長崎県松浦市で、1日、沈没した元寇(げんこう)船の木製いかりの木材部分が引き揚げられたとして、話題を呼んでいます。
元寇とは当時、中国大陸などを支配していたモンゴル帝国が、1274年と1281年、二度にわたって日本を襲撃した事件のことを言います。
歴史の教科書では、最終的には神風が吹いて元軍が退散した、などと言われていますが、このとき、元軍がどれほど日本人に対して残虐な行為を行っていたかについては全く語られていません。
○元寇・文永の役(中) 赤ん坊を股裂き、子供を奴隷として拉致、女性は手に穴開け数珠つなぎ…博多を血と炎で染めた蒙古・朝鮮軍の残虐・非人道行為
当時、2万人に上る元軍は、新兵器、集団戦法などを駆使し、日本の武士団を撃破しては町を焼き払い、長崎県の対馬・壱岐のほとんどの人々を殺害しました。
また、妊婦の腹を裂いては胎児を掴み出す、乳幼児の股を引き裂く、捕らえた男女の耳や鼻を削ぎ、苦しむ様を見て楽しむなど、悍ましい行為を繰り返し、生け捕りにされた女性は、手のひらに穴を開け、ひもを通して数珠つなぎにし、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられたそうです。
しかも、少年少女200人を奴隷として拉致し、高麗国王に献上したことが高麗側の記録に残っています。
そして今回、日本を襲撃した「元軍」は、実は蒙古人(モンゴル人)のみから構成されていたのではなく、蒙古人・高麗人・漢人(北部中国在住の漢民族)・満州人により組織されていた連合軍だったことが明らかになりました。
長崎県北松浦郡鷹島町には、蒙古襲来の残虐さを現した地名がいくつも存在しています。
血浦(現在の周良=しゅうら)
首崎(現在の薫崎=くんざき)
胴代(現在の堂代=どうしろ)
地獄谷(じごくだに)
前生死岩(まえしょうじいわ)
後生死岩(うしろしょうじいわ)
垣瀬(かきぜ→阿翁浦湾外の瀬)元軍の残兵が瀬に阻まれ全滅
これまで数々の記事を通して、中国人の起こした悍ましい事件の数々を報じてきましたが、やはり中国人は先祖代々、残虐な民族だったということがよく分かります。
○【じげもんの常識をブッ壊せ!!】Vol.6 – 中国人の民度の低さは、中国こそ世界の中心とする「中華思想」に起因する
悪魔の化身にすぎない中国共産党と、彼らに与する全ての悪人たちが一刻も早く滅び去り、この世に真の平和と安息が訪れますことを心から祈ります。
○「南京大虐殺」は、中国人による日本人虐殺「通州事件」を隠蔽するために捏造された架空の事件だった!!
○【通州事件】85年前に起きた中国人による日本人大量虐殺事件 日本人約260名が犠牲に
○【小山克事件】1945年8月13日、満洲国の小山克で日本人避難民の乗った列車を中国人暴民が襲撃、強姦、虐殺 100人以上の日本人女性が集団自決
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