少し前のことになりますが、神様からの愛を感じずにはいられない、不思議な出来事がありました。
私の家の庭に1本の大きな木があるのですが、その木は2、3年前から枯れはじめていて、今年に入ってからは完全に茶色くなり、全く生命力の感じられない状態になっていました。
枯れてはいても大きな木で、高さは家の2階に届くほどでしたので、このままではいつどの方向に倒れてくるかも分からず、とても危険なので、私はできれば切り倒したいと思っていました。
ですが、我が家にはチェーンソーのような物がなく、とてもこの大きな木を切り倒すことはできない状況で、この木のことが常に一つの心配事として、私の頭に引っかかっていました。
しかし、そうやってしばらく過ぎたある日、気がつくとその枯れた大きな茶色い巨木に、隣の家から勢いよく生えた葡萄の蔓が、クルクルと絡みつきはじめているのが分かりました。
隣の家からはよく見えない状態で、しかもその葡萄の蔓が日を追う毎にどんどん勢いを増して繁殖してきたので、折りを見てお隣の家の方にお話したところ、すぐに蔓の伐採に取りかかってくれました。
ところが、その伐採の途中、隣の家の方がその枯れた巨木に絡まった葡萄の蔓を勢いよくグイッと引っ張ったときのことです。
木の根がすでに腐っていたのでしょう、なんと巨木が根元から引っこ抜かれて、いとも簡単にメキメキと倒れてしまったのです!
幸い、お隣の方に怪我はなかったのですが、その後、落ち着いてその枯れた巨木を見てみると、その倒れた位置に唖然とせずにはいられませんでした。
本当に絶妙と言ってもいいぐらい、塀と小さな物置小屋のわずか数十㎝の隙間にその木が倒れていて、しかも隣の家にも我が家にも全く邪魔にならず、しかも人目にもつかない完璧な状態で倒れていたのです。
これを見た瞬間、私ははっきりと神様の働きを感じました。
頭の片隅にいつも悩みの種として残っていたこの枯れた巨木を、神様は私が全く手をかけることなく、隣人を使って倒してくださったのです。
まさに奇跡が起こったと、本当に心からの感動で胸が熱くなり、私は心の中で何度も何度も「神様、ありがとうございます」と感謝せずにはいられませんでした。
しかし、奇跡はそれで終わりではありませんでした。
それから数日後、隣の家の方が今度はチェンソーを持って来て、倒れた巨木を裁断してくれた上に、処分してあげると言って、どこかに運んで下さったのです。
私はとても驚き、隣の家の方に感謝する同時に、神様に心から感謝せずにはいられませんでした。
私が一切手をかけることなく、わずか数日でその巨木が跡形もなくあの場所から消え去ってしまったのですから、まさに奇跡としか言いようがありません。
今でもあの木が生えていた場所を眺めていると、何か不思議な力のようなものを感じて、神霊な気持ちになります。
私はこの出来事を振り返るたびに、今でも聖書の中のこの一節を思い出します。
はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。
(マルコによる福音書11章23〜24節)
私は神様を信じています。
心を込めて祈るなら、どれくらいの日数がかかるのか分からなくても、必ず叶うと私は信じて祈ります。
○RAPT有料記事864(2024年9月2日)信仰とは、神様の愛と力を疑わずに信じることであり、祈ったことは全て叶えられると信じることであり、神様が約束したことは全て実現すると信じることだ。
今回のこの出来事は、私にとってはとても衝撃的でしたが、信仰を持って3年、これまでも神様は小さなことから大きなことまで、実に様々な私の願いを叶えてきて下さいました。
そして、願いが叶えば叶うほど、神様の存在と、神様の愛を強く感じずにはいられません。
そして、神様との関係もより一層深まり、祝福と恵みをより強く感じて生きられるようになります。
○RAPT有料記事156(2017年3月20日)神様の愛だけが人間の心を完全に満たすことができる。
どうか一人でも多くの方がRAPTブログに辿り着き、神様の愛を知って真に救われ、心満たされた幸福な生を生きられますことを心からお祈りしています。
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