【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第63話・突然の部署異動」by RAPT×TOPAZ

【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第63話・突然の部署異動」by RAPT×TOPAZ

「行ってきまーす!」
プレトは錆びた自転車にまたがった。レグルスがない今、研究所への移動手段は徒歩か、この自転車だけだ。
「ちょっと待って、これを着けていって」
ルリスにサングラスとマスクを渡された。
「これは?」
「クライノートで顔写真が拡散されたから、一応ね。研究所に着いたら外せばいいから。それに、自転車だとムイムイが顔に当たって痛いでしょ」
「ありがとう。クソボケ同僚を問いただしてくる!」
渡されたものを装着し、ルリスに手を振りながら敷地を出た。

研究室の扉を開けると、隣の同僚はすでに出勤していた。大股で近付き、問い詰めた。
「なんで私の写真をクライノートに投稿したの。しかも名前と職場も! どういうつもりなの」
「お前がやったことを真似しただけだよ。製薬会社の奴の身分証とか公開してたじゃん。それと同じ」
しらばっくれると思っていたが、同僚はあっさり認めた。私がやったことというのは、キリンパンの身分証や、フーイの動画を投稿したことを指しているのだろう。すぐさま反論した。
「あれは、殺されかけたから投稿したの。殺人未遂の犯人について情報共有しただけ。危険人物はみんなに知らせた方がいいでしょ」
「おれも危険人物について投稿しただけだぞ」
「私は危険人物じゃない」
「危険人物だろ。スパイク肺炎をただの風邪だとか、ワクチンは危ないとか、ガセネタばっかり投稿しやがって。ろくでもない陰謀論者じゃねえか」
「陰謀論じゃないよ。実際にスパイク肺炎ワクチンは危険なんだ。パラライトアルミニウムとネオベナムが入ってるの知ってるでしょ? あの組み合わせで赤血球がトゲトゲになるんだよ。入社したての頃、一緒に実験したの忘れた?」
同僚は一瞬、怯んだような顔をしたが、すぐに元の剣幕に戻った。
「ワクチンの成分があれだけとは思えない。きっと一般に公開していないものも入っているんだ。それが赤血球の変質を防ぐのに効果的なんだろ」
「……なに言ってるの? ワクチンの成分が研究所に共有されていないわけないじゃん。てか、付属の病院もあるんだから、ワクチン自体、研究所の中に保管されているはずだよ。探してきてあげる。採血キットで私の血を採って、そこにワクチンを注げば、どんな悲劇が生まれるのか分かるよ」
席を立ち、歩きだそうとしたタイミングで襟首を掴まれた。強制的に座らされる。
「余計なことをするな」
「放して。赤血球が変質しなければ、君の言うとおり私は陰謀論者ということになるよ。それを証明したいでしょ? 実演してあげると言っているんだから、邪魔しないで」
「やめろ」
「研究者のくせに結果を追い求めないんだ? ワクチンが危険だと分かるのが怖いの? 自分の考えが間違っているのを認めるのが怖いの?」
同僚は目を見開き、顔を真っ赤にした。こめかみに血管が浮いている。
「騒がしいな。何をしているんだ」
上司が部屋に入って来た。こちらに近づき、プレトを睨みつけてくる。
「お前がまた問題を起こしたのか」
「違います。こいつが私の個人情報をクライノートに流したんです」
上司はプレトと同僚を見比べると、「今日から別の部署に移ってもらう」と言った。
「ほら! 個人情報を流出させるとこうなるんだぞ! 反省しろ!」
プレトは同僚に言い放った。しかし、現実はどこまでも残酷だった。
「部署異動をするのは、プレト君。君だ」
「え、私ですか?」
「これに荷物を詰めなさい」
大きな段ボール箱を渡された。
「え、え、私はどこで何をするんですか」
「事務所でデータ入力をしてもらう」
「どうしてですか!」
「パラライトアルミニウム研究チームに、問題児は必要ないんだ。やる気がないのなら、もう出勤しなくてもいいし」
「そんなっ」
周りから、くすくすと笑う声が聞こえてきた。先ほどまで赤鬼のように怒っていた同僚までヘラヘラと笑っている。プレトはしばらく放心していたが、仕方なく段ボール箱に荷物を詰めていった。荷物はそれほど多くはなかった。全て入れ終えて箱を持ち上げると、少ない荷物が中で偏り、きれいに詰めたのが台無しになった。事務所に行くと、中の職員が一斉にこちらを向いた。何人かの人たちが、プレトの足元から頭のてっぺんまで品定めするようにじっと見てきた。明らかに歓迎されていない空気だ。
「君のデスクはここだよ」
事務所の隅っこに案内された。そこにあるのは木製の机と椅子だった。ところどころがヒビ割れ、変色し、ささくれ立っている。周りを見ると、他の職員はスチール製のデスクを使用している。プレトの机だけ異様に粗末だった。訝しく思っていると、案内してくれた職員が説明してくれた。
「よその部署からここに飛ばされた人は、この机と椅子を使うことになっているんだ。理由は分からないけど、所長が決めたルールらしいよ」
「そうですか……今まで飛ばされてきた人はどちらにいますか?」
「いないよ。みんな精神的に追いつめられて、自主退職していった」
「えっ?」
「この国で再就職なんて、ほぼ不可能なのにね。辞めた人たちがその後どうなったか、先は知れてるよな」
「どうして追いつめられたんですか? ここの業務がそんなにきついのですか?」
「そんなにきつくはないと思うよ。ただ、ときどき所長の取り巻きたちに呼び出されていたから、そこで何かきついことを言われてたのかも知れない」
「……分かりました。ありがとうございます」
力なく礼を言い、椅子に腰かけた。机の引き出しを開けると、干からびた虫の死骸が入っていた。
「どうしてこんなことに……」
パソコンを開き、ふと手元に視線を落とすと、机に鉛筆で文字が書かれてあることに気付いた。よく見ると『タスケテ』と読めた。プレトはイスの背もたれによりかかり、天井を仰いだ。大人がこんなことを書くなんて、どれだけメンタルが参っていたのだろう。想像するだけで気が遠くなる。私もこうなってしまうのかな。プレトが途方に暮れていると、突然、隣のデスクの人に話しかけられた。
「ねえ、キミさ、パラライトアルミニウム研究チームから来たんでしょ? もしかして、出張に行ってた人? クライノートのアカウントは〈プレパラート〉?」
「はい、そうです。昨日帰ってきました」
「一人でレインキャニオンに行けって命令されたんでしょ? どんだけ所長の機嫌を損ねたら、そんなこと言われるの」
「私は何もしていないですよ」
ラピス溶液の秘密に気付いたことは、とりあえず黙っておくことにした。ここで話したところで、余計に話が面倒になるだけだと思ったのだ。
「本当かな。所長の性格が悪いのはみんな知ってるけど、よっぽどのことがなければそんな命令されないでしょ。実際は何したの? 愛人になるように言われて断ったとか?」
「100%違います!」
強く言い切った。
「ふうん……でも、クライノートの投稿はウソだよね。あれだけトラブルに見舞われたのに帰ってこれるなんて、絶対にあり得ないし。レインキャニオンの画像も合成とか?」
「ぜんぶ本当ですよ。一緒についてきてくれた友人がとても優秀なんです」
「プレトさん! 私語は控えて仕事に集中しなさい」
リーダーらしき人に注意された。不躾に詮索されたのは、こっちなんだけどな……プレトに割り当てられたデータ入力は、部署ごとの実験データを一つの書式にまとめたり、研究所が実施したアンケートの結果などをひたすら入力していくというものだった。確かにきついわけではない。しかし、面白くもない。
生産性のない妄想をしていると、ある事実に思い至った。ここに飛ばされたということは、研究室の実験道具を自由に使う権利を失ったということだ。つまり、ワクチンの解毒剤を作るための実験ができない。
変な汗が額に滲む。パラライトアルミニウム研究チームの同僚が、実は解毒剤の研究をしてくれている……という展開は全く期待できないから、私がやるしかないのに。もしかして、それを見越して事務所に異動させられたのだろうか? 胃がムカムカしてきた。
……こうなったら強硬手段に出るしかない。昨日、倉庫に移した虹とハロを持ち帰って、自宅でこっそりと実験をするのだ。見付かれば泥棒扱いされるに違いないが、ワクチンの薬害で死者が出るなんて絶対に許せない。就業時間が終わると、プレトは足音を忍ばせながら倉庫へ急いだ。人目につかないように気をつけながら歩いていく。悪事を企てているわけではないし、むしろ人助けをしようとしているのに、どうしてコソコソしなくてはいけないのだろう。こんなの絶対におかしい。なんとか倉庫に辿り着くと、ゆっくりと扉を開けた。ありがたいことに、鍵はまだ閉められていなかった。虹とハロがある場所へ足早に近付いていった。

(第64話につづく)

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