【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第54話・治った体」by RAPT×TOPAZ

【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第54話・治った体」by RAPT×TOPAZ

プレトは必死で肉塊を振りはらおうとしたが、右脚にぶらさがっているそれは、全く離れそうになかった。いくら脚を振ってみてもびくともしない。歯が食い込んでいるのだろうか。
「プレト!」
頭上から心配そうな声が聞こえてくる。上に顔を向けると、ルリスはすでに縄梯子を登りきっていた。崖の上からこちらを見おろしている。
「それ、岩壁に叩きつけたらどうかな!」
友人のアドバイスに従うことにした。プレトはサッカーボールを蹴るような動きで右脚を大きく振り、目の前の岩壁に肉塊を叩きつけた。肉塊は耳障りな唸り声を発したが、裾から口を離すことはなく、なんとジャージの方が破れて切り離されてしまった。肉塊はジャージの裾をくわえたまま、地面に放り出された。今がチャンスと、プレトは急いで梯子を登り、息を切らしながら崖の上に手をついた。ルリスがバックパックを掴み、引き上げてくれる。完全に登りきると、プレトは仰向けで大の字に転がり、胸の苦しさに耐えながら呼吸を整えた。その間に、ルリスが縄梯子を回収してくれたので、虹も無事に手元に戻ってきた。友人がこちらの顔を覗き込んで言う。
「とうとうやったね、虹を採取できたね」
柔らかに微笑む彼女は、さながら天使のように見えた。
「やったね……」
プレトもぜえぜえ言いながら呟いた。寝返りをうって、レインキャニオンに目を向けると、未だに危険植物と飛行物体はもつれ合っていた。フロントガラスと思われる部分に、地面から突き出た槍のようなものが、折れた状態で突き刺さっている。シャモジがやったのだろうか。墜落はせずとも、それなりのダメージを受けているようだ。
「特撮の大怪獣バトルみたいになってるね……今のうちにレグルスに戻ろうよ。無事だといいけど……」
ルリスはそう言うと、手を引いて起こしてくれた。不安を抱えながらレグルスに向かったが、出発したときと変わらない姿でそこにあった。ちょうど木や岩に隠れて、敵に見付からずに済んだようだ。
「よかったー」ルリスは胸をなでおろしているようだ。「森の中に移動して、もっと目立たないようにしよっか。もちろん、泥沼から離れたところにね」
二人はレグルスに乗り込むと、敵から発見されにくそうな場所に移動した。そして、霧散しはじめた雲の防護服を窓から外に投げ捨てた。
「訊くタイミングを逃していたんだけどさ、それはなにかな?」
「虹だと思う。縄梯子のそばに落ちていたから、プレトを待っている間に拾ったの」
ルリスのウエストを、虹がぐるりと囲んでいた。子供用の浮き輪を装着しているように見える。ルリスが虹を外し、見せてくれた。小さくて、リング状で、パステルカラーで、とても可愛らしかった。
「ハロとかいうやつかな? 色が薄いから虹として使えるかわからないけれど、一応採取しておこうと思って」
「ハロって珍しい現象だったと思う。すごいじゃん! 持っていけるものは持っていこう。でもなぜウエストにつけてたの」
「手が塞がると梯子を登れないからね。ちょうどいいからお腹に装着したの……わたしも訊きたいんだけど、そのジャージは肉塊にやられたの?」
「そうだよ……」
プレトは溜め息まじりに答えると、脚に視線を落とした。右脚だけ膝小僧が出ている。膝から下が完全に破り取られてしまったのだ。
「そんな漫画みたいな破れ方する?」
ルリスが不思議そうに言った。
「私もそう思う。多分、穿きすぎて寿命だったんだろうね。これ、高校のジャージだからさ」
「え、学校指定の体操服ってこと? ……あ、ほんとだ。後ろのポケットに名前が刺繍してある」
「このジャージは左側も切って、短パンとして使おうかな」
「そうだね……ねえ、虹は食べる?」
ルリスが、座席の後ろに雑に詰められた虹を指して言った。若干、変形している。
「不安だけど、やってみるか……」
チユリさんの情報によると、これでアナフィラキシーショックが治った人がいるのだ。プレトの身体に回った毒もなんとかなるかもしれない。一口だけなら試してみる価値はある。その人は確か、赤色を食べたと言っていた。それなら私も……
手を伸ばし、赤色を触った。ゆるいクリームチーズのようだが、やたらと粘度が高い。ぐりんとねじり、飴玉サイズをちぎり取った。
「不安でしかない……」
プレトはつまんだ虹を凝視して言った。
「前に食べた人は大丈夫だったんでしょ? 雲を食べる人が、虹に怖気づくのはおかしいと思うけど」
「そうかな……」
「そうだよ! はい、あーん!」
「ぐあっ」
口内に入れられた虹を咀嚼した。無味無臭で、グニグニしている。不思議だ。実態を持った虚無を噛んでいるようだ。そして飲みくだす。
「……」
「……変化は?」
「んー、特にない。時間が経てば、何か起こるかもね」
レグルスの中でとりとめのない話をしながら、効果が現れるのを待った。30分ほど経ったとき、突然、鼻水が出てきた。慌ててティッシュで鼻をかんだが、後から後から出てくる。
「なんだこれ……」
鼻水というより、もはや水だった。とめどなく流れ出てくる。プレトはバックパックからタオルを取り出した。ティッシュでどうにかできる量ではないからだ。タオルで鼻をおさえた。
「好転反応とかいうやつかな……」
ルリスが心配そうに言った。
「脱水になりそう」
「水、持ってくるね」
ルリスが給水タンクからコップに水をついで渡してくれたが、今にもあふれそうになっている。そうだ、ルリスはなみなみに入れるクセがあるんだった。プレトはなんとか受け取ることに成功したが、飲む前に少しこぼしてしまった。
「これじゃあ、おもらししたみたいじゃん……」
「夏だからすぐに乾くよ」
鼻をおさえたままなんとか水を飲んだが、あまりにも止まらないので不安になってきた。タオルも2枚目に突入した。
「顔全体がかゆい……顔を洗いたい」
「水に余裕があるから、洗おう!」
ルリスはレグルスから降り、給水タンクを取り出した。プレトもあとを追う。友人はそれを、森の中にある手ごろな高さの岩に置いた。プレトは注水レバーをひねると注水口の下に頭を入れ、流れ出る水をかぶった。部活終わりの男子生徒みたいだと思った。ガシガシと容赦なく顔面をこする。すると、周りを警戒していたルリスが言った。
「あ、あの飛行物体が飛んでいったよ。ふらふらしてるから、シャモジちゃんが健闘したのかな」
敵の数は不明だが、大きな脅威が去ったと分かり、プレトは胸を撫でおろした。
「これで、いつでも出発できるね」と、ルリスは言った。「ちょっと思ったんだけど、シャモジちゃんって雲には反応しないのに、わたしたちが森に入ったときは攻撃してきたよね? あのときレグルスは雲に包まれていたけど、どうしてかな」
「べんびばぼぼぼぶ」
「え?」
プレトは口に水が入らないようにしながら、同じことをくり返した。
「電気だと思う」
「電気……」
「無機物であるケーゲルにも飛行物体にも反応していたから、そうかなって思った。レグルスを包んでいた雲には電気を含ませていたからね。どうしてあの植物が電気に反応するのかは謎だけど」
「なるほど! じゃあ、帰りは普通の雲で包めば、奴らに襲われずに済むかもね! あ……プレト、鼻水とまったみたい」
「あれ、ほんとだ。もう痒くない」
「体調はどう?」
「今日は元々マシだったから、はっきりとした変化は分からないなあ」
ルリスが神妙な面持ちでこちらをじろじろと観察している。プレトの腕をつかんだり、むき出しになっている膝小僧をつついたりしていたが、やがて嬉しそうな声をあげた。
「すごい! 首の後ろの、サラミみたいになっていたところ、ほとんど元通りになってるよ!」
「え、うそ」
ルリスが患部を写真に撮り、プレトは半信半疑でそれを確認した。
「ほんとだ! 人間の皮膚に戻っている!」
思わずすっとんきょうな声を出していた。もう元には戻らないだろうとショックを受けていたのに、虹を食べて治ってしまった。これなら、発熱や頭痛といった症状も改善しているかもしれない。
「よかったね、ほんとに、よかったね」
ルリスが目に涙を浮かべて言った。優しい彼女は、ずっと心配してくれていたのだ。
「私が助かるように、ルリスが祈ってくれたおかげだよ」
「だったら嬉しいな……じゃあ、頑張って帰ろうね」
目元をぬぐう友人を見て、プレトはふと思い出した。数日前に幻の中で、少女に言われたあの言葉を……
『泉の源に行くには、流れに逆らって泳がないといけないの。人生はゆるい登り坂だからね』
泉の源とは、このことだったのかな。プレトにはなんとなく、『泉』が『命』を指しているように思えた。

(第55話につづく)

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