プレトとルリスは、注文されていたパラライトアルミニウムと、少年に贈る用のムーンマシュマロを発送した。
「とりあえず、今日のタスクはこなせたかな」
「そうだね。ルリスはさ、いいアイディアある?」
「なんの?」
「この国でディユを流通させないための作戦とか」
「そんなの、思いつかないよ。流通させたくないのは山々だけど、SNSを更新するくらいしか手がないんじゃない?」
「所長がケーゲルを密売していた件については、部長補佐たちがメディアで拡散してくれたけれど、今回はそうはいかないもんね」
「部長補佐はディユを使う側だからね。栽培にどれぐらい関わっているのかは分からないけれど、ディユの流通自体には反対しないだろうし、協力を要請するのは無理だね」
ルリスは、お手上げといった表情をしている。
「地道にクライノートで情報拡散するしかないのかな。ディユがサマーブロッサムの名称で出回る可能性がありますよーって」
「でも、シャドウバンされたままなんだよね。フォロワーが頑張って拡散してくれるとは言え、ワクチンの情報ほどは注目されない気がするよ」
「まあね。パンデミック中に普及したワクチンの危険性と、聞き馴染みのない有害な食品についてだったら、どう考えても前者の方が興味をそそるもんね。私みたいに食品について興味のない人間は、ディユの情報とか絶対に見逃しちゃうもん」
ディユなんて、ルリスがいなければ一生知ることはなかっただろう。今の立場でなければ、いち消費者として気付かずに食べて倒れる側だったに違いない。
「このままだと、せっかくスパイク肺炎ワクチンを回避できた人たちが、ディユで身体を壊しちゃうかも」
ルリスは悲しそうだ。
「もう、スパイとか、スパイスとか、スパイク肺炎とか、スパの三段活用かよ。あーっ、イライラする! 毒をばら撒くな!」
プレトは頭を掻きむしった。大勢を害する奴らの思考回路が全く理解できない。一体、何に駆り立てられて、こんな悪いことばかりしているのだろう。そんなことに時間を使うくらいなら、昼寝でもしていた方がよほど有意義に思える。
ふとそのとき、プレトは幻の少女が言っていたことを思い出した。
……そうか、悪い奴らはサタンに利用されているんだ。サタンの操り人形として、ひたすらに人間を攻撃しているんだ。そう考えると、少し冷静になれた。サタンの思考回路なんて分かるはずがないのだ。分からないのがきっと正常だ。
「そういえば、クライノートにいくつかDMが来てたよ」
ルリスが教えてくれた。
「読んだの? アンチだった?」
「ううん、ムーンマシュマロを販売してほしいっていうお願いだった。ワクチンの悪影響を消したいけれど、部長補佐たちが売ってるチョコレート製品を食べるのは不安だから、ムーンマシュマロを売ってほしいってさ」
「SNSで情報収集している人には、ディユの危険性が広まっているのかな。ムーンマシュマロ、売れるもんなら売りたいけどなあ」
「わたしもガンガン作りたいけど、営業妨害がネックだよね。前も言ったけど、自分たちで販売サイトを立ち上げるしかないかな」
「そうなるよね。ダメ元で作ってみる? 営業妨害されたとしても、何人かは救うことができるかもしれないし」
プレトとルリスは協力して、ムーンマシュマロの販売サイトを作成することにした。用意されたテンプレートを使ったので、サイトは一時間ほどで完成した。
「凝ってる暇がないからすごくシンプルになっちゃったけれど、これでいいかな」
ルリスはサイトの様子を確認している。
「分かりやすくていいんじゃない。ワクチンの被害者はお年寄りが多いみたいだし、簡潔な方が親切かもね。それに、こだわって作ったところで、また営業妨害されるだろうし」
「それもそうだね。さっそく、このサイトのリンクをクライノートで宣伝しちゃおうかな」
開設したネットショップについて、ルリスがクライノートに投稿した。必要としている人に届くといいな。
「これで、パラライトアルミニウムとラピス溶液のサイト、ムーンマシュマロのサイト、二つを気にしなくちゃいけないことになったね」とルリス。
「忙しいね。まあ、両方とも注文が入れば通知が来るし、二人でやればなんとかなるでしょ」
ルリスが生き物たちの世話をしている間、プレトはネットサーフィンをした。部長補佐たちのチョコレート製品について、ネガティブな報道はないが、クライノート上では少しずつ被害を訴える声が増えているようだった。検索をかける度に体調不良に悩まされているユーザーの悲鳴が増えている。スパイス肺炎ワクチンの後にディユで追い打ちをかけられるなんて、読んでいるこっちが滅入ってしまいそうだ。感情移入しないように気を付けながら情報収集していった。そして、先ほど作った販売サイトに戻ると、いくつかメッセージが届いていることに気がついた。メッセージ欄を開いたプレトは顔をしかめた。
「ちょっと待って、もうアンチが湧いてる。クライノートで宣伝したから来たのかな」
ムーンマシュマロの販売サイトに直接、悪口のメッセージが来ていた。画面を見に来たルリスが、ため息混じりに言った。
「クライノートに張り付いて、わたしたちの投稿をチェックしているの? 気持ち悪いよ。どれだけわたしたちのこと嫌いなの?」
「一周回って、私たちのこと好きなのでは?」
「ありえるかも」ルリスは棒読みだ。
メッセージは、『販売をやめろ』『誰も買わないものを売るな』といった大したことないものばかりだが、受け取って嬉しいものでもない。いちいち言い返すほどでもないが、量が多いと厄介だ。煩わしい。ルリスと相談して、悪口コメントはとりあえず放っておくことにした。プレトはソファに身体を横たえた。部分的に変色した天井が視界に広がる。
……あそこにあんなシミ、あったっけ。シミもアンチも、勝手に現れてはこちらを侵食していく。なんて勝手なんだ。
幻の少女は、サタンや悪人に攻撃されたとしても祈れば大丈夫だと言っていた。疑う気持ちがないわけではないが、祈る以外にできることがあるのかと問われれば、ノーだ。それに、これまで祈りによって生き延びてきたことも事実だ。プレトは目を閉じ、心の中で『現状が良い方向へ変わりますように』と祈りを捧げた。
しばらくそうしていると、レインキャニオンへの往路で、ルリスがよく歌ってくれていたことを思い出した。ここ数日は忙しくて、まともにルリスの歌声を聴けていない。ふと、ルリスの歌声をみんなが聴いたらいいのに、という考えが浮かんだ。プレトは上体を起こした。
「ルリスズメダイちゃん」
「え、なに急に」
ウサギを撫でていたルリスが振り返る。
「ちょっと歌ってみませんか」
「いいよ。リクエストはある?」
「そういうことじゃなくて、大衆に向けて歌ってみない?」
「うん?」
ルリスは不思議そうに眉を動かした。
「天才歌姫ルリスの実力で、注目を集めるの。ルリスの歌をクライノートに投稿したらどうかな」
「ええーっ! 天才じゃないし、わたしの歌ごときで状況が変わるとは思えないよ」
「控えめな評価だね」
「そうかな、現実的だと思うよ」
ルリスはあまり乗り気ではないようだが、いいことを思いついたという自信がプレトにはあった。
「これから、サマーブロッサム⋯⋯もとい、ディユのことも発信していかなくちゃいけないだろうし、そのためにも、より知名度を上げておくのはいいことだと思うんだ。どう?」
「どうと言われても、そう言われたらやるしか⋯⋯評価がイマイチだったらすぐに消すっていう約束ならいいよ」
「よし、決まりだ。どこで録音すればいいかな」
家の様々な場所で試し撮りをしてみた結果、寝室が一番適していることが分かった。
「マイクもないし、録音は携帯電話だし、音声だけだし、こんなの上手くいかないよ。誰が注目してくれるっていうの?」
ルリスは弱気だ。
「私が注目してるよ。最初だし、人気がある曲にしたらどうかな。ちまたでは何が流行っているんだろうね」
「これとか? わたしの声質に合っている気がする」
ルリスが指したのは、優しいリズムの曲だった。人気アニメのエンディング曲らしい。さっそくルリスに歌ってもらうと、想像よりも良く撮れていた。
「いいねえ。自宅でリラックスして歌いました⋯⋯って感じが出てる」
「実際、そうだからね。これでいいのかな」
ルリスは不安そうにしているが、ダメな理由が見付からなかった。
「では、カサついた世の中にエンタメを提供しましょう」
ルリスに止められる前に、クライノートに投稿した。
「ああっ、本当に投稿しちゃった」
ルリスは携帯電話の画面を凝視している。
「みんなのリアクションが楽しみだね」
そう言いながら、ルリスの左頬を人差し指でつついた。
(第83話につづく)
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