二人は街から出て、近くに住宅がないところまでやってきた。不審者にレグルスを細工されている可能性を考慮し、センサーが反応するかどうか、木で試すことにしたのだ。
「あの木で試してみようかな。誰もいないし、ぶつからないように気をつけるし、迷惑にはならないよね」と、ルリス。
「そうだね。まさか午前5時に、木に突進することになるなんて……」
「まず、ゆっくり近付いてみるね」
数メートル離れたところから、そろそろと近付き、木にぶつかる寸前のところで、ルリスがブレーキを踏んだ。
「センサーが反応しない。普通、ここまで近づく前に反応するよね?」
「するね。絶対に何か細工されてるじゃん」
プレトは頭を抱えた。きっと奴らは、宿の扉を叩く前にレグルスの細工を済ませていたのだ。
「もっとスピードを上げて突っ込んでみようかな。速度でもセンサーの感度が変わるし……プレトは降りててもいいよ」
「いや、乗ってる」
「そお?」
ルリスは、再び木と距離をとって言った。
「本当に降りなくていいの? 度胸試しなんてしなくてもいいんだよ?」
「乗ってる。君ならセンサーが効かなくても、ブレーキが壊れても避けられる」
「……了解! いくよ!」
ルリスがアクセルを思いきり踏み込み、レグルスが急発進した。木がボンネットの目と鼻の先まで迫ったとき、プレトは事故の記憶がフラッシュバックし、一瞬、走馬灯のようなものが見えた。しかしそのときには、レグルスは既に木をものの見事に回避していた。ルリスが大きくUターンしながら言った。
「これで確定した! センサーが完全に壊れてる。じゃなくて、壊されてる!」
「私のときと同じだ。同じ奴らがやったのかな? それとも、センサー破壊は嫌がらせの常套手段なのかな」
プレトは胸に手を当てて言った。心臓が飛び跳ねている。さすがルリス、涼しい顔でよくあんな芸当ができるものだ。
「どこかで直さないと……進みながら、修理できるところを探せばいいかな」と、ルリス。
「そうだね、レグルス関係の店はどこにでもあるし」
「よーし、いつもよりだいぶ早起きしたし、その分、進もうか!」
「レインキャニオンにも近付いてきたしね」
ルリスはハンドルを動かし、進行方向にレグルスを走らせた。その間に、プレトは先ほどの襲撃事件についてクライノートに投稿した。まだ早朝だから、反応があるのは数時間後だろう。画面はヒビ割れてしまったが、自分の携帯で投稿できるようになったのはありがたい。そう思いながら前に目を向けると、夏の太陽が昇った瞬間から本気を出している。うっすらと陽炎が見えた。先ほど突き飛ばされたときの感触が、まだ背中に残っているような気がして、プレトは座席に背中をこすりつけた。そのとき、目に入ったサイドミラーに、豆粒ほどの小さなあるものが映っているのが見えた。
「レグルスだ……」
「え?」
プレトの言葉にルリスがぴくりと反応し、バックミラーを確認した。後ろから1台のレグルスが近付いてくる。
「こんな朝早くに誰だろ。出勤してる……感じではないよね。ここ、家も何もないし」
「ストーカーかな? なんて面倒な……」
後ろのレグルスは、どんどんスピードを上げて迫ってきている。通常の走行では出さないような速度だ。やはりストーカーに違いない。ルリスがアクセルを踏み込んだ。身体にぐんと重みがのしかかる。
「こっちの方がスピードが出てるから、追いつかれはしないと思う」
ルリスは冷静に言ったが、続けて不思議そうに声をあげた。
「なんか飛んできてる!」
プレトが後ろに顔を向けると、確かにこちらに向かって何かが飛んでくるのが見えた。
「なんだあれ? クラゲみたいな、アメーバみたいな」
それは、手のひらをグーパーグーパーと、開いたり閉じたりする様子に似ていた。かなりの速さで動いているので、フワフワというよりも、パクパクといった感じで不気味だ。
「ちょっとあれ、速すぎない? 追いつかれちゃうよ!」
ルリスはすでにアクセルを踏みきっている。それでもアメーバのようなものは、こちらとの距離をどんどん縮め、やがてその一つが前方に回り込んできた。それはベタ塗りしたような白色をしていて、成人男性の手のひらほどの大きさだった。
「うわっ! 来た! 何か分からないけれど、避けたほうがいいよね!」
ルリスはそう言いながら、ハンドルを左右に切った。蛇行したり、円を描いてみたり、アメーバのようなものを振り切ろうと必死だ。ハンドルを大きく切る度に、プレトの身体は大きく揺さぶられ、せっかく治まりつつあった頭痛が再発してしまった。痛みに顔をゆがめると、目の前のフロントガラスにアメーバ状のものがベタリと貼り付いた。
「うわ! くっついた!」
プレトは驚きで目を見開いた。貼り付いたアメーバは、6枚の花弁のような姿をしている。
「これってそういうやつなの?! こういうタイプの妨害なの?!」
ルリスは一生懸命に操縦しているが、その花弁のようなものは、フロントガラスにもサイドミラーにも次々と貼り付いてくる。お陰で、二人の視界は真っ白に染まってしまった。
「何も見えない!」
ルリスが叫ぶように言った。ルリスはアクセルを踏み込む力を弱め、徐々にスピードダウンしていく。プレトが振り向くと、バックガラスにも幾つものアメーバみたいなものが貼り付いていて、視界が遮られていた。
「ストーカーがどこにいるのか確認しないと! 林道の時みたいにぶつけられるかもしれない! 窓開けるよ!」
「はいいい!」
ルリスが悲鳴のような返事をした。プレトは思いきって窓を開け、頭を出した。後方からレグルスが迫っていたが、アメーバ状のものは見当たらなかった。すべて使い切ったのかもしれない。
「来てる! スピード上げないとまずいよ!」
「一か八かで、住宅街の方に行ってみよう! 人目の多いところに行けば、いなくなるかもしれないよ!」
「分かった! 私が指示するから、その通りにハンドルを切って!」
「了解! スピード上げるよ!」
ルリスは再びアクセルを限界まで踏み込む。風圧で呼吸がままならない中、プレトは操縦の指示を出していった。
少しでも二人の息が合わなくなれば大惨事だ。全身の毛穴から、緊張の汗が吹き出してくるのが分かった。
しかし、いよいよ住宅街に入ったと思ったその瞬間、何かがプレトの目前に迫ってきた。慌てて顔をのけぞらせたものの、隣にいたルリスに例のアメーバが貼り付いたのが分かった。よく見ると、口が塞がれてしまっている。
「くそっ! まだ残っていたのか!」
引き剥がそうと手を伸ばしたが、ルリスは頭を左右に振った。そんなことより指示を出せということらしい。一瞬、苦しそうな瞳と目が合ったが、友人の意志を尊重し、指示を出すことにした。幸いにも、すぐに広い公園が目に入ってきたので、その駐車場に入ってもらうことにした。
レグルスが停車すると、プレトは急いでルリスの顔からアメーバ状のものを引き剥がしはじめた。しかし、髪からは剥がれたものの、肌にはピッタリとくっついて離れない。そのとき、プレトの視界の隅で、ストーカーのレグルスが通り過ぎていくのが見えた。予想した通り、住宅街で目立つようなことはしたくないようだ。
「ごめん、ごめんね、痛いよね」
プレトはそう言いながら、端から指をさし込み、少しずつ剥がしていった。口が開放されると、ルリスは大きく深呼吸した。プレトはそのままゆっくりと引っ張り、なんとか完全に引き剥がすことができた。
「ふあー、苦しかった……取ってくれてありがとう。ストーカーはどうなった?」
そう言ったルリスの左頬は、うっすらと赤くなっている。
「さっき通り過ぎていったよ。ここで暴れまわったら、住民に通報されちゃうからね」
「そうか……ここに来て正解だったみたいだね。それにしても、これは一体、何なんだろう」
ルリスは、剥がしたばかりのアメーバのようなものを、汚いものをつまむように持ち上げた。動かなくなっている。使い捨てなのだろうか。
「このペタペタしている部分は、ゼリーベンゼンでできているのかもしれない。白いから、わざわざ着色したのか、混ぜものをしてるのか……」
「もう……あいつらってこんなものばっかり作っているのかな。これって、どこからどう見ても武器だよね。目隠しできるし、あわよくば窒息もさせられるし」
ルリスは心の底から呆れたように言い、つまんでいたそれを膝の上に置いた。視線を落としたまま左頬をさすっている。
「私たちの視界を遮った上で、レグルスをぶつけるつもりだったのかな。宿で襲撃されたことをクライノートに投稿したから、さっそく追って来たのかも」
「そうかもね。それとも、今回は使わなかっただけで、他にもなにか攻撃手段があるとか……」
話していたら気が重くなってきた。こめかみがズキズキと痛む。早朝に叩き起こされ、突き飛ばされ、脅され、携帯電話の画面が割れ、レグルスのセンサーを壊され、ストーカーに追われ、謎の武器で攻撃された。太陽は眩しいが、お先真っ暗だ。
(第47話につづく)
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