1 運命の命令書
「最後のシーン良かったよね、まさかスライムとクマが一緒にあんなことするなんて」
ルリスがそう言って鼻をかんだ。
「本当に良かった。敵対していたのに、まさかあんな和やかなラストになるなんて」
プレトは深く頷いて答えた。
二人は、プレトの自宅兼研究室で映画を見終わったところだ。
この庭付き一戸建てのオンボロの賃貸物件は、プレトの趣味の実験器具で溢れていたが、意外と居心地がいいらしく、ルリスはしょっちゅう遊びに来ている。
本当にしょっちゅうなので、プレトはルリスに郵便受けのチェックすら頼んでいたほどだ。
ルリスはいつもは手ぶらでプレトの家に来るのだが、今日は「新感覚!癒し系ホラー!」とあちこちで宣伝されていた謎めいた映画のビデオを借りて持ってきた。 どうせ大した映画ではないだろうと思っていたが、思いのほか面白く、2人で感情移入しながら最後まで観入ってしまった。
「プレトもドリンク、飲むよね」
ルリスがそう言って、2人がけのソファーから立ち上がると、プレトの返事も待たずに冷蔵庫に向かっていった。
映画が終わり、画面を切り替えると、パラライトアルミニウムの枯渇問題に関するニュースが目に飛び込んできた。何やら不安を煽るように報道している。
パラライトアルミニウムは虹から抽出されていて、今年はその虹が足りないとアナウンサーが説明していた。
毎年、雨季になると、国内に出現する虹からパラライトアルミニウムを採取し、抽出し、貯蔵しているのだが、今年の雨季はほとんど雨が降らず、虹が出ないまま終わってしまったらしい。
だが、パラライトアルミニウムの研究チームに所属しているプレトにとって、そのニュースは意味がよく分からなかった。
パラライトアルミニウムは、 極少量の虹から大量に抽出できるものなのだ。それなのに、枯渇することなどあり得るのだろうか。
1年くらい抽出できなかったところで問題になるとは思えなかったし、過去に虹が出なかった年なんていくらでもあるだろう。同僚たちも同意見だった。
マスコミが視聴率のために騒ぎ立てているようにしか思えない。
ルリスがドリンクと氷の入った半透明のプラスチックコップを、両手に一つずつ持ってきた。そろそろと片方をプレトに差し出しながら言う。
「また枯渇問題のニュースだ」
「あぶね」
ルリスが左手の中にあるコップに口をつけて、急いでドリンクをすする。ルリスはドリンクをなみなみ注ぐ癖があるのだ。
プレトの口の中にグレープの味が広がる。 ルリスも自分の分をすすりながら、ソファーに腰を下ろした。
「本当になくなっちゃうのかな」
「職場では特に話題にならないけどね。私が下っ端だからかもしれないけど」
プレトが答えると、ルリスは心配そうな顔をした。
「パラライトアルミニウムがないと、レグルスに乗れなくなっちゃうね」
レグルスというのは、この国で必需品とされている乗り物だ。 操作も管理もとても簡単で、事故を未然に防ぐ機能がいくつも搭載されているので、今では誰もが当たり前のように利用している。 かつては1家に1台だったが、サイズも価格帯も豊富に揃った今では、1人1台といっても過言ではないほど普及している。
「大丈夫だと思うよ」
プレトはルリスに言った。
「大したことのない感染病が流行ったときだって、マスコミは不安を煽るような報道ばかりしてたし、どうせ今回も同じでしょ」
ルリスは「そうだよね」と言ったが、それでもまだ不安そうだ。
「もし本当に枯渇しちゃうなら、どこかに採りに行かなきゃいけないのかな」
プレトは記憶を辿りながら答えた。
「職場で見た資料には、レインキャニオンっていう場所が載ってたような。地形の関係で雨がよく降るから、そこでは高確率で虹を採れるらしい」
「そろそろ帰ろうかな」とルリスが言った。時刻はもう17時を過ぎていた。
ルリスは自分の使ったコップをシンクに置き、レンタルした映画と持参したバッグを抱える。
プレトも一緒に玄関に向かった。ルリスが帰宅するときは、いつも玄関まで見送ることにしている。 ルリスがフラットシューズに足を入れながら、ニヤニヤして言った。
「わたしのレグルスの操縦テクニック、見てみる?」
プレトは何も言わなかった。 イヤと言ってもどうせ見せられるのだ。プレトはパーカーのポケットに両手を突っ込み、黙ったままサンダルを履いた。
プレトがルリスと一緒に外に出ると、2台のレグルスが目に入った。 ピンクの2人乗りがルリスので、隣にあるホワイトの1人乗りがプレトのだ。
ルリスは自分のレグルスに乗り込む。
継ぎ目のないつるんとした流線型のボディがつやつやと輝いている。きっと洗車したばかりなのだろう。ルリスのピンクのレグルスは、持ち主に似てお転婆娘のようだ。 そのお転婆娘にプレトを乗せて、あちこち繰り出すのがルリスの趣味の一つだった。
「見ててねー」
ルリスがレグルスの中から手を振っている。
強化された合わせガラスの天井と窓がぴったり合体し、レグルスの上半分が透明なドームに包み込まれる。ルリスの声はこもっているが、なんとか聞き取れた。
ルリスがエンジンボタンを押すと、レグルスはその場から30cmばかり浮上した。同時に、前後のライトが点灯し、車体を支えていた4本の脚がボディに収納される。 レグルスは地面に反発する方法で移動するのだ。
この国の道路は悪路ばかりだが、大きな岩がその辺にごろごろ落ちているわけでもないので、30cmも浮いていれば何かにぶつかったり、擦れて傷付いたりすることもない。それでも万が一、何かにぶつかりそうになった場合は、車体に搭載された無数のセンサーが反応して、自動でさらに数cm上まで浮いてくれる。お陰で、ドライバーは道路条件を特に気にすることなく運転することができた。
この優れた乗り物を、パラライトアルミニウムは数滴で数十kmも動かしてくれるのだ。 こんなに燃料効率がいいのに、枯渇するなんてあり得ない。
ルリスはとても楽しそうに、U字のハンドルを握りながら、ハンドル回りにあるボタンを操作する。 すると、ボディの左右から小さな羽が2枚ずつ素早く飛び出し、音もなく数メートル上まで急上昇した。 そして、空中にとどまる。
車体と同じく、なめらかな特殊カーボンでできた4枚の羽が、目視できない早さで交互に動いている。 レグルスに搭載された事故防止機能の一つで、地上と距離を置かなければならないときなど、緊急時に使うホバリングだ。
地面と強力に反発させた車体を、手のひらサイズの羽が空気の流れを作り出すことで安定させているのだ。
この機能があることから、ホバリング能力を持つキクイタダキという愛らしい小鳥の学名を取って、レグルスという名前が付けられた。
だがこの機能は、教習のときに数回試したきり、一度も使ったことがないという人がほとんどだろう。プレトも、自分のレグルスでは一度も試したことがない。
だがルリスは、免許を取得するなり、この機能をすっかり気に入ってしまって、いつもプレトの庭でせっせと腕を磨いている。
ルリスはじわじわと足元のアクセルペダルを踏み込み、ハンドルを切って空中をゆっくり旋回しはじめた。同じ軌道をぶれずに水平に飛んでいる。
普通はこんな芸当はできない。できないというか、誰も思いつかないし、思いついたとしても、かなりの度胸が必要だ。
ルリスはきっとこの国で唯一、空中散歩を楽しめる人物だ。たまにご相伴にあずかれるプレトは、ラッキーガールと言っていいかも知れない。
ルリスが空中で何か操作している。
旋回をやめ、ゆっくり垂直に降りてきた。その間に、羽が自動で収納され、脚たちが自動で出てくる。そして、 音もなく着地する。
エンジンボタンを押すと、エンジンが切れ、ライトも消えた。
プレトは何気なく空を見上げる。いつのまにか陽が落ちそうになっていた。 宵の明星が美しく光り輝いている。
ルリスがレグルスから降りて、プレトのそばに駆け寄ってきた。
「どうだった?」
明らかに褒めてほしそうだ。
「相変わらずうまいよ」
プレトは思ったことをそのまま伝えた。 ルリスはにっこりと笑うと、思い出したように言った。
「そういえば、寝る前にあの封筒、開けてみた方がいいんじゃないかな」
「あ、そうだね、忘れてた」
「忘れてたのかよ!」
封筒というのは、プレトの郵便受けに届いていた郵便物のことだ。ルリスが家に上がるときに手渡してくれた。 昨日、来たときは郵便受けに何もなかったと言っていたので、今日届いたのだろう。
「プレトさ、わたしがいないと生きていけないんじゃないの」
ルリスがからかうように言った。
「うーん」
プレトは唸る。 否定はできない。
出不精なプレトは、趣味の実験に熱中しすぎて、身の回りのことをおろそかにしてしまいがちだ。 そこをルリスにいつも助けられている。
「わたしもここに一緒に住もうかな」
ルリスが、ふと思い付いたように言った。その言葉に、プレトは思わず動揺してしまう。
ここに住む……?
一緒に……?
でも、悪くない考えだ。なぜ今まで考えつかなかったんだろう。
「いいよ」と、プレトはあっさり答えた。 今度はルリスが驚く番だった。
「え? いいの?」
「いいよ。しょっちゅう来てるんだし、何度も泊まってるし、女どうしだし。ここボロくて家賃安いから、生活費を折半したら、お互いかなり楽になるんじゃないかな」
ルリスが満面の笑みを見せた。
「じゃあ、明日また話し合おうよ」
「うん」
プレトもつられて満面の笑みになった。
ルリスは「またねー」と言って、再びレグルスに乗り込み、帰っていった。空中散歩ではなく、通常走行で。明日の話し合いが楽しみだ。
プレトは玄関のドアを明け、自宅兼研究室に入っていった。
ルリスが越してくる前に、ある程度、家の中のものを整理しておこうと思った。あまり使っていない実験器具は、職場に寄付してもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、プレトはリビングにあるローテーブルに近付いていく。 ルリスが言っていた封筒はその上に置かれてあった。
差出人は職場だった。どういう用件だろう。忘れないうちに中を見ておこうと思い、カッターで封を開いた。紙が1枚入っている。開いてみると、それは命令書だった。
『プレト殿
パラライトアルミニウム枯渇問題解消のため、レインキャニオンでの虹の採取を命じる』
(第2話へつづく)
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