寝ているルリスの身体を揺すっていると、ゴウンと鈍い音がしてデザート号が揺れた。
「なになに!」
ルリスが跳ね起きた。数秒の間を置いて、再び揺れた。地震ではないようだ。何かがぶつかっているのだ。
「まさか、所長からの刺客?」
ルリスが不安そうに呟いた。
「光学迷彩は問題なく機能しているから、そう簡単には発見されないはずだけど……」
思わず生つばを飲みこんだ。機内に緊張が走る。息を潜めていると、犯人はデザート号の前に移動し、その全貌を現した。それは幼体のカスタードルフィンだった。身体をデザート号にこすりつけるような動きをしている。その度に機体が揺れた。カスタードルフィンには、光学迷彩は通用しないのかもしれない。
「ぶつかってきていたのは、この子だったんだね。悪人じゃなくてよかったー」
ルリスが安堵したように息を吐いた。プレトも無意識に止めていた呼吸を再開した。そのカスタードルフィンの後ろから、若い女性が現れた。走ってきたのか、息を切らしている。
「もう、勝手に飛んで行ったら、また迷子になっちゃうよ! ……何に体当たりしているの? ここに何かあるの? なんにも見えないけど……」
光学迷彩によって、デザート号が見えていないらしい。不思議そうな顔をしながらカスタードルフィンを抱きしめた。
「プレト、あの人の服を見て。『ガーデンイール牧場』って書いてあるよ」
ルリスがそう言った。確かにその女性の着ている作業服には牧場名が書いてある。ガーデンイール牧場は、クリームがいるところだ。
「あの人、パラライトアルミニウム持ってるかな。分けてもらえないかな」
ルリスが外の様子を伺っている。
「まさか交渉しに行くの?」
「だって、この虹はワクチンの解毒剤になる可能性があるんだよ。パラライトアルミニウムを抽出するために使うなんて、やっぱりイヤだよ。クリームちゃんを助けたって話したら、なんとかなるかも」
そう言うと、ルリスはドアを開けて外に降り立った。
「なにもないところからっ! 人が出てきたっ!」
女性はそう言って尻もちをついた。
「驚かせてごめんなさい、お願いがあって……」
と、ルリスが説明を始める。パラライトアルミニウムが欲しいのだから、機体を見せたほうが納得してもらえるだろう。プレトはそう思って光学迷彩をオフにし、自分もデザート号から降りた。
「ひぇっ! って、これ、〈プレパラート〉さんがレインキャニオンで遭遇した飛行物体? クライノートで見たやつだ」
女性は立ち上がり、デザート号を凝視すると、二人に顔を向けてきた。
「もしかして〈プレパラート〉さんですか? うち、〈アネモネ〉です。DMしたの、覚えていますか?」
「え、あなたが?」
プレトがそう言うと、女性の目がきらきらと輝き出した。
「わーい! 本物の〈プレパラート〉さんだー! クリームの命の恩人に、こんなところで会えるなんて!『拾った飛行物体で移動してる』っていう投稿を見て、ちゃんと帰れるのかなって心配していたんです」
手を叩きながら満面の笑みを浮かべる。〈アネモネ〉は、クライノートで一番最初にフォローしてくれた人物だ。そういえば、初めてDMをもらったとき、ガーデンイール牧場の関係者だと言っていたな。プレトは質問してみた。
「お仕事中なんですか?」
「はい、実家がガーデンイール牧場で、カスタードルフィンを放牧しています。うち、大学生なんですけど、夏休みだから手伝っているんです。この子がクリームですよ」
〈アネモネ〉の腕から、幼体のカスタードルフィンがふわりと抜け出した。
「クリームちゃんなの?」
ルリスが一歩前に出る。カスタードルフィンはルリスの顔をすぐ近くで見詰めた後、肩に額を押しつけ「くるるっぱ」と鳴いた。
「覚えているみたいですね!」
〈アネモネ〉は嬉しそうに言った。クリームはプレトのそばにもやってきた。脇腹の傷跡はほとんど消えていて、言われなければ分からないほど回復している。尾ビレの付け根にはスカイブルーのタグが巻かれていた。優しく抱きしめると、陽だまりの香りがした。クリームはプレトの手に額をこすりつけて「くるるっぱ」と鳴き、すぐルリスのもとに戻った。
「あら、真珠がとれた」
プレトの手のひら中央に、黄みを帯びた粒がぽつんと乗っていた。クリームの額から外れたようだ。
「もうすぐ取れそうだと思っていたんですよ。そうだ。それ、差し上げます」
「えええ! もらえないですよ!」
「実を言うと、そのサイズの真珠は売り物にならないんです。よかったらもらってください。クリームを助けてくれたお礼です。そうだよね?」
「きゅううう」
「では、ありがたく……」
受け取っておくことにした。
「そういえば、お願いってなんでしたっけ?」
「できれば、パラライトアルミニウムを分けてほしくて。この飛行物体、めちゃめちゃ燃料を食うんです」
ルリスがデザート号を指さした。
「それは大変だ。どうぞどうぞ!」
〈アネモネ〉は作業着のポケットを漁ると、取り出したパラライトアルミニウムの容器を一つ、ルリスに握らせた。
「ありがとうございます。値上がりしているのにすみません」
「ほんと、枯渇問題で値上げなんて、ふざけてますよね! 〈プレパラート〉さんの活躍で、物置小屋にパラライトアルミニウムがいっぱいあるの、バレたのに」そう言うと、ふと何かを思い出したように言葉を続けた。「そういえば、都会の治安が悪化しているって、誰かがクライノートに投稿しているのを見ましたよ」
「治安が悪化?」
「パラライトアルミニウムの値上げとか、パンデミックとか有事とか、国がとんちんかんなことをしまくっているじゃないですか。それで怒りのボルテージがマックスになった人たちが荒れているとか……」
「うわあ……なんてことだ」
もしかすると、帰ってからも息をつけないのかな。
「これまでトラブル続きだったと思いますけど、帰ってからも気をつけてくださいね。あら、もうこんな時間。そろそろ牧場に戻らないと」
「私たちも出発しようか」
ルリスに声をかけ、〈アネモネ〉と握手をしてからデザート号の助手席に座った。ルリスはクリームの胸ひれを握っていたが、名残り惜しそうに手を離した。もらったばかりのパラライトアルミニウムを補給し、操縦席に座る。
「クライノート、楽しみにしてますから。いろいろ投稿してくださいね。ワクチンを接種しないように周りに伝えます。うちらが力になれそうなことがあったらDMくださいね」
〈アネモネ〉が大きく手を振っている。二人は手を振り返した。ルリスがデザート号を上昇させると、同じ高さまでクリームが昇ってきた。ルリスは声を張った。
「クリームちゃんバイバイ! また会おうね!」
「きゅー!」
「研究所に向けて、出発!」
デザート号が発進した。ウチワモルフォと遭遇した街を通り過ぎ、さらにいくつかの街を通り抜けると、やがて都会が見えてきた。二人が住む街だ。無事に帰れるなんて、とても感慨深い。なんだか胸が熱くなってきた。涙まで出てきそうだ。
「一旦家に帰る? それとも、このまま研究所に向かう?」
「研究所へお願いします!」
「了解。ラストスパートかけるよー!」
デザート号は、あっという間に研究所の敷地に入った。
「どこに着陸したらいいかな?」
「駐車場の端っこなら大丈夫」
地上に近づくほど、胸が高鳴った。着いた。やっと着いたんだ。帰ってこれたんだ。音もなく着陸すると、ルリスが大きく息を吐いて言った。
「ついに到着した……」
「本当に無事に帰れたんだね」
「なんだか涙が出てきそう」
「……でも、ここからどうしよう」
「そうだね……先ずはチユリさんに連絡してみようか」
プレトが電話をかけると、一コール目で声が聞こえた。
「お疲れさま。クライノート見たわよ。飛行物体を拾ったなんてすごいわね! 今も砂漠かしら?」
「たった今、研究所の駐車場に着陸しました」
「え、もう? 早いわね! えーっと……周りに誰かいるかしら? 誰かに見られたりした?」
「周りには誰もいないです。光学迷彩を使っているので、見られていないはずです」
「そう、それはよかったわ……あのね、ええと、どうしよう。今からそっちへ向かうから、動かずに待っていてくれる? 光学迷彩も切らないでね。ちょっと待っててね」
ぷつんと通話が終了した。隣で聞いていたルリスが口を開いた。
「チユリさん、何か焦ってるみたいだね」
「確かにそんな感じだよね。どうしたのかな」
静かに待っていると、チユリさんが駐車場にやってきた。デザート号を探しているのか、キョロキョロしている。プレトは僅かにドアを開け、片手を外に出しながら声をかけた。
「チユリさーん、ここですー」
「あら、そんなところに!」
周囲を気にする素振りを見せながら、チユリさんが駆け寄ってきた。
「こんなに見えなくなるのね、すごい技術だわ。悪いけど、乗せてくれるかしら」
助手席に座ってもらい、プレトは床の寝袋に腰かけた。
「プレトさん、よく帰ってきたわね。本当にお疲れさま。ルリスさんははじめましてだけど、初めて会った気がしないわね。プレトさんを助けてくれて本当にありがとう」
チユリさんはニコニコしているが、明らかにやつれていた。顔色が悪い。普段はきれいにまとめている髪も、おくれ毛が出ている。プレトとルリスより疲れているのかもしれない。でも、一体どうして?
フロントガラスの穴から吹き込む風が、悲鳴のような音をかすかに立てている。太陽を遮った雲が、デザート号を暗い影で覆いはじめた。
(第62話につづく)
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