「さっきから気になってたんだけどさ……プレトのスマホ、ずっと震えてない?」
ルリスが不思議そうに尋ねてきた。プレトは答える。
「そうなんだよ、腿がマッサージされている」
さっきから携帯電話がずっと鳴りっぱなしだ。マナーモードにしていたから、ジャージのポケットの中でブルブルと震えている。プレトは携帯電話を取り出し、画面を見てみたが、とたんに背筋が凍りついた。
「クライノートから、すごい数の通知が来てる!」
「え? 通知だったんだ。そう言えば、わたし、通知が来ない設定にしてたな……」ルリスはそう言いながら、自分の携帯電話を取り出した。
「わわ、なにこの数! アプリが通知をカウントしきれてないじゃん! これはチャンスだよ! この場所の写真と動画も撮っておこうよ。この勢いに乗って投稿しなきゃ」
ルリスの言う通りだ。さっさと証拠を集めて、敵の悪事をクライノートでバラしまくるのだ。
プレトとルリスは、物置小屋の中とその周辺の様子を余すことなく写真と動画に撮った。そして、2人でレグルスに乗り込み、街へ向かって出発する。
「道じゃなくて、森の中を通って行かない? 誰もいないだろうけど、人目につく確率を下げたいなって」
プレトはそう提案した。今は、できるだけ目立たないように行動したかった。
「了解。いま撮った写真や動画、投稿してくれる?」
ルリスはそう言って、器用にハンドルを操作し、木々の間を縫うようにレグルスを走らせる。その間、プレトは大量のパラライトアルミニウムを発見したことをクライノートに投稿していった。これも多くの人に見てもらえたなら、関係者は国民から相当な反発を受けるに違いない。
強風の中しばらく進んでいくと、街の中に入った。もともと行く予定だった工業地帯に着いたのだ。この地域は、ほとんど工場と住宅地で埋め尽くされている。無数の煙突が、白い煙をもくもくと吐き出していた。
安宿を見付けて受け付けを済ませると、食事をするために近くの定食屋に入った。工場の従業員らしき人たちが、グループを作ってテーブルにつき、食事している。プレトとルリスは、空いたテーブル席に腰をおろした。
時折、近くのグループの会話が聞こえてくる。ほとんどが仕事の話で、戻ってからの作業の段取りを確認しあっているようだ。プレトとルリスが注文を終えると、隣のテーブルからこんな会話が聞こえてきた。
「あの森、何のために開拓してんだろうな?」
「さあな。けど、伐採してくれてよかったよな。ウチワモルフォが群れごといなくなったから、いちいち警戒しなくて済むようになったし」
「どこに飛んでったんだろうな」
「都会の方らしいぞ」
へえ、あの森はウチワモルフォの生息地だったのか。都会の方に……? まさか、初日に遭遇したウチワモルフォの群れって……
つい気になって、プレトは隣のテーブルを盗み見した。全員が同じ作業服を着ている。胸の辺りに、円錐型の機械に描かれていたものと同じロゴマークがあった。プレトがルリスにそのことを耳打ちすると、ルリスはにんまりと笑った。
「この街に、あれの工場があるんだろうね」
「クライノート、今のうちに確認してみようか」
「そうだね。反応はどれくらいになっているかなー」
ルリスはそう言って、クライノートをチェックした。最初は真顔だったが、明るい茶色の瞳がみるみるむき出しになっていった。
「なんか、すごいバズってるみたい……ヘタな芸能人より見られてる」
「ええっ!」
まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかった。世間の人たちは、プレトが思っている以上に、枯渇問題のニュースを深刻に考えているようだ。どうやら虹の採取に向かう2人に注目してくれているらしい。投稿したものの中でも、道中のトラブルや妨害に対して、特に多くの反応が集まっている。
「パンデアとフーイがボロクソに言われてるよ!」ルリスがニヤリとして言った。
「それだけでも、投稿した甲斐があるね」
プレトの勤めている研究所や、ラピス溶液を作っている製薬会社への、辛辣なコメントも目立った。
「これで、少しはあいつらの悪事を知ってもらえたかな……」
プレトは携帯電話を持つ手に、うまく力が入らなくなった。頭がぼんやりとする。どうやら再び熱が上がってきたようだ。
やがて食事を終え、宿に戻ると、ルリスが尋ねてきた。
「この宿、大浴場がついているみたいだけど、どうしようか?」
「広いお風呂いいね、泳ぎたい」
「ふふふ。体調はどうなの? お湯に浸かって大丈夫なのかな?」
「まあ大丈夫でしょ。ここ数日、川での水浴びと雨のシャワーだったから、入りたいな」
「そうだね、さんざん体を痛めつけられたから、ちゃんと労っておかないと」
二人が大浴場に行き、脱衣所で服を脱いでいると、ルリスがすっとんきょうな声を上げた。
「ねえ! サラミみたいになってるよ!」
「え、なに?」
鏡で確認すると、ドクププに刺された頭の部分が、赤身の肉のように変色していた。
「まじでサラミじゃん!」プレトは素直な感想を述べた。
「これ、消えるのかな……」ルリスが心配そうに言った。
「消えなかったら、塩ふって食べて」
「もう……プレトはもうちょっと自分の心配をしなよ! ほら、早く入ろ!」ルリスに手を引かれた。
正直、サラミのようになった肌を見てショックだった。元に戻らなかったら、ずっと隠さなければならないのだろうか。だとしたら、髪を結ぶこともできなくなるかも知れない。
夜も更け、寝る準備をしていると「ねえ来て! この宿、周りよりも高いところに建ってるから、すごく綺麗な夜景が見えるよ!」ルリスが窓の外を見て、楽しそうに声を上げた。プレトは友人の隣に行き、窓の外に目を向けて呟いた。
「……ほんとだね」
まるで街にプレアデス星団が落ちてきたようだった。涼やかな明かりが地上いっぱいに広がっている。煙った街の空気が、工場群の照明をかすませ、幻想的な景色を作り出していた。
「あのさ……あの物置小屋にあったパラライトアルミニウムを持ち帰ったら、どうなるかな? 任務完了になる?」
ルリスが街の景色を眺めながら尋ねてきた。プレトは溜息まじりに答える。
「命令書にも書いてあったけど、私の任務は『レインキャニオンでの虹の採取』ってことになっているんだ。だから、パラライトアルミニウムじゃなくて、虹そのものを持ち帰らないと……」
プレトはそこで一度、言葉を切ると、溜息をついてから言った。
「でも、なんか……物置小屋の中を見たら、やる気がなくなっちゃって……」
「そうだよね……ただでさえ所長の命令なんて従いたくないのに、あんなにパラライトアルミニウムがあると分かったらね……」
プレトの携帯電話に着信が入った。チユリさんからだ。電話に出ると、優しい声が聞こえてきた。
「遅い時間にごめんなさい、研究所の資料を漁っていたら、気になる情報を見付けて、思わず電話しちゃった。ルリスさんも一緒にいるかしら? できれば二人に伝えたいの」
「まだ起きていたから大丈夫ですよ」
プレトはそう答えると、ルリスと一緒に聞けるようにスピーカーモードに切り替えた。チユリさんが再び話しはじめる。
「毛虫に刺されてから、調子はどう?」
「正直、よくはないですね。発熱は続いてますし、患部がサラミみたいな色になっています」
「そうよね……生きているのが奇跡みたいなものだもんね。でもね、いい知らせよ。身体に回った毒をなんとかできるかもしれないの」
ルリスを見ると、彼女もこちらを見ていた。きょとんとしている。チユリさんは話を続けた。
「採取チームの記録を数年分も遡ってみたら、虹の採取に行く途中で、ハチに刺されてアナフィラキシーショックを起こした隊員がいたみたいなの」
「怖いですね……」
「それでね、意識が朦朧としたときに、虹の赤い部分を齧っちゃったんだって」
「ええ! なんてことを」
「錯乱していたのかしらね。でも、そのお陰であっさり症状がなくなって、元気に帰還したそうなの」
「え? そんなことが? えーと、つまり、私も虹を齧れば、治るかもしれないってことですか」
「察しが早いわね。プレトさんはアナフィラキシーを起こしたわけじゃないけど、それでも効果があるかもしれないと思ったの」
「……」プレトは思わず口ごもる。
「あなたが刺された毛虫の毒って、解毒方法が分からないんでしょ? だから、試す価値はあるかなって……このまま帰っておいでと言いたいところだけれど、こっちに虹の在庫はないから、そのままレインキャニオンに行った方がいいかも知れない」
「行きます!」ルリスが強い口調で言った。「プレトの治療のために虹を採りに行きます!」
「そうね、ぜひともそうしてほしいわ」
その後、ルリスとチユリさんがいくつか言葉を交わし、それから通話が終了した。その間、プレトは何も話すことができなかった。
「本気なの? 私は不安だよ、虹を食べるなんて」
「そんなに? でも、プレトは雲を食べてたでしょ。虹も雲も変わらないと思うけど」ルリスがあっけらかんと言った。何も言い返せない。
「雲を食べられるのなら、虹も食べられるよ!」
「……確かにそう言われると、そんな気がしてきた」
「プレトが治るかもしれないんだから、試してみようよ! あなたがずっとしんどそうで、わたしは悲しい。治して、虹も持ち帰って、悪者を見返してやろうよ!」
ルリスが、両手で拳を作った。やる気に満ち溢れているようだ。そうだ……どうせ死ぬのなら、できる限りのことを試してから死んだほうがいい……虹を食べるなんて、なんだか面白そうじゃないか。
(第37話につづく)
コメントを書く