
〈サバグル〉から追加でDMが届いた。
『〈ゴライアス〉がまだなんか吠えてますけど、こちらは任せてください。〈プレパラート〉さんが返信するより、外部から反論された方が堪えると思うので』
『そいつ、いっつもアンチコメントを書き込んできますし、アンチ仲間みたいな奴らをけしかけてくる時もあるので、かなり面倒だと思います』
『レスバには慣れてるので安心してください』
提案に甘え、プレトとルリスは梱包作業を進めたが、せっかく味方になってくれた〈サバグル〉がひどい目に遭ったらと思うと心配でたまらなかった。だが、それは杞憂だった。〈サバグル〉は〈ゴライアス〉をうまく誘導し、墓穴を掘るような発言をさせ、ただの有害アカウントに過ぎないことをはっきりと示してくれた。
「すごい! 〈ゴライアス〉からの返信が途切れたみたいだけど、退散したのかな」
ルリスは感心したようだ。
「しっぽ巻いて逃げたのかもね。任せたおかげで梱包がはかどったし、助かったね」
〈サバグル〉にDMで礼を伝え、勝利を喜んでいると、チユリさんから電話がかかってきた。
「二人にいい知らせよ! 新しい研究所の申請が通ったわ!」
「本当ですか! 早いですね!」
「一番大きい研究所があの有様だから、新しく設立の申請をする人がとても少なかったみたい。あっさり通ったわよ。二人が申請したときに全然通らなかったのは、やっぱり妨害だったのね」
「ありがとうございます。お友達さんにもよろしくお伝えください」
「もちろんよ。早速で申し訳ないんだけど、私はプレパラート研究所に移籍してもいいのかしら?」
「いつでも大歓迎です。倉庫番はつまらないと思いますし。まだ実行には移していないんですけど、ディユの解毒剤も作れないか試してみたいので、チユリさんに来ていただけるとすごく助かります」
「わかったわ。実は、タイミングを見て出そうと思って、退職届けを準備していたの。今日中に出してみるわね」
チユリさんとの通話を終えると、ルリスが肩に腕を回してきた。
「プレパラート研究所の設立おめでとう! プレトが所長だね。所長って呼んであげようか?」
「所長? イヤだ! あいつのことが頭をよぎる」
「あの人がとんでもない奴ってだけで、所長っていう肩書き自体に罪はないよ」
「でもイヤだ⋯⋯ムリ⋯⋯所長って呼ばれるくらいなら雑兵って呼ばれたほうがいい」
「そんなにイヤなんだ? わかった。プレトはプレトだね」
雑談をしていると、チユリさんからメッセージが届いた。
『さっき退職届けを出したら、あっさり受理されたよ。厄介払いができて嬉しそうだったわ。明日からお邪魔してもいいかしら。解毒剤は早く作ったほうがいいわよね?』
『ぜひいらしてください! 楽しみにしています』
チユリさんが本当にこちらに来てくれる。一緒に活動できるのは素直に嬉しかった。
翌日、チユリさんが自宅兼研究所に来てくれた。
「おじゃまします。ここに来たのは、倉庫の地下室から虹を運んだとき以来ね。ルリスさん、手のひらの調子はどうかしら」
「すっかり良くなりました」
ルリスは両手を開いて見せた。ウチワモルフォの鱗粉で傷付いたところは完治している。
「ケガは辛かったと思うけど、大ごとにならなくてよかったわ。そうだプレトさん、二人に協力してくれそうな人たちとビデオ通話をしたことがあったでしょ? 同僚の人があんなことになったから、それ以降、プレトさんとは通話していなかったけど、研究所内ではときどきみんなで集まったりしていたの」
「そうだったんですか。みんなイヤになったのかなって、少し気になっていました」
「プレトさんが忙しそうだから、様子を見ていただけよ。その中に、食品研究チームのビケさんって人がいて、なんと、ディユの粉末をゲットしてくれちゃいました!」
チユリさんはそう言うと、透明の袋に入った粉末を見せてくれた。深緑色の滑らかなパウダーだ。
「すごい、これがディユですか」
「触るだけなら無害よ。ディユの解毒剤を作るには、ディユが必要でしょ?」
「個人輸入するか、ディユ入りのチョコレート製品をなんとか分解するしかないのかなって思っていました」
「私もそうするしかないって思っていたんだけど、食品研究チームの中で、試供品として配られたらしいの。家で使ってみてって言われたんだって」
「配ってるんですか? それじゃあ、職員が毒にやられてしまいますよね」
「ビケさんはディユの危険性を知っていたから使わずにいたんだけど、私がプレトさんと一緒にディユの解毒剤を作るって話をしたら、こっそり渡してくれたの。『危険なのは知ってるのに製造に加担させられて苦しかった。わたしにはこれくらいしかできないけど使ってください』って言ってたわよ」
市場に出していない製品を外部に流すのはリスクがある。ビケさんはそれを承知でこちらに協力してくれたのだ。有効に活用しなければならない。チユリさんは続けた。
「ビケさんもタイミングを見てこちらに移籍したいって言ってたわ。他の人たちは準備を整えながら徐々にってことになると思う。いきなり研究員が増えても大変だろうから、私はそれでいいんじゃないかと思ってるの」
「万が一、プレパラート研究所の運営がうまくいかなかったら大変ですし、様子見しながら来てもらえると私も安心です。ルリスもそう思うよね」
「うん! 皆さん家庭の事情とか、転職の不安とかあるだろうからね。プレトはチユリさんと一緒に、ディユの解毒剤を作るよね? わたしはその間、今日分の梱包と発送をしておくね」
「そっちは任せた」
「わたしもそっちを任せた」
プレトはチユリさんと共に、ディユの悪い効果を打ち消す方法を探した。ムーン液でなんとかならないかと期待したが、特に効果は現れなかった。
「スパイク肺炎ワクチンって、パラライトアルミニウムとネオベナムの組み合わせで危険物になっちゃってるのよね? ネオベナムはスカイフィッシュの肝油で動物由来だから、植物由来のディユにムーン液は効果がないということかしら」とチユリさん。
「そうかもしれないです。私がドクププに刺されたときも、過去にハチに刺されてアナフィラキシーショックを起こした人も虹で治りましたし、虹の成分は動物や虫系統の毒に効果があるのかもしれないですね」
ルリスが梱包しながら呟いた。
「プレトが科学者っぽいことしてる⋯⋯二人が難しい会話してる⋯⋯なにを言ってるのか全くわからない」
「ふふっ、覚えなくていいわよ。作業用のBGMだと思ってね」
「最近は梱包と発送ばかりやっていたから、小売店の店員みたいだったよね。本業はこっちなのだよ」
「私も最近は倉庫番をさせられていたから、こういうの楽しいわ!」
プレトはチユリさんと協力しながら家中の薬品を試してみたが、特に成果はなかった。頭を悩ませているうちに日が暮れてしまった。
「まあ、すぐには出来上がらないわよね」
チユリさんの声に疲れがにじんでいる。
「ムーン液ができたときは、偶然うまくいったんですけどね⋯⋯隣国にいる人にメッセージを送ってみます。なにかヒントをもらえるかも」
プレトは、少年の父親にメッセージを送った。
『お久しぶりです。今、ディユの解毒剤を作ろうとしているのですが、足踏みしている状況です。そちらの食生活で気になることがあれば教えていただけますか』
すると、すぐに返信が返ってきた。
『こんばんは。皆んな普通にディユを食べてるってことくらいしか分からないですね。僕は食べたことないですし。でも、皆んな同じ水を飲んでいます』
『同じ水ですか?』
『特定の山から湧き出る水です。ミネラルウォーターとしてどこにでも売ってるので、僕を含めてそればっかり飲んでいますよ。ヨセフっていう品種のアンズが群生している山の水らしいんですけど、それ以上のことは分からないです』
『そうなんですね。情報ありがとうございます』
少年の父親に礼を伝えた。
「へえ、ヨセフアンズね⋯⋯」
一緒に画面を見ていたチユリさんが、唸るように言った。
「ラピス溶液の材料として使っているので、冷蔵庫にありますよ。成分を調べてみますか」
ヨセフアンズを潰し、液体検査装置で調べてみた。特別な成分は見つけられなかったが、一応、ディユを溶いた液に加えて混ぜてみた。その成分を確認したチユリさんが、微妙な声を出す。
「んー、んんー? うーん⋯⋯」
「なにか見つかりましたか?」
「ほんの少し、ディユの毒性が弱まっているんだけど、本当にほんの少しなの」
プレトも確認してみた。確かに毒性は弱まっているが、これでは解毒剤とは言えない。
「惜しいところまで行ってる気がするんですが、これじゃあダメですよね」
「そうねえ⋯⋯量の問題かしら?」
プレトは冷蔵庫にあるヨセフアンズを全て取り出し、先ほどと同じようにディユと混ぜてみたが、結果は変わらなかった。
「量の問題じゃないのかもしれないですね」
頭皮を揉んでいると、ルリスがコソッと声をかけてきた。
「あのー、もう夜遅いですけど、チユリさんは泊まっていきますか? 初日から徹夜するのは、ちょっとブラックすぎるかなって⋯⋯」
「あら、もうこんな時間なの! 新人の頃を思い出して張り切りすぎちゃったわ。私は帰るわね。続きはまた明日ということで」
「はい⋯⋯」
「焦らなくていいのよ。焦りで解毒剤ができるわけじゃないしね。プレトさんはムーン液だって見付けたんだから、ディユくらい解毒できるわよ。一緒に頑張ろうね」
チユリさんを見送ると、ルリスが話しはじめた。
「チユリさんって、励ますの上手だね。さすが元管理職。ヨセフアンズは今日で使い切ったし、わたしが明日買いに行くからね」
「お願いします。はあ、ヨセフアンズが絶対ヒントなんだけどなー。どうしたらいいんだろう。解毒剤できるかなあ」
「きっとできるよ。そう思うしかない。悩むより明日に備える方が大事だよ」
ルリスが背中に手を添えてくれた。
(第98話につづく)
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