前回の記事で、『神智学』について少し触れました。
神智学は、『ブラヴァツキー』という女性を権威としている学問です。
その内容は、ざっと以下のような感じです。
・様々な宗教や神秘思想、オカルトを1つの真理の下で統合することを目指す。
・宗教、神秘主義、オカルトの奥義は、それが支配する力の大きさや危険性から、どの時代においても一部の選ばれた少数の人間にのみ伝授され守られてきた。
・神秘の奥義を伝授されている人間は、一般的に「秘教の秘伝への参入者」と呼ばれる。
・その中でも特に奥義を体得している者達は、様々な超常的な力(物質化、テレパシーなど)を持っていたり、肉体を通常よりもかなり長い期間に渡って維持していたり、宇宙の諸現象の理解や人類への愛の面で卓越していたりする。
ブラヴァツキー女史は、神智学を学ぶ場として『神智学協会』を設立しました。
下の図は、その神智学協会の紋章です。
中央にアンク十字、その周りに六芒星、さらにその外側に蛇のウロボロス、そして中央上には卍…。
どこまでも悪魔崇拝のシンボルに満ち満ちています。
ブラヴァツキー女史は、地球の内部は空洞であり、そこに『アガルタ』という地下都市があるという説を広めました。
特に、アガルタの首都は『シャンバラ』と言い、ブッダはこのシャンバラのことを『極楽浄土』と呼んだそうです。
○地底都市アガルタ (シャンバラ) が真の地獄であるという幾つもの証拠。
この『地下に広がる世界』を題材にして、意外な人物が本を執筆していました。
SF作家として有名な『ジュール・ヴェルヌ』です。
『ジュール・ヴェルヌの暗号』という本によると、彼は1864年に『地底旅行』を、1877年に『黒いインド』を、1897年に『氷のスフィンクス』という作品をそれぞれ刊行していますが、いずれも地球の内部を舞台にしています。
『黒いインド』は、ハリー・フォードという主人公が廃坑から地下に潜入し、炭鉱の主人・シルファクスとその娘・ネルに出会い、ネルとともに地上世界に出てきて結婚するという内容ですが、このストーリーがフリーメーソンの『イニシエーション儀式』に似ていると指摘されています。
イニシエーション儀式とは、『準備』『彼岸への旅』『新たな誕生』という三つの過程を経るそうです。
この3つの過程は、LSDなどの薬物によって得られる「変性意識状態」にそっくりです。
これについては、RAPTブログで詳しく暴かれています。
リンク先では、さらにその先に『光(ルシファー )と出会う神秘的合一』に達すると書かれてありました。
私は絶対に体験したくありません。
そしてさらに、『黒いインド』のストーリーは、モーツァルトの『魔笛』の筋書きをそのまま下敷きにしているそうです。
《魔笛のあらすじ》
王子タミーノは大蛇に襲われ、失神。
夜の女王の三人の侍女がタミーノを救出。
パパゲーノ登場。
助けたのは自分だと嘘をつく。
タミーノに、夜の女王の娘・パミーナを探し出し、救出するよう依頼。
《黒いインドのあらすじ》
主人公ハリー・フォードは廃坑の中で失神。
炭鉱の住人・シルファクスの娘ネル登場。
不思議な光を灯す。(シルファクスはルシファーのアナグラムです。)
ネルのもたらす不思議な光に導かれてジャック・ライアン登場。
ハリーを救出。(ジャコはオウムの一種で、オウムはドイツ語で『papagei』と言うそうです。)
ハリーは、洞窟で見た不思議な光をもう一度見つける(つまり、ネルを探し出す)ことを決意。
※ ここまでがイニシエーション儀式の「準備」にあたります。続けていきます。
《魔笛のあらすじ》
パミーナが、ムーア人モノスタトスによって鎖につながれてしまう。
タミーノは一人の老僧と出会い、ザラストロが悪者でないことを知る。
(ザラストロは SARASTRO であり、SAR(黒い) ASTRO(スター=太陽)です。)
モノスタトスがパパゲーノとパミーナを追いかけてくるが、パパゲーノの魔法の鈴の音に魅せられて、その場から立ち去る。
ザラストロはモノスタトスに罰を与え、タミーノとパミーナを引き離して試練を受けさせる。
《黒いインドのあらすじ》
ネルがシルファクスから罰を受け、坑道の奥深くに閉じ込められてしまう。
見張るのは梟。
ハリーにとってのザラストロは、師であるジェー ムズ・スター(James Starr)である。
( 「魔笛」のザラストロの名の中にもスター(星) がありました。)
ハリーはバグパイプ吹きのジャック・ライアンに助けられてネルを坑道の奥底から救い出す。
梟がハリーを襲い、ネル救出を阻もうとする。
ジェームズ・スターはネルを保護することに決める。
※ ここまでがイニシエーション儀式の「彼岸への旅」にあたります。さらに続けます。
《魔笛のあらすじ》
タミーノとパミーナは試練を受ける。
鎧を着た男が試練の内容(Feuer(火)、Wasser(水)、Luft (空気)、Erden(地))を歌う。神殿の洞窟の中、夜の女王と3人の侍女は、寝返ったモノスタトスに先導されて地下からザラストロに戦いを挑もうとする。
雷鳴がとどろいて、夜の女王たちが消え去る。
試練を乗り越えたタミーノとパミーナは、互いに相手に値する存在になっており、ザラストロのもとで祝福を受け、結婚する。
《黒いインドのあらすじ》
4つの試練はそのまま炭坑内にある危険(火災(火)、浸水(水)、ガス爆発(空気) 、落盤 (地))に対応。
炭鉱の洞窟の中、シルファクスが梟を使って可燃ガスの層にランプの芯を放り込み、すべてを爆破しようとする。
梟がシルファクスの命令に背いてネルの指示に従ったため、可燃ガスの爆発は回避される。
シルファクスは小舟から落ち、湖の底に沈む。
試練を乗り越えたハリーとネルは、互いに相手に値する存在になっており、ジェームズ・スターのもとで祝福を受け、結婚する。
※ ここまでがイニシエーション儀式の「新たな誕生」にあたります。
彼ら悪魔崇拝者たちは頭が悪いため、新しいものを作り出すことができません。
そのため、既存のものを場所や設定などを変えて焼き直し、繰り返し提示してきます。
まさに『洗脳』です。
このことも、既にRAPTブログで暴かれています。
○日本がイスラム国の標的になったという現実。イルミナティカードの予言はどこまで実現するのか。
ジュール・ヴェルヌの『黒いインド』も『魔笛』の焼き直しでしかないのでしょう。
話をジュール・ヴェルヌに戻します。
ジュール・ヴェルヌが神智学協会のメンバーだったかどうかは定かではありませんが、彼はかなり高位のフリーメーソンリーでした。
ブラヴァツキー女史もフリーメーソンと関わりがありましたので,もしかするとジュール・ヴェルヌの小説がブラヴァツキー女史の思索に何らかの影響を与えていたのかも知れません。
さて、地底世界のみならず、ジュール・ヴェルヌが書いた『海底二万里』という作品には潜水艦が、『征服者ロビュール』という作品には飛行船が、『カルパチアの城』という作品には映像機械が登場します。
潜水艦も飛行船も映像機械も、小説が発表されるずっと以前から存在していました。
原理的なものはレオナルド・ダ・ヴィンチが発見していたそうです。
しかし、当時はいずれも実用に耐えうる性能ではありませんでした。
しかし、ジュール・ヴェルヌは『これらの機械に改良と調整を加えるとどうなるか』という指針を小説の中で明らかにしました。
大げさに言うと、技術の発展する方向を『予言』したわけです。
さらに、上記リンク先によると、『20世紀のパリ』という小説では、ガラス張りの摩天楼、高速鉄道、ガス自動車、計算機、そしてインターネットを彷彿とさせる世界規模のコミュニケーションシステムまで登場させています。
潜水艦や飛行船は当時から存在していたそうですが、高速鉄道やインターネットは150年前の地球には存在していません。
全ては彼の空想による産物なのでしょうか。
いや、そうとばかりは言えないようです。
はるか昔、私たちの文明より遥かに進んだ文明が、この地上にあったことがRAPTブログで明らかになっています。
○世界の支配層たちが古代から高度な科学技術を密かに独占してきたという幾つもの証拠。
ジュール・ヴェルヌは、高位のフリーメーソンリーでしたので、そういった過去の文明の遺物や設計図のようなものを見たことがあったのではないでしょうか。
あるいは、この記事の冒頭に記したとおり、『選ばれた少数の人間にのみ伝授され守られてきた』知識を与えられ、それを作品に反映させていたのかも知れません。
ジュール・ヴェルヌは小説という形をとりながら、未来の進むべき方向(彼らにとって都合のいい方向)を定めていたのでしょう。
しかし、ジュール・ヴェルヌが確信犯的に悪魔のために力を貸していたかについては、私は疑問を感じています。
晩年の彼の行動を見ると、実は騙されて協力させられていたのではないかという感じがするのです。
そのことについては、次回以降で詳しく紹介したいと思います。
さて、2023年になり、世の中の雰囲気が明らかに変わりました。
私はとても穏やかに毎日を過ごしています。
例えていえば、『救われた』という感じを受けます。
皆さんはどうお感じでしょうか。
私と同様に『救われた』ように感じてらっしゃるのでしょうか。
それともまるで『裁かれた』ように、毎日苦しい思いをなさっているのでしょうか。
『救い』や『裁き』について詳しく知りたい方は、有料記事ですがこちらをご覧ください。
また、実際に救われた方々の証はこちらになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆様に神様のお守りと救いがありますように。
参考文献:ジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社(ミシェル・ラミ 著、高尾謙史 訳)
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