私は、RAPTブログに出会うまで、持って生まれた欠点や弱点は克服することができず、「一生そのまま付き合っていかなければならないのだ」と思っていました。
私は生まれつき不器用で、要領が悪く、自分で自分の愚かさが嫌になることが度々ありました。
図画工作の時間に、みんながスラスラとできる「リボン結び」が一人だけできず、いつまでも居残りをしたり、小学校高学年まで、答案用紙にうっかりと鏡文字を書いてしまうような子供でした。
幼い頃から得手、不得手が激しく、悩みに悩んだ末、10代の終わりに、専門機関で『発達障がい(ADHD、ASD症候群)である』との診断を受け、カウンセリングを受けていたことがあります。
しかし、いざカウンセリングを受けてみても、「○○ができない、××が苦手だ…」という悩みを話して、対策を考えてもらうだけで、いわゆる「対症療法」の域を出ませんでした。
もちろん、相談に乗ってもらうことで、一時的に問題が解決することもありました。
しかしながら、人間は生きていく上で、一生問題にぶつかるのに、根本的なことが解決できないなら、「本当に解決したことにならない」のではないか…と、いつも頭を悩ませていました。
そんな中、RAPTブログに出会い、神様の御言葉を学ぶことで、衝撃的な事実を知りました。
それは、「人間は神を模して創られたのだから、神様に頼って自らを成長させていくことで、いずれは完全な者になることができる!」ということでした。
○RAPT有料記事685(2022年9月26日)私たち人間は神に象って創られたから、私たち人間にとって、神のようになることが真の人生のゴールだ。
そして、RAPTブログを通して神様への信仰を持つようになった今、私は毎日3時間半以上、明け方にお祈りをするようになりました。
それはなぜかというと、お祈りをして、前の日の罪をしっかりと悔い改め、神様にその日何をすべきか、お祈りしてみることで、その日の過ごし方が全く変わってくるからです。
○RAPT有料記事116(2016年10月31日)明け方の祈りにはどんな意味があり、どんな効果があるのか。
○RAPT有料記事372(2019年5月6日)明け方の祈りを毎日きちんと守る人は、主の守護を受け、主から必要な全てのものが与えられる。
朝早くに起きて、祈っていると、日中はヘトヘトになりそうなものですが、精神的にも肉体的にもはるかに元気がみなぎり、様々なことを順調にこなせるようになるのです。
以前は日々の日課をこなすだけで精一杯だった私でしたが、お祈りを始めたことで、時間にも気持ちにもかえって余裕が持てるようになりました。
そして、誰かにせっつかれたからではなく、自然とお祈りの習慣が身につくようになりました。
もちろん、最初から長時間お祈りすることは難しかったのですが、御言葉を学びながらお祈りをしていくことで、どんどん頭の中がクリアになっていき、自分の要領の悪さや、不器用であるが故に出来なかったことが、どんどんできるようになっていったのです。
信仰を持ち始めて半年が経ったころ、大学であるイベントの企画リーダーを務めたことがありました。
以前の私では、一人で頑張るのに精いっぱいで、とてもやり切れるような仕事ではありませんでした。
しかし、信仰を持ち始めてから、様々な人とまめに連絡を取ったり、スケジューリングをしたりと、今までは苦手で、到底うまくできなかった分野もこなすことができ、抜かりなく準備ができ、企画も無事、大成功させることができました。
今でもまだ、生活や仕事のなかで、様々な欠点、弱点が見えてきます。
しかし、それらもきっと、私がもがいて、神様に祈り求めていくことで、必ず解決していく!という希望があります。
そして何より、今、私が近くで学ばせていただいているRAPTさんは、神様をどこまでも愛し、どこまでも熱心に祈り求めることで、RAPT理論を解明し、この世の真のカラクリを暴き出し、難解な聖書の封印も解き、本当に想像もつかないほど速いスピードで進化し、様々なお仕事を完璧にこなしていらっしゃいます!
日本の学校教育では、個性や才能を伸ばすのではなく、誰もが同じものさしで測られるため、その中で、気力も体力も消耗してしまった方が多いのではないでしょうか。
しかし、神様の世界では、神様にどこまでも依り頼むことで、完全な者になれるように「一人一人が最も向いている道」に導いてくださるのです。
○RAPT有料記事296(2018年7月23日)世の中で個性と才能を磨いても成功することは難しいが、神様の世界では個性と才能を磨いた者が主から大きく使われて成功する。
○RAPT有料記事3(2015年8月13日)自分の行くべき道とは。
聖書にも、こんな一節があります。
『もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
(コリントの信徒への手紙Ⅰ12:17ー22)』
神様は、わたしたち一人一人に御心を用意し、それぞれに、かけがえのない「個性・才能」を備えてこの世に創ってくださったのです。
○RAPT有料記事265(2018年4月7日)今のあなたがどんなに惨めに見えたとしても、あなたたち一人ひとりには主が用意した使命と御心がある。
○RAPT有料記事317(2018年10月6日)聖書の中には個々人それぞれの答えが封印されている。その封印を解いてこそ自らの人生を成功に導くことができる。
どうか、これからもさらに多くの方がRAPTブログに出会い、神様の愛によって自分をより良く変えていき、どこまでも希望や喜びの中で幸せな生を生きられますことを、心からお祈りしています。
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