今回は、「御恵みを身に受くれば」という賛美歌をご紹介させていただきたいと思います。
この曲を練習しながら、「神様の恵みを身に受ける」というのは、「神様から聖霊を受ける」ことだと改めて思いました。
RAPTさんは今まで私たちに、”聖霊”について、たくさん教えてきてくださっています。
そして、このRAPT理論+αの中でも、十二弟子の方々が”聖霊”について、たくさん証をしてくださっています。
しかし、この”聖霊”がまだどういうものかわからない方は、RAPTさんが”聖霊”について初めて語ってくださった、RAPTブログの下記の記事を読んでみてはいかがでしょうか?
〇悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。
私も、この記事を改めて読む中で、ある聖句について「この聖句にはこういう神様の心情が込められていたのか!」ということを気付かせていただました。
「そこでわたしはあなたがたに言う。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」
(ルカによる福音書11章9〜13節より)
今まで、私は、この聖句の中で「求めよ、探せ、門を叩け」というところばかりを重視していて、最後の「求めて来る者に聖霊を下さないことがあろうか」というところをサラッと読み飛ばしていました。
この最後の聖句がどれほど重要か分かっていませんでした。
「求めてくる者」の「求め」というのは、「本当に切実にすがる思いで、尊い目的のために祈った祈り」であって、そのような祈りによって、神様は必ずその祈りを叶えてくださると同時に、聖霊をも与えてくださるということであり、ただなんとなく適当な気持ちで求めるような祈りでは、決して祈りも叶えられず、聖霊も与えてくださらないということです。
RAPTさんは本当に毎日たくさん祈られ、その全ての祈りが、本当に切実で命懸けであり、その祈りによって、毎日豊かに聖霊を受けられています。
だからこそ、今まで、ありとあらゆる世の中の隠されていた悪を暴くことができ、膨大な記事を、毎回、力強く書き続けることができたのです。
そしてRAPTさんは、聖霊を与えてくださる神様をどこまでも信じて、切なる思いで、毎日神様にすがりつき祈り求めていらっしゃるからこそ、豊かに聖霊を受けられ、力と知恵、アイデアや構想を神様から豊かに受け、神様の御心(神様の願い)を力強く次元を上げて成し続けていらっしゃいます。
RAPTさんの生きる姿を通して、聖霊を受けることがどれほど大事で、聖霊を受けなければ、神様の願いを成すことはできないのだと本当に感じますし、小手先の自分の力だけでは到底できないと常に思っていました。
私も、こうして賛美歌の紹介をさせていただいたり、5匹の犬たちの世話をさせていただいたりしていますが、まだまだ自分の力だけで行ってしまい、上手くいかなかったりするときもあり、聖霊がまだまだ足りないのではないかと感じていましたし、そのために自分は何が間違っていて、何が足りないのか、本当に分からずにいました。
しかし、今回ご紹介する賛美歌を練習しながら、上記の記事も読み直す中で、聖霊を受けるために自分がどれほど切実に命懸けで祈っていなかったかということが分かりましたし、「切実に」というのは、24時間絶え間なく求めることなのだと思いましたし、形だけ祈る形式的な祈りが一切ない祈りが「切実に祈る」ということだと分かりました。
そして、本当に切なる思いで求めれば、必ず聖霊を下さるということは、本当に心を開いて、自分の正直な思いを話し、切なる心で求める人を神様が待っていらっしゃるのだという、神様の心情も改めて深く悟ることができました。
ですので、これからもっと、絶え間なく切なる思いで神様に祈り求め、聖霊を豊かに受けて、今回ご紹介する曲の歌詞のように、神様の御力だけにより頼み、勇ましく次元を上げて神様の御業を成し、神様の国をこの地に実現させていけるようにもっと頑張っていきます!
どうか、一人でも多くの方がRAPTブログを読み、神様の前で自分の心を開けて、切なる思いで祈り求めて、聖霊を熱く受け、神様からありとあらゆるものを与えていただき、栄えある人生を歩まれますように切に願っています。
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