【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.36 – RAPT理論で暴かれた古代エジプトと日本の深い繋がり

【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.36 – RAPT理論で暴かれた古代エジプトと日本の深い繋がり

先日、家人がつけていたテレビで『古代エジプトの棺を開ける』という番組が放送されていました。

少し見たのですが、どうやら棺は木製のようでした。

エジプトというと、砂漠が広がっている中にピラミッドがあるというイメージでしたので、棺の材質が木材だったのは驚きました。

古代エジプトには木材が豊富にあったのでしょうか。

ネットで検索してみると、ナツメヤシやイチジクなどは自生していたようですが、糸杉などの大きな木材は輸入に頼っていたようです。

○生命の木 聖樹

しかし、古代エジプトには高い木材加工技術があったようです。

○古代エジプト人、痛恨のミス 日本の科学がツタンカーメンに挑む

古代エジプト人は、木材の特性を理解した上で、2輪馬車の各部品の木材を使い分けていました。

さらに、寄せ木や曲げ木といった高度な技術を持っていたことも判明しています。

その技術レベルは、現代日本と比較しても遜色ないものだったようです。

リンク先には、古代エジプトの高い木材加工技術が、中国や韓国を経由して日本に伝来した説を唱えていますが、RAPTブログでは逆に、日本からエジプトに伝わったことが明らかになっています。

ただ、伝えられたのは、木材加工技術というより『悪魔崇拝』です。

○日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。

有史以前に高度な文明があったことは明らかです。

エジプトのスフィンクスは1万2千年前から存在していた可能性が指摘されています。

○1万2000前から存在した!? 大スフィンクス像の謎/羽仁礼・ムーペディア

そして日本には、エジプトのピラミッドを遥かに凌ぐ2万3千年前に造られたピラミッドが存在しています。

葦嶽山

日本には、葦嶽山のようなピラミッドが各地に点在しています。

○超古代に列島を結んだ大地のネットワーク「日本のピラミッド」/世界ミステリー入門

エジプトには高い山がありませんので、ピラミッドは日本の山を模したものだったのかも知れません。

ご存じのとおり、ピラミッドは巨石を積み上げて作られています。

どうやって積み上げたのかは未だにわかっていません。

悪魔を崇拝した人には、悪魔から高度な知識や技術を伝授されます(その代わり、代償として親しい人を生贄に捧げたり、自分自身の命が奪われたりしますが)。

エジプトに建造されたピラミッドは、まさに悪魔崇拝の賜物なのでしょう。

エジプトだけではなく、マヤにもピラミッドがありますが、マヤのピラミッドでは日常的に人身御供が行われていました。

話を古代エジプトに戻します。

古代エジプトは、太陽神ラーを崇拝していましたが、ラーの姿は赤い丸で表されています。

まさに『日の丸』です。

○日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。

また、ツタンカーメンの墓からは、日本の天皇家の家紋『十六菊花紋』と同じような紋様の遺品が出土しています。

さらに、ツタンカーメンのマスクは、エジプト人というよりは東洋的な顔立ちをしています。

○有史以前に高度な文明があったのは確かな事実です。しかし、悪魔崇拝者たちがその調査をずっと妨害してきました。

このように、エジプトと日本にはいくつもの繋がりがありますが、もう一つ、意外な繋がりがありました。

エジプトではヒエログリフが使われています。

○神聖文字/ヒエログリフ

『表意文字として事物を表す絵文字や図形があり、組み合わせて観念的な事象を現すこともできた』

これと同じような絵が刻まれたものが、日本でも出土しています。

そうです、『銅鐸』です。

○銅鐸-wikipedia

オリエント古代史研究者の大羽弘道氏によると、銅鐸にはトンボなどの絵が描かれたものがありますが、それは当時の狩猟生活を表したものではなく、ヒエログリフのような文字だというのです。

○銅鐸の絵文字の解読から歴史に光を

典型的な例として、香川県出土の大橋銅鐸をあげています。

その表面には、表裏合わせて12枚の絵が描かれています。

大羽弘道氏の説では、表面右上のトンボは、古代は『アキツ(秋津)』と呼ばれていたそうです。

そして、古代日本は『秋津國』と呼ばれていました。

つまり、右上の図は『秋津(の国)』と読めるのです。

○トンボとヤンマは何が違う?日本が秋津(トンボ)の国と言われてきたのはなぜ?

その下の図は『鹿を射る人』が描かれています。

これは、そのまま『射る鹿=蘇我入鹿』を表しています。

これは『事物を表す絵文字や図形があり、組み合わせて観念的な事象を現す』ヒエログリフそのものと言えるでしょう。

一番下の図は『高床倉庫』です。

これは、別名『高倉』または『高御倉』と呼ばれています。

同じ発音で『高御座』があり、これは『日本の天皇の玉座』を表します。

○高御座-Wikipedia

左側の列を見てみましょう。

一番上の図は『イモリ』です。

大羽弘道氏は『イモジ(鋳物師)』ではないかと推察しています。

確かに、銅鐸を作るには高度な技術が必要です。

○弥生の銅鐸は復元できない。

その下の図は、人が何かを手に持って振っているように見えます。

大羽弘道氏は『フルヒト』と推察していますが、これは桛(かせ)という道具で、機織りで使うそうです。

○銅鐸の絵の意味と式年遷宮の神宝

ということは、もしかすると『オルヒト』または『オリベ』あるいは『カセ』という人名かも知れません。

最後の絵は『木で何かを突いている』ようです。

これは、『木で突く=きづく=築く』ではないかと考えられています。

必要最低限の助詞などを補いながら6枚の絵を並べて読んでみると、以下のようになります。

『秋津の国に、蘇我入鹿が高御座のとき、鋳物師のフルヒト(オルヒト?)築く』

今も昔も、人は『いつ、どこで、誰が、何をした』のかを記録に残そうとします。

銅鐸を造った人も、記録に残したかったのも知れません。

この話はまだまだ続きます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆様に神様のお守りと救いがありますように。

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