
裁判に証人として出廷した後日、検察官のバイマトさんからメッセージが届いた。
『先日はお疲れさまでした。判決は今から二週間後に出ることになりました。前回と同様に、皆さんも傍聴することができます。判決を言い渡して終了となるのであっさり終わるはずですよ』
「⋯⋯だってさ。私は行きたいけど、ルリスは行く?」プレトは質問した。
「もちろん」
「チユリさんとビケさんも行きますか?」
「ぜひ行きたいわ」
「みんなで行きましょうよ!」
二週間が経ち、プレパラート研究所の全員で裁判所へ向かった。
四人揃って傍聴席に着席していると、開廷時間ちょうどに裁判長が入廷してきた。今日は所長に対して判決文を言い渡すだけだから、所長は冒頭から証言台に立っている。裁判長が所長に対し、人定質問として名前や生年月日を尋ねた。人違いを防ぐために大切な工程なのだろうが、毎回訊くのも答えるのも大変だなあと思う。
事前にバイマトさんから教えてもらったが、判決文は”主文”と”判決理由”に分かれているらしい。主文は『なんとかの刑に処す』っていうやつで、判決理由では『どの法律が適用されたか』『刑を科す理由』などを説明するらしい。どんな判決が言い渡されるんだろう。あれだけ詳しく証言したんだし、証拠も出そろっているのだから、うまくいくんじゃないかな。淡い期待を抱きながら、裁判長の口元を注視していると、彼の唇が薄く開いた。いよいよだ。
「被告人を懲役3年に処す。この裁判確定の日から3年の間、その刑の全部の執行を猶予する」
⋯⋯ん? 猶予って言った? 聞き間違いかな。隣に顔を向けると、青ざめたルリスと目が合った。そんなまさか。きっと聞き間違いだ。執行猶予が付いただなんて、ウソでしょ? こんな奴に猶予なんか与えたら何をしでかすか分からないのに?
身体全体から血の気が引いていく。執行猶予が付いたことが衝撃すぎて、判決理由がきちんと頭に入ってこない。一応、所長の罪は、プレトに対する「殺人未遂罪」であることが分かった。だが、被害者であるプレトがほぼ無傷なので、情状酌量されたらしい。さらに、ケーゲル密売の情報が世間に漏れたことについては、被害者であるプレトの落ち度としてみなされ、減刑に値すると判断されたようだ。5分もかからずに判決文を読み上げると、裁判長はすぐに退廷した。
⋯⋯もう終わりなの? なんでこうなった?
疑問しか湧いてこない。何一つスッキリしない。呆気にとられながら法廷を出ると、ビケさんが浮かない表情で話し出した。
「なんてことだ⋯⋯懲役3年で執行猶予が3年だって? あの裁判長は脳みそが壊れているのでしょうか。宣言通り、このビケが所長をボコりますね。裁判長もボコります」
「ビケさんが捕まっちゃう⋯⋯」
「では、酸素を吸う権利を所長から剥奪します。方法を考えるので待っててください」
ビケさんは額に手を当て、本気で悩み出したようだ。
「励ましてくれてありがとうございます⋯⋯今日のプレパラート研究所のタスクは完了しているので、この場で解散にしますか⋯⋯」
プレトの語尾がかすれた。
「そうね。各々ストレス発散するということで、解散にしましょう」
チユリさんが場をまとめてくれた。
ぼーっとしている間に、ルリスがタクシーに乗せてくれたらしく、気が付くと自宅に到着していた。何か食べるかと尋ねられたが、食欲が全くないので、断ってしまった。スーツから部屋着に着替えると、ソファにぐでんと座り、浮いているムイムイを無気力に眺めた。何もできないでいるうちに日が沈む時間になってしまった。プレトの携帯電話にバイマトさんから電話がかかってきた。スピーカーモードに切り替えてから電話に出た。
「今日はお疲れさまでした。所長に言い渡された判決は二週間後に確定します。プレトさんが希望するなら、上訴したいと原告に伝えますが⋯⋯」
「上訴っていうのは⋯⋯」
「『納得できないから裁判を継続したい。もっと争おうぜ!』っていう制度で、判決が確定するまでの二週間以内が申請の期限です。ちなみにですが、原告本人は上訴に乗り気でないです。それに、弁護側からも上訴しないという連絡を受けました」
「原告も所長も、あの判決を受け入れたってことですね。所長は執行猶予中に大人しくしておけばいいだけですもんね⋯⋯バイマトさんはどう思いますか?」
「正直、上訴しても判決を覆すのはかなり厳しいと思います。なんとなくですが、裁判長が所長に肩入れしているような空気感があるんですよ」
「所長は、法務省のお偉いさんと親族ですもんね⋯⋯」
「プレトさん。こんなことを言っても意味ないと思いますが、所長みたいな立場にいる人が、あの判決を受けること自体珍しいんです。執行猶予が3年も付いたのはすごいです。1年だったりする場合もあるので⋯⋯とはいえ、執行猶予なしの実刑判決を勝ち取りたかったですよね、私もです⋯⋯力が及びませんでした。申し訳ございません」
バイマトさんが絞り出すように言った。
「そんなこと仰らないでください。バイマトさんのおかげでここまで来れたんです。証人として呼んでいただいたおかげで、自分の口から所長の悪行を皆さんに説明することができました。練習にも沢山付き合ってくださって、ありがとうございます」
実際、バイマトさんがプレトの声を拾ってくれなければ、所長は有罪にすらならなかったはずだ。裁判自体、まともに行われていたか怪しい。有罪になっただけでも奇跡なのだ。バイマトさんとの通話を終えると、ルリスに声をかけられた。
「上訴しなくていいの?」
「うん。望みは薄いし、そもそも私はただの証人であって、裁判を起こした本人じゃないからね。できることはやったし、もういいかな⋯⋯疲れちゃった⋯⋯」
涙がこみ上げてきた。プレトは寝室へ移動し、ベッドに潜って頭から布団を被った。有罪になったのは奇跡だけど⋯⋯奇跡なのは分かっているけれど、悔しい。枕に水滴がボタボタと落ちた。悔しくて涙が止まらない。これまでずっと酷いことをされてきたのに、あんな判決に納得なんてできるわけない。せっかくいっぱい喋ったのに、皆んなで協力して準備したのに、執行猶予ってなんなのさ。3年なんて、中学一年生が高校一年生になる期間じゃん。あっという間に過ぎるじゃん。ていうか、懲役自体も短すぎるでしょ。どういう基準なのさ。
⋯⋯こんなに泣いたのいつぶりだっけ。ドクププに刺されて死にかけた時も、ここまで泣かなかった気がする。私はどうするべきだったんだろう。私たちはベストを尽くしたはずだ。ケーゲルの帳簿を持ち出さなければよかったのかな。でも、そうしなかったなら、私がパラライトアルミニウムに沈められることもなく、この裁判自体が起こらなかったし、所長はなんの裁きも受けずにのうのうと生きていたわけで⋯⋯
考えていたら訳が分からなくなってきた。全てが全ての原因で、全てが全ての結果であるような気がしてきた。直接協力してくれた皆んなも、SNSのフォロワーたちだって、所長がきちんと実刑で裁かれることを期待していたはずだ。私はみんなの期待を裏切ってしまったのだろうか。
もうダメだ。疲れた。本当に疲れた。泣き腫らした瞼が自然と降りてきた。
「お姉さんはベストを尽くしたよ。わたしはぜーんぶ見てたからね。胸を張って、世の中を見てよ。景色が違っているはずだよ。元気な時にまた会いに来るね」
そう言われて起きた。かけ布団を剥ぐ。起きる直前に聞こえた声は、幻の中で会える少女のものだった。普段は対面して色々話すが、今回は気を遣って、少しだけ声をかけに来てくれたのかもしれない。洗面台で顔を洗うと、厚ぼったく腫れた瞼と対面することとなった。あれだけ泣いたらこうなるよね⋯⋯リビングへ移動すると、機嫌良さそうなルリスがコーヒー牛乳を飲んでいた。
「おはようヒーロー。気分はどう? 瞼が腫れてるね」
「ヒーローとは?」
ルリスは笑顔でモニターを指さした。
そちらに目線を動かすと、ニュース映像が飛び込んできた。所長が過去にテレビ出演したときの映像や、記者会見を開いたときの様子が編集して流されている。画面の上の方にテロップが出ていた。
『国立研究所の所長に有罪判決! 罪状は元研究員に対する殺人未遂』
「昨日の判決がニュースになってるんだ」
「うん。こんな判決が出るのは前代未聞だって言ってたよ」
ルリスの説明によると、刑が軽すぎるのではないか、一般市民の証言で国立研究所の所長が有罪になるのはすごいこと⋯⋯という内容だったとか。
「あれ、あんまり興味ない? プレトが頑張ったからこんな番組が放送されたんだよ?」
「興味がないわけじゃないけれど、執行猶予が付いたことには変わりないしな⋯⋯」
少しは評価されているということなのかな。でも、コメンテーターとして席に着いているのは、タレントや、経歴がはっきりしない何かしらの専門家たちだ。彼らにほんのちょっと良く言われたところで、素直に喜ぶ気にはなれなかった。
「⋯⋯ヒーローもコーヒー牛乳飲む?」
「お願いします。いつもより甘くしといてください」
ふて腐れたままルリスにオーダーした。
(第104話につづく)
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