今回も、前回まで書かせて頂いた証の続きになります。
〇十二弟子の申請をしたときに体験した神様からの練達と恵み(十二弟子・エリカさんの証)
〇十二弟子の審査の体験談 自分を捨てた後に神様が下さった大きな祝福と恵み(十二弟子・エリカさんの証)
十二弟子の審査が終わり、私は急遽、愛媛に移住することになりました。
審査の4日間で、自分の欠点や弱点をことごとく指摘され、早急にそれらを悔い改めたので、正直、プライドはズタズタとなり、心はもぬけの殻のような状態でした。
そのせいか、「なぜ私なんかが選ばれたのだろう」と、あまりにも実感が湧かない日が続きました。
そして、ある日の明け方のお祈りのときに、改めて、なぜこんなに実感が湧かないのだろうと考えていると、あることが頭に浮かびました。
それは、神様に認められる基準というのは、世の中の基準とは全く真逆だということです。
普通、世の中で何か肩書きを与えられたり、人から認められるときというのは、自分の持っていた能力や才能や、それまでの自分の努力が、褒められたり認められたりするときです。
しかし、神様の世界ではそれらは二の次三の次で、自分を捨ててへりくだり、指摘された弱点や欠点を心から認めて悔い改めたときに、ようやく認めてくださるのです。
そしてその後に、神様はその人の持っている個性・才能、能力を引き出してくださり、大きく栄えるように導いてくださるのです。
そのため、いくら才能があっても、謙虚に悔い改めができなければ、神様は認めてくださいませんし、本当の祝福をくださることはありません。
神様は、無意識のうちに自分が心の中で大事に握っていたものすら、一旦すべて捨てさせます。
その分、神様は後でそれらを何倍にも返して、想像を絶する祝福を与えてくださいます。
実際に、愛媛に移住するにあたって色々な心配がありましたし、自分の弱点を悔い改めることがとても苦しいと感じていましたが、いざ移住してみると、想像を遥かに超える聖霊の恵みや祝福を受けることができました。
そして、一度色んなものを捨てることができて良かったと、心から思うようになりました。
自分を捨てることを辛く感じるのは、捨てる直前だけなのかもしれません。
また、中心者であるRAPTさんの側にいると、祝福も裁きも顕著に現れるのですが、祝福がいつも想像を超えるものなので、どんな大変なことがあっても、辛い気持ちはいつの間にか吹き飛んでいます。
今後、もっと目に見える形で、神様のために生きることの素晴らしさを多くの人々に示すことができるようになりたいですし、私たち人間が神様と愛し合うために生まれてきたということを、より多くの人に知ってほしいと心から願っています。
〇RAPT有料記事365(2019年4月8日)我々人間はただ主を愛するという一事さえ究めれば、この世でも栄え、あの世でも永遠の救いを受けられる。
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