわざあの場で口を挟むほど話したいのなら、正式に発言してはどうかなと思ったんです」
「ああ、そういうことですか⋯⋯」
そう言いながらも、頭がついていかない。
「次回の裁判は1ヶ月後ですが、どうでしょう。都合がつきそうなら、ぜひ出廷してもらいたいのですが」
「えっと、今日言いたかったことを言ってもいいってことですよね?」
「そうですね。好き勝手に話せるわけではないですが、プレトさんが持っている情報や、受けた被害について主張できます。証言台で話している間は誰も邪魔できないので、いい機会だと思いますが」
確かに、こんなチャンスは二度とないかもしれない。ルリスもこちらを見て、カクカクと首を縦に振っている。「GO」と言っているのだ。
「ぜひともお願いいたします」
「こちらも、プレトさんに出廷してもらえると助かります。なんとしても所長に罪を償わせたいですからね。では、また改めてご連絡しますので、よろしくお願いします」
「あ、あの、どうして法廷で話したのが私って分かったんですか」
「研究所の職員だったという情報と、被害者という発言で調べたらすぐに分かりましたよ。研究所にはプレトさんの名簿も残っていますからね」
「なるほど⋯⋯」
「それに、SNSに出回っているプレトさんの顔写真と同じ寝癖がついてましたから、ほぼ確実に本人だろうと目星がつきました」
「⋯⋯え」
「では、よろしくお願いします」
検察官との通話が終了した。
「こんな寝癖つけて出歩いてる成人女性、プレトくらいだもん。すぐバレちゃうよね」
「⋯⋯え」
そんなにヤバいのか? 好きでこんな頭をしてるわけじゃないんだけどな。プレトは自分の後頭部を撫でた。ルリスは嬉しそうにしている。
「証言できることになってよかったじゃん! 運がいいよ!」
「傍聴券を譲ってくれた〈アネモネ〉とお父さんのおかげだね」
先ほどまでは不安でたまらなかったが、かなり心が軽くなった。今日は普段よりもたくさん喋ったせいで喉がヒリヒリする。裁判の行く末もまだ分からない。だが希望も出てきた。
カーテンの隙間から、手のひらサイズの雲が落ちてくるのが見えた。オルタニング現象が起こったのだ。誰かが自分のことを労ってくれているような気がした。
(第94話につづく)
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