【神戸5人殺傷事件】無罪判決に地検が控訴 精神鑑定による「心神喪失」は創価信者が刑罰から免れるための“逃げ道”

【神戸5人殺傷事件】無罪判決に地検が控訴 精神鑑定による「心神喪失」は創価信者が刑罰から免れるための“逃げ道”

神戸市北区で2017年、親族や近隣住民計5人が殺傷された事件で、神戸地検は16日、竹島叶実被告を無罪(求刑無期懲役)とした一審の神戸地裁判決を不服として、大阪高裁に控訴しました。

神戸地裁は4日の判決で、事件当時の竹島被告について、「哲学的ゾンビ」を殺せば知人女性と結婚できると思い込み、「妄想などの精神症状の圧倒的影響下にあった疑いを払拭できない」と指摘し、「(刑事責任能力が認められない)心神喪失状態にあったとの合理的疑いが残る」と判断していました。

一方、検察側は「被告は心神耗弱状態で、善悪を判断する能力は残っていた」と主張しています。

○神戸5人殺傷、無罪判決に地検が控訴 「心神喪失」に不服

この事件は、創価信者による犯行だったことが既に明らかになっています。

○神戸市北区5人殺傷事件の犯人「竹島叶実」は創価学会員だった!! 神戸地裁は刑事責任能力を認めず無罪判決

そして、「心神喪失状態」は、創価信者が刑を免れるための“逃げ道”であることが分かってきました。

検察は今回、2人の精神科医に竹島被告の鑑定を依頼しています。

1人目の医師は11回も被告に会い、“妄想の圧倒的影響下で犯行に及んだ”と判断していますが、2人目の医師は、1回鑑定しただけで、しかもたった5分しか面談できなかったそうです。

しかも、2人目の医師による2回目以降の精神鑑定は、弁護士のアドバイスによって竹島被告が拒否した可能性があるとのことです。

さらに、公判には弁護側の証人として、別の精神鑑定の専門医も出廷し、1人目の鑑定を支持したため、判決においては1人目の医師の鑑定を採用した格好となりました。

ですから、2人目の医師は被告にあいさつした程度で、書類を見て“限定責任能力”という鑑定書を書いたということです。

つまりこの裁判では、たった1人の医師による精神鑑定だけで「心神喪失状態」が認められたわけです。

竹島被告が「心神喪失状態」だと認められるような行動を、1人目の精神科医の前でわざと取ったり、あるいは1人目の精神科医が創価とグルだった場合、簡単に「事件当時も心神喪失状態だったに違いない」「刑事責任能力はない」という偽りの事実を作り上げることができるわけです。

精神科医のSidow氏は週刊新潮の取材に対し、「統合失調症と診断された方に、当時のことを尋ねたとき、本当は記憶があるのに“覚えていなくて”と言われたり、実際に感じていたことと違うことを言われたり、症状を偽られたりしたとき、それを見抜くのは極めて難しい」と語っています。

結局のところ、精神科医だからといって、その人が嘘を言っているかどうかは見抜けないということですので、精神鑑定など全くあてになりません。

以上のことから、「心神喪失状態」というのは、創価信者が重大犯罪を犯しても、刑から逃れられるようにするための“逃げ道”であると言えます。

もし今後の裁判でも竹島被告が無罪になった場合、心神喪失者等医療観察法に基づき、入院等の措置が取られるそうです。

しかもその後、医師が治ったと判断さえ下せば、数年で病院から出てこられる可能性もあるとのことです。

そもそも、心神喪失状態だったからと言って、5人を殺傷してもその責任を負う必要がなく、無罪になるというのもおかしな話です。

創価学会は、こうした不条理な社会を作り上げて凶悪犯罪を繰り返し、日本を混乱に貶めているわけです。

竹島被告はもちろんのこと、重大犯罪を犯しておきながら、創価学会の庇護により刑罰を免れてきた全ての悪人たちが公正な裁きを受け、滅び去ることを心から祈ります。

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  1. 彼があのままシャバに出てしまっては…と私も懸念していましたが、検察もとりあえずは控訴できましたか…。
    まあそれにしても、わが国における「精神鑑定」の実態が実にうさん臭かったということで、改めてあ然とさせられます。

    この1世代・20年ばかりについては、どうやら「上級創価国民」(?)がわが国の内部で巧妙な組織犯罪を犯しつつ、しかし罪に問われない、というシステムを構築していたように見受けますね。
    そんな腐敗のシステムも、この事件からほころび出し、ドンドンと崩壊して行ってほしいものです。
    それと同時に、もう創価学会公明党そのものが政権与党から消え去るべき秋(時)でしょう。

    ともかく、まずは控訴も出来ましたので、さらに今後は過去1世代ばかり横行して来た「創価無罪」というような風潮・腐敗文化をここで永遠に終了させて行ければと思わずにいられません。
    これまで長年、「上級創価国民」のために生命を落としたり無実の罪で刑務所に送られたり、あるいは飼い犬の生命を奪われるなどなどして来たわが国の庶民にとっては、これまで正常な軌道からそれてしまっていた「天道」が常軌に復する、そんな時期がやって来るのではないでしょうか。

    今週もまた、何もタメになることの出来なかったキシブン新首相ですが、彼は誰が見てももう「ミスター3分の1」に過ぎないでしょう(投票所3分の1を定刻より早く閉鎖して首相になり上がったやばいオジサン)。
    すでに冬が始まったわが国では、スガーリン内閣からの過去1年で激増した餓死者・病死者や自殺者(とりわけ女性陣の自殺が激増したとの統計が今月はじめ発表されたばかり)への対策が急務にもかかわらず、キシブン内閣は今も国会で正々堂々と野党と戦うことを回避し、逃げ回り続けているテイタラク…。

    元々、キシブンの人生はずっと下り坂の人生だったようなものだし、野党も彼に遠慮せずもうギュウギュウつるし上げる、とそれ位の勢いを見せるべき時ですね。
    まあとにかく、人工的飢きんをスタートさせてはや1年の今、わが国の役人・政治家はその重大な責任をどう取るのか、「国会」という舞台で堂々と国の内外に語るべき時が来ています。

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