私は今、十二弟子として24時間、神様のために働く生活を送っています。
○24時間神様のために働く喜びを知って(十二弟子・ミナさんの証)
私には夫と子供がおり、十二弟子になる前までは、専業主婦として、夫と子供を中心にした生活を送っていました。
それまで一人で信仰生活をしていたときも、家族が寝静まった明け方に、そっと起きてお祈りを守るだけでも、自分では信仰生活を頑張っていたつもりになっていました。
ですから、いざ十二弟子として24時間、神様のために働くようになったとき、これまでの生活をガラリと変えることが本当に可能なのかと、戸惑ってしまいました。
それでも、どうしても神様のために働きたい、御心を成したいという強い思いがありましたので、御心を成せますようにと必死で神様に祈り求めました。
祈り求めながら少しずつ、神様中心の生活へと変えていくことができるようになりました。
夫は信仰を持っていませんが、私の信仰に対しての考えを一切否定することなく、私が神様の仕事のために家事ができないことがあっても、理解してくれるようになりました。
これまでは母親任せだったわが子も、私の手を煩わせることのないようにと、自分でできることは自分で行うようになりました。
私が神様のために働きはじめ、神様を中心とした生活を続けているうちに、家族の関係もどんどん良くなっていきました。
このように家族の協力を得ることができたのも、神様が強力に働いて下さっているからなのだと感じ、神様への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
それまでの私は、専業主婦である自分が家族の世話をすることが当然のことであり、主人や子供に合わせた生活をすることが当然だと思って生きてきました。
ですから、主人や子供の世話を極力省くという新しい生活に、家族よりも私の方が慣れずにいたのかもしれません。
自分には家族を支えることくらいしか価値がないと、どこかで思っていた節があり、妻というもの、母というものは、こうあるべきという固定観念からなかなか抜け出せずにいたのです。
ですから、家族に負担を強いて迷惑をかけてしまうのではないかと感じ、どこかで罪悪感を抱いていました。
しかし、実際に神様の御心のために24時間働きつづけていくうちに、これ以上に大切なことはこの世の中には何もないのだと悟り、これからも続けて神様のために生きようと決意することで、いつのまにか、これまで抱えていた罪悪感もすっかり消え去っていきました。
それまで抱えていた、家族のために生きなくてはいけないという考えが、いかにムダな考えだったか、いかに古臭い考えだったのかに気付き、まるで足枷が取れたように心が軽くなりました。
その足枷は、自分自身がギュッと握りしめていたものでした。
手放しちゃいけないのではないかと、勝手に思い込んでいたのです。
心のどこかで、手放したくないと思っていたのかもしれません。
しかし、その足枷が取れた今の方が、家族は私に対してより協力的ですし、私自身も伸び伸びと神様の仕事に没頭できるようになりました。
RAPTさんは御言葉を通して、私たちがいかに普段から自分のムダな考えに縛られており、そのムダな考えを完全になくすことで人生を楽に生きられるのだと教えてくださっています。
24時間家族のために生きていた私が、24時間神様のために生きる生活ができるようになったのも、神様が強力に働いて下さったお陰です。
そしてこれからも私自身、どんどんムダな考えを削ぎ落とし、神様の考えと心情によりいっそう近付けるようになりたいと思います。
御言葉を聞いていらっしゃる兄弟姉妹の中にも、家族があったり、子育て中の方も多いかと思います。
しかし、どんな環境の中にあっても、神様のために働くときに、神様が必要なものを全て与えてくださいますので、このことを信じて、神様のために働く喜びを一人でも多くの方が享受できますことを心から願っています。
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