「ワクチンを接種しても、虹で治ったりしないかな?」
プレトが呟いた。ディストピアな想像ばかりしていられない。
「虹は、生き物以外の毒にも効果があるのかな?」と、ルリス。
「まだ分からないけど、あったらすごいよね。今は研究所に虹の在庫はないみたいだし……研究のためにも、パラライトアルミニウムのためにも、頑張って持って帰らないと」
「そうだね。それにしても、レインキャニオンで襲ってきた飛行物体……あれがあれば、いつでも虹を採り放題だよね」
「……」
プレトは無言で、レインキャニオンで見た光景を思い出した。なるほど、あの飛行機能とアームがあれば、虹の採取は簡単にできるだろう。そして、飛行物体の投稿に寄せられたコメントに、面白いものがあったのを思い出した。
「飛行物体の映像を見て、昔のSF小説に出てきたものにそっくりだって教えてくれた人がいたな。物語の中では、危険な鉱山で、巨大な宝石をとりまくるらしいよ」
「へぇ。それってまんまレインキャニオンに当てはまる気がするよ。というより、本当に虹の採取、してたりして……」
プレトは操縦中の友人の横顔を見た。形のいい耳が髪の隙間から覗いている。こんな普通の女の子が、砂漠をアクセル全開で飛ばしているなんて、誰が想像できるだろうか。
「聞いてる?」
ルリスが一瞬こちらを見て言った。
「聞いてるよ。やっているかもね。それで得たパラライトアルミニウムを好き勝手に使っているのかな。それこそワクチンの材料とかに……」
「最悪のシナリオだね。でも、ありえそう。庶民にはわざわざ採取チームを組ませて、危険な方法で虹を採らせて、限られた量のパラライトアルミニウムを流通させるんだよ。そして、ウソの枯渇問題を起こして、騒ぎ立てて不安を煽っているのかも」
「それが本当だったら最悪だけど、十分にあり得る話だよ。その考察、投稿してもいいかな?」
「ただの空想だけど、それでよければどうぞ!」
プレトはクライノートにルリスが話したことを投稿した。反応が楽しみだ。
「あの飛行物体を作る技術もすごそうだから、工学的な技術も、庶民に知らせていないものが沢山あるんだろうな」
さして変化のない景色の中を、二人は移動していく。そして、陽が傾いてきたタイミングでルリスが口を開いた。
「砂漠の初日だし、そろそろ移動は終わりにして休んでもいいかなって思うんだけど」
「そうしよう。どこで停まろうか」
プレトはそう言いながら、窓の外を見回してみたが、ただ砂漠の風景が広がっているだけで、特にこれといったものは何もない。どこに停車しても何も変わらない気がした。
「目印になるようなものもないよね。とりあえず、あの木のそばに停めるね」
と、ルリスが言った。やつれきったような木のそばにレグルスを停め、早めの夕食を用意した。ただのレトルトカレーだが、ルリスが調味料で味付けを工夫してくれたので、通常よりはるかに美味しい。プレトが食べながら言った。
「何が起こるかわからないから、一応、レグルスの中で睡眠をとろう。いつでも出発できるように、エンジンをかけっぱなしにして、ライトだけ消して、できるだけ交代で寝るようにしようか」
「ラジャー!」
ルリスがスプーンを持ち上げて言った。食事を終えると、さっと片付けして座席で寝袋に身体をねじ込んだ。
「ルリスが先に寝なよ。操縦、お疲れさま」
「どういたしまして。じゃあ、お言葉に甘えて」
友人はそっと目を閉じた。少し経つと、すやすやと寝息が聞こえてきた。それを確認すると、プレトは窓を少し開けた。音でも周りを確認できたほうがいいと考えたのだ。日中はあんなに暑そうだったのに、気温が下がってきたせいで、寝袋に入るくらいがちょうどいい。そんなことを考えながら、夜空に浮かんだ星を眺めた。非常に穏やかな夜だった。
……あ、はくちょう座だ。
そのまま数時間が経ち、そろそろルリスと交代しようかと思ったとき、遠く離れた場所から、何か物音が聞こえてきた。プレトは訝しんで、窓をさらに開けた。生き物の鳴き声のようだ。砂漠に生息する野生動物だろうか。窓から頭を出してみたが、暗くてよく見えない。
……まあ、レグルスに乗っているのだから、そこまで心配することもないかな。それよりも眠くなってきた。
「ねえ、ルリ……」
友人を起こそうとしたとき、レグルスの後方から、ガリッとひっかくような音が聞こえた。
「え、なに……」
プレトが振り返り、確認しようとすると、今度はボディ全体が揺れた。何者かに蹴られたような感じだ。反射的に足を伸ばし、ルリスの足元にあるアクセルを踏んだ。レグルスのライトが点灯し、急発進する。が、友人は未だに夢の中だ。プレトは助手席から手足を伸ばし、無理な体勢で操縦しながら叫んだ。
「ルリス! 起きてくれる!」
「……ん、どうしたの……あれ、走ってるの?」
「何かに蹴られたかも!」
「蹴られた? うそー! ちょっと待ってて」
ルリスがあわてた様子で寝袋を脱ぎ捨て、操縦を代わってくれた。
「何にやられたか、分かる?」
「まったく。暗くてよく見えないし……エンジンかけてるのになんで触られたんだろ。センサーが全く反応しなかった」
「センサーは宿で壊されたままだよ。まだ修理できていないからね」
ルリスがあっさりと言った。
「……そうだった。君の操縦がうまくて忘れてた」
本当にすっかり忘れていた。レインキャニオン目前での、ストーカーとのカーチェイスも、森の中で木々を避けることができたのも、すべてルリスの技術のお陰だったのだ。
「どうもありがと! けっこうスピード出してるけど、撒けたかな」
「見てみる」
プレトはそう言って窓から顔を突き出し、後方に目を向けた。ライトがついているとはいえ、暗くてはっきりとは見えない。しかし、何かが追い駆けてきているようには見えなかった。
「撒けたかもしれない。野生動物が興味本位で近付いてきたのかな。大抵の生き物はレグルスが走り出したら、怖くて逃げるだろうし」
プレトはそう言って、頭を引っこめた。
「そうだね。交代で寝るようにしてよかったね」
ルリスがスピードを緩めたとたん、「ダンッ!」と、ボンネットに何かが飛び乗ってきた。重みでレグルスが激しく揺さぶられる。
「わあ!」
「きゃあ!」
プレトとルリスはそれぞれ悲鳴をあげた。目の前にぼんやりと、二本の巨大な鳥の脚のようなものが見えた。ルリスはとっさにアクセルを踏み、スピードを上げながらハンドルを左右に素早く切った。振り落とそうとしているようだ。
「痛て!」
激しく揺れたので、プレトは頭を窓にぶつけてしまった。しかし、目の前にそびえ立つ二本の脚はびくともしない。よく見てみると、爪がボンネットに喰い込んでいる。
「降りて! 降りてよ!」
ルリスはそう言いながら、相変わらずレグルスを揺すぶっている。プレトが目を回しはじめたタイミングで、ルリスが本格的にドリフトを始めた。窓から見える月が、あっちに行ったりこっちに行ったりしはじめる。
……酔ってきたかも。
プレトがそう思い、顔をしかめると、フロントガラスに穴が空き、二人の座席の間に何かが突き刺さった。そして引っ込んだ。槍のようだったが、見たことのない形状をしていた。
「ぎゃあ!」
「いやあ!」
プレトとルリスは再び悲鳴をあげた。
「レグルスの強化ガラスを突き破るなんて!」
ルリスが苦しそうに言う。
「今度はなんなの!」
せっかく虹で体内の毒を消すことができたのに、帰り道でこんな目に遭うなんて。プレトはシートベルトを握りしめ、前を睨みつけた。すると、目が合った。ボンネットに乗っている犯人が、こちらを覗き込んできたのだ。首を曲げているので、上下が逆さまになっている。初めて見るそれに、プレトの目が思わず釘付けになった。ダチョウとティラノサウルスを、足して二で割ったような顔だった。
(第58話につづく)
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