
翌朝起きると、布団の中にルリスがいなかった。リビングに移動したタイミングで、ちょうど外から帰ってきたようだ。
「おはよう。こんな早い時間にどこへ?」
「産直だよ。新鮮な方がいいのかなと思って。はいこれ」
大ぶりな枝を渡された。枝からはヨセフアンズがいくつもぶら下がっている。
「枝ごと置いてあったから、そのまま買ってきたよ。足りなくなったら買い足すね」
「わざわざ早起きしてくれたのか、ありがとう。ヨセフアンズの枝ってこんな感じなんだね。ちゃんと見るの初めてかも」
茶色い枝が、ところどころアンズ色になっている。まだら模様が個性的だ。実だけもぎって枝は捨てようと思ったが、ふと煮出したらどうなるのか気になった。果実がラピス溶液の材料になるなら、枝にも同じような特性があるかもしれない。適当な長さで折り、よく洗ったあと、大鍋に入れて沸騰させた。朝食を終えてしばらくすると、チユリさんがやってきた。出勤したと言うべきかもしれない。
「今日もディユの解毒剤作り頑張りましょうね。この鍋は何かしら?」
「ヨセフアンズの枝を煮出しました。ルリスが買ってきてくれたんです。ラピス溶液の材料になるか試してみようと思いまして」
「なるほどね⋯⋯一応、ディユにも混ぜてみる? 果実は試したけど、枝はまだよね」
チユリさんは煮出した液を少しすくうと、ディユの粉末に注ぎ、くるくると混ぜた。その成分を確認すると、悲鳴のような声を上げた。プレトが顔を覗くと、結果を見るように手振りで言われた。数値を確認し、プレトも悲鳴のような声を上げた。
「二人ともどうしたの!」
プレトは、心配そうに駆け寄って来たルリスの両肩を掴み、早口でまくし立てた。
「できたかもしれない。ディユの解毒剤!」
「ほんとに? もう? まだ午前中だよ?」
「ここの数字を見てくれる? 小さくなっているよね」
「うん。さっきまでケタ違いに大きい数字だったよね。ヨセフアンズの枝に解毒効果があったってこと? 果実じゃなくて?」
「そういうこと」
チユリさんが顎に手をあてたまま話しはじめた。
「隣国の人たちは、ディユに耐性があるのよね? ヨセフアンズの山の水を常飲しているのよね?」
「はい、隣国に住んでいる人がそう言っていました」プレトは答えた。
「幼少期から、湧水と一緒にディユを摂取していたおかげで、知らない間に少しずつ耐性がついていったのかもしれないわね。あくまでも推測だけど」
「それに加えて、体質とか、遺伝的な要素もありそうですね。試しに、湧水の解毒効果も調べてみましょうか。枝を水にさらせば再現できますよね」
湧水を再現したものを液体検査装置にかけてみたが、結果は芳しくなかった。
「この数値だと微妙よね。この国の人たちは耐性がないから、湧水じゃなくて、枝を煮詰めた濃度の高いものじゃないといけなさそうね」
「枝自体は普通に手に入りますし、量産できますよ。それにしてもどんな味なんだろ⋯⋯無害だから、舐めてみますね」
プレトは大鍋にティースプーンを入れ、一杯分を口に含んだ。
「信じられないほど渋い⋯⋯舌がもげそう」
ルリスとチユリさんも同じように舐め、悶絶しながら頭を抱えた。
「この味では、流通させるのは厳しいわね。せっかく解毒剤を発見できたのに」
「わたし、なんとかできないか試してみる」
ルリスは立ち上がり、キッチンで作業を始めた。
「味の調整はルリスに任せて、動物実験をしてみますか。ムーン液を作った時も、この子たちに頑張ってもらったんです」
プレトはチユリさんにウサギやハムスターを紹介した。スカイフィッシュはチユリさんの肩に留まった。
「動物実験ね。大事だけど、緊張するわ⋯⋯」
「私もです。何かあったら怖いですよね。でも、動物病院が開いている今がチャンスだと思います」
「よし、この子たちのためにもサクッと終わらせましょう」
生き物たちにディユを舐めさせ、少し時間を置いてから体調や血液の様子を調べた。次に、枝を煮出した液体を舐めさせると、動物たちの数値や体調が正常に戻った。
「これなら大丈夫そうですね。みんなありがと」
多めにおやつを与えた。すると、ルリスが後ろから声をかけてきた。
「渋みはなんとかなったかもしれないよ。舐めてみて」
出されたティースプーンをおそるおそる口に入れると、ミカンの味が口いっぱいに広がった。渋みはほとんど感じない。言われなければ気が付かないかもしれない。チユリさんも感動している。
「ルリスさん、すごいわね。どうやったの?」
「冷凍庫に入れて、渋みがかなり弱くなったところに、ミカンの果汁を混ぜてごまかしました。これなら食品として通用する味になったかなと思います。解毒成分が変化していなければいいんですけど⋯⋯」
液体検査装置で調べたが、味を調整した後もディユに対しては効果があるままだった。つまり、問題ない。
「ルリス完璧だよ。よーし、これで新しい食品を作れる!」
「薬じゃなくて、食品として流通させるのね。確か、ムーンマシュマロの時も治験ができないとかで、食品として売ることにしたのよね?」とチユリさん。
「そうなんです。薬としてではなく、食品として出そうと思います。その方がみんなが手に入れやすいですし」
「面倒な許可取りもなくていいわね。何の食品がいいかしら」
「常温保存ができて、賞味期限が長くて、材料も生産コストも安い物がいいなって考えてました。グミとか」
「グミか。マシュマロじゃなくていいの?」プレトは質問した。
「マシュマロだと、買う時にムーンマシュマロと間違えそうだし、チョコだと部長補佐たちのアレと混同しちゃいそうだから、変えたほうがいいかなって」
「なるほど」
「グミは砂糖とゼラチンがメインだから、安く作れて安く売れるよ。ムーンマシュマロと同じように、中にジュレとして解毒剤を入れる形式にしようかなと。あと、ミカン以外にもリンゴ味を作りたい」
「味が多いと面倒じゃない? ムーンマシュマロだけでも4フレーバーあるのに」
「ミカンだけだと、柑橘アレルギーの人が食べられないからね。ミカン以外に渋みをごまかせそうなリンゴも、アレルギー品目に設定されてるけど、両方作っておけばどちらかは食べられるかなって」
「優しすぎる。天使か?」
「いい考えね。作るのはお願いしていいのかしら」
「任せてください! レンタルキッチンに行ってきます」
数時間後、ルリスが大量のグミを持って帰ってきた。
「せっかくだから星型にしてみたよ。小さい子も食べやすいように、柔らかめにしたの。食べてみて」
「モニョモニョしてる。おいしい」
「おいしいわね、さすがルリスさん。これをムーンマシュマロみたいに梱包して売ればいいのよね。商品名はどうする?」
「まだ考えていませんでした。プレトは思いつく?」
「”解毒グミ”は?」
「なんか怖い! なにを解毒するのか分からないし」
ルリスは眉間にシワを寄せている。
「何がいいかしらね。星型だから”ステラグミ”とかどう? ムーンマシュマロとも関連がある名前だけど」
「月と星ですね。それがいいです」
ルリスは食い気味だ。
「私もそれがいいと思います。梱包も発送もすぐにできるし、さっそく宣伝しちゃいますか」
プレトが、ステラグミについてクライノートへ投稿すると、〈サバグル〉からDMが来た。
『ディユの解毒剤、もうできたんですか。天才かよ! 効果はどのくらいあるんですか』
プレトは返信した。
『動物実験では効果が確認できました。ディユで体調を崩した人が周りにいないので、人間では試せていないです。でも、ステラグミ自体は無害なので、食品として誰でも食べることができますよ。私たちは既に食べてます』
『了解です。よかったらコラボしませんか? ステラグミの宣伝動画を撮りましょうよ』
『動画ですか? いいですけど、グミを食べるだけの動画を撮ってもつまらなくないですか?』
『俺にいい考えがあるんで、任せてください』
明日、公園に集合することにして、メッセージのやり取りを終えた。
「いい考えってなんだろう」
ルリスは首を傾げている。
「なんだろうね。でも、あちらから誘ってくれたんだから、撮るだけ撮ってみればいいと思うわ。明日は私のレグルスで公園に行きましょ」
翌日、公園に到着すると、ほぼ同じタイミングで別のレグルスも停まった。降りてきた若い男性が話しかけてくる。
「どーも、〈サバグル〉です⋯⋯プレトさんですよね」
彼の動画に登場している〈サバグル〉本人だが、明らかに様子がおかしい。体調が悪そうだ。肩で息をしているし、大量に汗をかいている。顔色も真っ青だ。プレトは駆け寄った。
「どうしました? 具合が悪そうですよ。撮影は延期しましょうか」
「はあ、はあ、昨日の夜⋯⋯ディユ入りのチョコ、食ったっす⋯⋯」
「なんで? ウソですよね?」
「ウソじゃないっす、動画にも撮ってあります⋯⋯ステラグミの効果を見せる必要があるじゃないですか⋯⋯」
「ステラグミを宣伝するために、わざわざディユを摂取したんですか? 本当に効果があるのか示すために、自分から毒を食べたの? なんて無茶を!」
「プレトさんたちの研究成果、信じてるから⋯⋯」
「軽率に信じないでよ!」
「バズりたい⋯⋯」
「そっちが本命かよ! バズりに対してのハングリー精神が大きすぎる」
「とりあえず、カメラのセッティング、手伝ってもらっていいですか⋯⋯」
振り返ると、動揺しているルリスとチユリさんがいた。口元に手を当てている。ディユの患者を見るのは三人とも初めてだ。こんなに苦しそうだなんて。万が一、〈サバグル〉に対してステラグミの効果が現れなかったら、大変なことになってしまう。今にも倒れそうな〈サバグル〉を見ていると、緊張で背中が湿ってきた。
(第99話につづく)
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