プレトとルリスは、ソファに腰かけて肩を寄せていた。研究所を作ろうとしただけで妨害が続いたため、少し放心していた。頭を空っぽにして脳を休めたかったのだ。
「プレト、プレト」
ルリスに肩をつつかれた。
「ん?」
「ボーっとしているのもあれだから、祈ろうか」
「うん、そうね」
新しい研究所を作れるようにと、二人で祈った。しばらくすると、ルリスが口を開いた。
「妙案は思い浮かんだ?」
「いや、全く」
「そっか、わたしもだよ」
いくら申請しても、不許可になるのならどうしようもない。こればかりは解決できないことなのだろうか。
その日は大人しく、パラライトアルミニウムやムーンマシュマロなどの梱包と発送を行ったが、プレトの頭の中は新しい研究所のことでいっぱいだった。研究所としてもっと大きく活動できれば、商品だって効率よく販売できるかもしれないのに。二人でちまちま活動している現状がもどかしかった。作業中も『なんとかなりますように』と心の中で祈りつづけていると、チユリさんから電話がかかってきた。
「プレトさん、新しい研究所については申請してみたかしら?」
「何度もしてみたのですが、全部弾かれました」
「え?」
「手を変え品を変え、数えるのがイヤなくらい申請したのですが⋯⋯ダメでした。国が妨害しているみたいです」詳細を話すと、少しの沈黙があった。携帯電話の向こうで、チユリさんが考え事をしているようだ。やがてチユリさんは話しはじめた。
「申請は、国のどこ宛てかしら。文科省かな」
「法務省です。そういえば、レインキャニオンへ行けという指示が書かれた命令書は、所長と法務省の連名だったんですよね。完全に目の敵にされていますよね」
「法務省? 研究所の設立って、法務省の管轄だっけ? てっきり文科省だと思い込んでたわ」
「申請窓口のホームページに、最近管轄が変わったようなことが書いてありました。全文読んだわけではないので、おぼろげですが」
「なるほど⋯⋯まあ、あの辺はズブズブでしょうから、法務省が研究所についての権限を持ってた方が、都合がいいと考えたのかしらね」
「いずれにせよ、私たちはもう敵だらけです。妨害には慣れたつもりでしたが、”つもり”だったみたいです」
自然と口から言葉が溢れてくる。プレトはチユリさんに心情を吐露しつづけた。
「いっぱいイヤな目に遭って、その都度なんとか切り抜けてきましたし、いろんな人に助けてもらいましたし、今こうして元気でいられてありがたいんですけど、なんか、ちょっと、疲れちゃいました。ルリスがケガさせられたのが堪えたのかな⋯⋯情けない」
話していると、余計に情けなくなってきた。心なしか、自分の声が上擦っている。プレトの声が途切れたのを確認したように、チユリさんは言った。
「情けなくなんかないわ。パラライトアルミニウムの枯渇問題がウソだと暴いて、スパイク肺炎ワクチンとかディユが危険だと知らせて、他にもいっぱい頑張っているじゃないの。頑張ったら疲れるのは当たり前よ」
「はい」
涙は出ていないが、プレトの声は泣いていた。
「だから、今回は私に頑張らせてくれないかな」
「へ?」
「私の学生時代の友だちがね、法務省に勤めているのよ。年に何度か連絡を取ったり、会ったりする仲なんだけど、この間出世したって聞いたわ。年齢的にも管理職でしょうし、なんとかならないか訊いてみるね」
「ん……え?」
予想外の話に、間抜けな声が出た。チユリさんの友人に法務省勤務の人がいるだって?
「管轄が文科省から法務省に変わったのも、いいタイミングかもしれないわ。あいつらは妨害する気満々みたいだけど、それを逆手に取ってやりましょう。プレトさんたちも、不審者がレグルスに落書きしたのを逆手に取って、洗剤を宣伝してたでしょ? 私にも真似させてよ。絶対に上手くいくとは断言できないけれど、上手くいくように祈っててちょうだい」
「は、はい」
また連絡すると告げられ、通話が終了した。隣でムーンマシュマロを梱包していたルリスが、手を止めてこちらを見ている。プレトはルリスと目を合わせて尋ねた。
「今の会話、聞こえてた?」
「もちろん。スピーカーモードだったからね⋯⋯この流れすごくない?」
「すごい。祈ってたらこんな展開になった。どうしよう、チユリさんが頑張っている間、私たちにできることってあるかな」
「今回ばかりは⋯⋯あ、でも、研究所の設立を理不尽に妨害されているっていうのは、ネタとしてアリじゃない? 洗剤と、歌と、雲を固める動画のおかげでフォロワーがかなり増えているから、SNSに投稿したら今まで以上に拡散してもらえるかもしれないよ」
「それだ。ネット上だけでも、法務省に好き勝手させないような空気感にしておこう」
「ついでにさ、所長が逮捕されてから続報がないことにも触れたらどうかな。『法務省が悪人を特別扱いしている』って大勢が思ってくれれば、さすがの法務省にも少しはダメージが入るかもしれないよ。法務省もSNSで公式アカウント持っているし」
「天才すぎる。さっそく投稿してみるね」
プレトは、ルリスのアイディア通りにクライノートに投稿した。時間を置いてから確認した方がいいと考え、リアクションが集まるのを待つ間、今日の分の梱包と発送を二人で完了させた。沈みかけた太陽が地平線の縁に引っかかる頃、プレトとルリスはクライノートをチェックした。
「おおー」
プレトは思わず声を漏らした。
「ひゃーっ」
ルリスは両手を口元に当てている。インプレッション数がとんでもない数字を叩き出していた。数字を操作されてこれなら、実際はどうなっているのだろう。
「頑張っていろいろやってきてよかったね」
ルリスは感慨深そうだ。コメント欄は賛否両論で埋め尽くされていたが、アンチコメントは『バカ』や『ゴミ』といった、特に意味のない悪口がほとんどだった。クライノートや製薬会社に雇われている奴らが適当に書き込んでいるのかもしれない。その中に、見慣れたユーザーがいることにプレトは気がついた。
「見て見て、〈ゴライアス〉が来てるよ」
「本当だ。相変わらずしつこいね」
いつもアンチコメントを書き込んでくる〈ゴライアス〉は、今回は『国に対する不敬罪だ』などとコメントしていた。
「国民がいてこその国家なのに、国が国民をいじめているんだぞ。なにが不敬罪だ」
「同感。積極的に品位を落としているのは国自身なのに、どこを敬ったらいいのかな?」
「今日のルリス、キレッキレだね。かっこいいじゃん」
「ウチワモルフォの鱗粉が効いたのかも?」
ルリスの際どい冗談に、プレトは手を叩いて笑った。すると、ルリスの携帯電話に電話がかかってきた。登録していない電話番号だったので、画面には数字だけが表示されている。
「誰からだろう」
ルリスは不思議がっていたが、「もしかしたらレグルス屋かもしれない」と、電話に出た。はい、はい、と受け答えをしていたルリスの声が次第に曇っていく。顔を覗き込んだプレトとアイコンタクトを取ると、ルリスは通話をスピーカーモードに切り替え、テーブルの上に置いた。ルリスの携帯電話から、男の声が聞こえてくる。
「⋯⋯というわけで、事情を伺いたいので、一度、署まで来ていただけますか」
署? 署とはなんだろう。ルリスにちらりと視線を投げると、吐息のような声で「けいさつ」と呟いた。これは警察からの電話だったのか。ルリスは警察に答えた。
「心当たりがないのでちょっと⋯⋯それに、警察署へ行くのは任意ですよね?」
「任意ではありますが、先方の弁護士が熱心にこちらへ問い合わせているので、心当たりがないのなら、そのようにはっきりと署で話したほうがいいと思います。警察からしつこく連絡が来るのは気持ちのいいものではありませんよね」
声のトーンは事務的だが、単語の端に面倒くささが滲み出ていた。内心、さっさと来いと思っているのだろう。
「それはそうですが⋯⋯少々お待ちください」
ルリスは携帯電話を保留モードにしてから言った。
「あのね、所長に対する誹謗中傷っていうことで、わたしたちが訴えられているみたいなの。所長から」
「え! 所長? あいつ今、部長補佐たちと裁判中じゃないの?」
「だよね。判決が出るまでの間に、わたしたちを攻撃したいのかも。こっちが悪者という結論になったら、部長補佐たちとの裁判でも、所長にとって有利な判決が出るかもしれないし⋯⋯」
「うわあ、ここで所長が来るか⋯⋯でも、私じゃなくてルリスの方に電話が来たのはなんでかな」
「ネットショップ、わたしの電話番号を登録してたでしょ? そこからかけてきたみたい」
「そういうことか。え、どうする?」
「うーん、行きたくはないけれど、特にやましいことはしていないし、一度話してこようかな。プレトが行くと攻撃されるかもしれないから、わたしだけで行ってくるね」
「あ、う、うん⋯⋯」
プレトがしょぼい返事をすると、ルリスは保留を解除し、警察に署へ行くと伝えた。チユリさんのおかげで希望が持てていたのに、あっさりと取り上げられてしまった気分だ。
(第91話につづく)
コメントを書く