プレトは携帯電話に届いたメッセージを読み、息が詰まるような思いがした。思わずテントの壁に、額をグリグリとこすりつけた。
「どうしたの」
と、ルリスが尋ねてくる。そのままの体勢でプレトは答えた。
「部長補佐から、密林とサマーブロッサムについてのメッセージが届いた。よろしくだってさ……見捨てたくせに……行くって言ってないのに」
「行くの?」
「行かないと……」
ルリスが盛大にため息をついた。
「プレトのことをなんだと思ってるんだか……」
プレトも思わずため息をついた。部長補佐が、部長〈被〉補佐と呼ばれている理由が分かったような気がした。変わらない体勢でプレトが言った。
「今日は出発しようか」
「大丈夫なの?」
「うん。テントで寝てるのも、助手席に座らせてもらうのも同じだから」
「プレトがそう言うなら……」
ルリスはそう言うと、すぐに荷物をまとめはじめた。プレトはテントの壁から額を離し、両手で両側のこめかみをマッサージした。頭が痛い……頭痛の原因は、毒だけではない気がした。痛み止めでごまかすしかないか……あまり効かないけどな……
ルリスは焚き火の片付けをするためにテントの外に出たが、しばらくすると不機嫌そうに戻ってきた。
「フーイに片付けを手伝ってほしいって言ったら、『昨日、水をあげたじゃん』って言われた! こっちは焚き火を使わせてあげたのに! 憎たらしい!」
「……そういう奴なんだね」どいつもこいつも。
ルリスはイライラしている様子だったが、プレトは怒る気力すら湧いてこなかった。
草原を裂くように作られた道を、2台のレグルスが進んでいく。プレトは助手席に座り、窓の外を薄目で眺めつづけた。
「ねえ、本当に身体は大丈夫なの? さすがにサボってもいいんじゃない?」
ルリスが心配そうに尋ねてきた。
「……正直サボりたいけど、なんというか……サボったらなにかに負けるような気がする」
「なにかにね……これも所長からの頼まれごとだったりして……」そう言って、ルリスは顔を曇らせた。
「うーん、所長は食品研究チームには、あまりタッチしていない様子だったけどな。利益が出やすい部署がお気に入りなんだよ」
パラライトアルミニウムは確実に売れるものだから、所長はプレトの所属する研究チームにときどき顔を出していた。
「現金な性格なんだね……」
ルリスが苦笑いになっている。所長の顔を思い出したら、ますます具合いが悪くなってきた。頭も首も痛い。
「ごめん、ちょっと寝てもいい?」
「いっぱい寝ていいよ!」
友人に心配をかけっぱなしで申し訳ない。うっかり永遠に眠ってしまわないように気をつけなければ……
プレトは目を閉じた。じきに、おかしなものが見えてきた。スライムとクマが、頭の中をぐるぐる回っている。命令書が届いた日に観ていた、癒やし系ホラー映画のキャラクターだ。それぞれがレグルスのボンネットに張りつき、互いを口汚く罵っている。そうそう、あの映画の冒頭はこんな感じだったな……
「ト……プレ……プレト」
スライムがルリスの声で話しかけてきた。
「プレト、プレト」
目を開けると、ルリスが起こしてくれたのだと分かった。
「着いたよ」
「レインキャニオンに?」
「残念だけど、まだ密林だよ」
プレトが前方に目を向けると、確かに密林があった。面積はそれほど広くないように見える。ここにサマーブロッサムがあるのだ。2台のレグルスは、草原に並んで停まっていた。広い道路を挟んで向かい側に密林がある。
「歩いていくしかないけど……わたしだけで行ってこようか?」ルリスが心配そうな顔をして言う。
「いや、私も行く」
木が密集しているため、レグルスが入れないのだ。徒歩で行くしかない。時間を確認すると、昼は過ぎているが、夕方には届いていなかった。夏だから日照時間も長い。天気も悪くないし、今から入っても問題はないだろう。
「おれはパス」
通信機から、突き放すようなフーイの声が聞こえてきた。プレトは鼻を鳴らした。別行動ができて、むしろラッキーだ。
助手席から降りると、空気の中に木の香りが溶け込んでいるのが感じられた。装備の中から長靴を取り出し、スニーカーから履き替えた。ルリスも履き替えている。プレトがその場で足踏みをすると、サイズが大きいからか、中で空気がガホガホと動いた。一瞬、『なにかあった時に走れるか?』という不安がよぎったが、すぐに打ち消した。そもそも体調が悪いのに、まともに走れるわけがないし、元気だったとしても足が遅い。ここがクマやリバースパンダの生息地ではないことも確認済みだ。ただ歩けばいいのだ。
「そろそろ行こうか」
「うん」
ルリスがバックパックを背負いながら返事した。ゆっくりと歩きながら振り返ると、フーイが誰かと電話をしながら笑っているのが見えた。気持ち悪いほど満面の笑みだった。生ぬるい風がプレトとルリスの髪を揺らす。プレトは、背筋がもさもさとむずがゆくなった。なんだろう、この感じ……早く戻ってこよう。
広い道路を渡り、密林に入ったとたん、プレトは来たことを後悔した。急激にめまいが悪化してきたのだ。「うーん、うーん」と呻りながら、ゆっくりと進んでいく。
見ると、ルリスがなにか呟いている。ボソボソと話しているので、よく聞き取れない。
「どうしたの?」
「え、ああ。プレトがケガしないように、神様にお願いしてたの。フッラフラで危なっかしいから、木の枝に突き刺さりそうで、見ていて怖いよ……死にかけていたのに歩けるようになったから、今回も助けてもらえないかなと思って……」
「ありがとう……木がいっぱいあると、目が回るんだね、新発見だ……」
「手を繋ごうか?」
「いや、引っ張ったら危ないから、遠慮するよ」
「そお? でも……そのサマーブロッサムっていうのは、どの辺りにあるのかな?」
「中央エリアにあるらしいよ、見た目はこんな感じ」
サマーブロッサムの画像をルリスに見せた。
「わあ、かわいい!」
サマーブロッサムは、サクラに似た花を咲かせ、ガクからフウセンカズラのような小さな蜜袋を下げている。地面から直接生える、華奢で可憐な感じの植物だ。その蜜袋から蜜を採取すればいいと聞いている。まさか虹の前に、こんなものを採ることになるとは……木の幹に手を添え、根っこに躓きながら、中央エリアに入っていく。しかし、いくら探しても、なかなかサマーブロッサムは見付からなかった。
「あれ……苦労しないで見付けられるって、メッセージに書いてあったけどな」
「もしかして、シーズンが過ぎちゃったとか?」と、ルリス。
「いや、ちょうどシーズンの真っ只中だよ」
そう呟きながら顔を上げると、何かがこちらに近付いてくるのが分かった。それは地面から2mほどのところで浮き、音もなく移動している。円錐型で、幅と高さはプレトの肩幅くらいに見えた。つるんとした表面は、周りの光を反射してぬらぬらしている。色は白なのか半透明なのか、よく判断できない。でも、無機物であることは確かだ。プレトはそれを見て、レグルスのボディ部分の素材を連想した。
「ねえ、あそこに何か浮いてるんだけど……」指をさしながら言った。
「え……なんだあれ、見たことないよ。なにかの機械?」
その物体を見て、ルリスが戸惑っている。そのとたん、物体が眩しい光を発した。
「わああ!」
「きゃあ!」
プレトとルリスはそれぞれ悲鳴を上げて目を瞑った。それでも眩しい。プレトの網膜に閃光がこびりつき、頭の中をいくつもの星が飛び交った。こめかみの痛みが一層強くなった。左手で瞼を塞ぎながら右手を動かし、ルリスの服を掴んだ。うっかりはぐれては、まずいと思ったのだ。
その合間に、頭上から『プシュッ』と、短い音が聞こえた。しかし、目を開けられないので、何が起きたのか確認できない。平衡感覚がにぶり、ルリスの服を引っ張りながら、ゆっくりと地面に両膝をついた。
しばらくじっとしていると「目、開けられる?」と、ルリスに話しかけられた。恐る恐るまぶたを持ち上げると、地面が見えた。視力があることに胸を撫で下ろした。
周りを見回すと、何かに覆われていることが分かった。例の物体を頂点にした、円錐型の狭いテントらしきものの中にいるようだ。円錐の底面のふちから出た、隙間のない膜に囲まれている。膜の外が、陽炎のように揺らめいて見えた。先ほど聞こえた音は、この膜が飛び出した音だったようだ。
「なにこれ……」ルリスが地面に両膝をついたまま呟いた。
「なんだろうね……」プレトも呟いた。
そして、呟きながら思い出した。
「どこかの部署で、動物捕獲用の装置を開発中って聞いたことが……確か、レグルスの浮遊機能とセンサーを応用してるとかなんとか……さっきの光は、動きを止めるための目眩ましかな」
「え、捕獲用? 出れるかな……」
「うーん」プレトは足元に落ちている小石を拾い上げ、膜に向かって投げてみた。小石は『バチンッ』と痺れるような音を出して弾き返された。
「電気が流れているのかも……」
「うそぉ……それじゃ、触れないね……」
ルリスは苦しそうな表情で言うと、携帯電話と通信機を取り出し、いじくり回した。
「両方使えなくなってるよ……」
理由は分からないが、このテントには通信を遮断するような機能があるのかもしれない。外に助けを求められないということか。プレトは、ルリスの隣で膝を抱えて座った。
「もしかして、わたしたち、罠にかかったのかな?」と、ルリス。
「そうかもしれない。サマーブロッサムは口実だったのかも」
「ということは、どこかに連れて行かれるのかな……」
「でも……わざわざそんなことするかな。ただ放っておけば、数日で死ぬのに」
ルリスが口を半開きにしてこちらを見る。プレトは何も言えず、自分の膝を見た。静かに流れていく時間が、まるで自分の首を締めているように思えた。
ああ、どうしよう……
(第33話につづく)
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